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2018年5月16日 (水)

人生はその生き方ですべてが変わる(未来に伝えなければならないこと)

今日はあらためて処世訓を求める(学習)のため、何時もと違った今年に入って8回目の禅寺での座禅でした。

私は前にもふれました遊行期を過ぎた頃から、自分自身の人生を振り返って、過去と未来のつなぎ目に自分が生きているということを強く意識するようになり、5年前から月2回ほど自分を見つめ直し、人生の意義を見出し自己成長をするための修行の場として禅寺で座禅を始めるようになりました。

そして座禅で本当の自分を取り戻すため雑念や邪念をなくした「無心」になって人生の真理について何か心の中に気づくものを仏教の教えの中から頂いています。

今日ここに書かせて頂いた記事もこれまでブログに書いてきたことと重なる部分が非常に多くあると思いますが、今日の「座禅」からは「老いに生きる」ために今、何を学び、何を未来に伝えなければならないか?また数年前の旧制中学の同窓会でも次世代へ何を伝えていかなければならないかと「老いと役割(人生訓)」について同窓とも学習しましたが、このことも含めてもう一度、心を空っぽにして自身の心を見つめ直さなければならないと非常に長い記事になってしまいましたがその想いを書かせて頂いています。

私は特に今の世相に係わる課題(世相と高齢者の役割)を学習する時はつねに歴史からその智恵を学び、それがまた自分を知ることにつながると思っております。

この記事も今日一日が「未来の糧」となるとの思いから現世のストレス社会から理想社会の姿を思い描き、先人・賢人の智恵そして師友・心友との学びなどから自身の戒めともなる記事を書かせて頂きました。

私はブログをはじめて約10年、多くの師友・心友に支えられ、そして師友・心友からのお電話、メール・コメントまたお会いした事のない方からのコメントなどに励まされ感謝の心で思いをそのままにブログ記事を書いてきましたが、人生の節目だと思っている88の米寿まで後数年あり、このまま書き続けられるかどうかわかりません。(心身の健全にはつとめ、学習と社会貢献だけは続けたいと思っています)

こうした想いの中、これまで良き友と共に学び励まされ、私が日頃から最も心に感じている超高齢化社会・子ども教育など自問自答して学習してきた課題の中から特に若い人の未来に伝えなければ思う「心の課題」を以下に私の想うまま書かせて頂きました。

これからもご指導をよろしくお願いいたします。(重ねて大変長い記事になってしまったことをお許しください)

『先人の処世訓(人間としての生きる道)

人間は「一人では生きられない」ということに気づいていない人が非常に多くいるように思いませんか?、これも現世かな?毎日の報道を見ていると日本人の心はどしてこうなってしまったのか?との思いが強くなり、ストレス過多の今の世相に悲しくなることも多く、体調を崩すこともありますが、こうした想いから以下に儒教・道教・仏教など人間としての心を整えさせてくれる先人の処世訓から人生の大切な指針(意味ある人生とは?)の一つとしてもらいたいと載せました。

■菜根譚(中国の思想家である洪自誠の著作『菜根譚』の中に出てくる処世訓)

●「友と交わるには、須(すべから)く三分の侠気を帯ぶべし。人となるには一点の素心(そしん)を存するを要す」

私訳:人と交わるには自分を犠牲にしても相手に尽くそうとする「利他の心」がなければならない。世俗に流されない純粋な一点の本心を持つこと。

※人間として生きていく上で、自分の損得を顧みず弱い者のために尽くす力と純粋な心を持つことがなければ友人との誠の交わりはできないし、そして人としての成長は望めない。

■論語

●「徳は弧ならず、必ず鄰あり」   

私訳:徳を持った人間は孤立することはない。徳を持って生きている人には自然とその人を慕って多くの人が集まってくる。(徳は人としての基礎であり、身体からにじみ出てくる)(私の論語学習から)

※現世「徳」・「道徳」が軽んじられていることが悲しい。八方美人的な生き方からは徳は生まれない。私はこの言葉を直筆で掛け軸としています。(論語では八方美人は徳の敵とも言われている。

●「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」

私訳:道義を身に付けてれば、天と一体となった気持ちになり、何時死んでも良いと思うほど嬉しい。

※人生とは真理を求めて歩むことが一番大切で、人生の道(徳)を開くことができれば死んでも後悔しない。(師友S様は日ごろから徳を心がけることが大切であると常に語っており、S様の座右の銘でもあります。

■仏教の教え

●「利他の心」

私訳:自分のことよりも他者のことを考える思いやりの心を持つ。

※自分が得することだけを考えていると社会は良くならない。師友I様・Y様の座右の銘でもあります)

●愛語「ありがとう」人に対して深い思いやりの心から生まれる言葉

私訳:温かい心のこもった言葉がけを日ごろから心がけることが大切である。

※人の心を動かす言葉になり、相手の心に通じ、周囲の人にも温かい思いを与えることができる。師友K様の座右の銘でもあります。

『師友・心友の人間力に学ぶ』

私は多くの師友・心友の知的・善的生活習慣に触れるとその人間力に感銘し「生きてて良かった」と常に心に元気をいただいていますが、今日も座禅が終わり禅寺での長い時間の境内散歩の中で心に浮かんできたお二人の師友・心友の儒教・仏教にある五徳の心を常に持った善的生活習慣とその人間力に感銘した心の思いを次に書かして頂ききました。(仁・知・勇気)

■人間はあらゆる自我意識を捨てなければ。

私は「利他の心」で生きることの大切さを常に若い人に伝えなければと自身の心にも自問自答し自我を死滅させるよう「利他の心」を求めており、禅寺を訪れての座禅の中でも「正念と邪念」を学んでいますが、一方で現世を眺めると「利他の心」より「自我の心」が社会も企業も個人も強く、私がつねに願っている道徳を追い求めている心が薄くなっていることに、それに気づいていない人が多く私は憂いを感じることがあります。

今日はこうした現世に道徳を追い求めなければならないと邪念をなくすことの大切さを多くの人に伝えようと道元禅師の正法眼蔵の研究会を主宰しておられる師友(I様)の仏教哲学まで学習しているその素晴らしい姿に私は感銘しました。私は昨年EテレNHKテキスト(100分de名著)で「正法眼蔵」を学習しましたが、非常に難しくほとんどまだまだ理解できません。

そうした中、私たちの生活にも当てはまるのではないかと思う仏教の教えである四摂法(布施・愛語・利行・同事)について、私が今取り組んでいる課題に係る「利行:人を幸せにしないかぎり、自分の幸せは得られない」についてもI様のお話から学習させて頂きました。

■世相と子ども教育(仏の親は鬼、鬼の親は仏)

私の師友(弁護士I様)のブログ(喜怒哀楽)の記事を読んで、国の未来を心配して、嫌われる勇気・ぶれない心の軸で未来を担う子ども教育を思う記事を拝見して感銘しました。(現世の企業の社員教育にも通じるのではないでしょうか?)

この「仏の親は鬼、鬼の親は仏」という、この言葉はI様の祖母様が常に話されていた言葉で「子供を厳しくしつける親は、子供にとって良い親で、子供にやさしいだけの親は実は、子供にとって良くない親」と言うことではないでしょう?

怒る(親の感情のまま)と叱る(親の愛情を持って)は子ども教育にとって大きな違いがあると思います。

今の子ども教育をみると学校も親も知識だけにかたよって道徳を少しなおざりにしているのではないでしょうか?子どもの時代に道徳教育夢を語る教育にもっと力を入れないと平和国家など語れないのではないでしょうか?

I様の祖母様の素晴らしい言葉に感銘と感謝・感謝です。

私も母親から子どもの頃“お天道様が見ているよ”などとよく言われていました。これも親が愛情を持った子ども教育だったと思いますが、今これらの多くの言葉が死語となっています。(生きかえらせましょう!これも大人の責務です)

また私もよく地域でおじいちゃん、おばあちゃんにこんなことをよく話しています。

・お孫さんの教育でおじいちゃん、おばあちゃんの役割は非常に大きいのでないか?!

・子どもさんの目を見てください。その素晴らしい目を見ていると自分の心が見えてきまね!

最後になりましたが、私は5年前にも触れさせてもらいましたが、徳のある人を除いて大人には「性悪説」を子どもには「性善説」で「なぜ?」の視点で課題を見つけなければその真の答えは見つかりないと今でも思っており、その「なぜ?」には現世(ストレス社会なども含めて)の共通の原点があるのではないかと思います。皆さん一緒に学習しましょう。ご指導ください。

※私は自分を振り返った時、今、感謝している師は皆さん温かく「厳しかった」方です。また私は友人からは何も云わず「叱らず、怒らず」の人に育ててもらったと言う話を聞いたことがありません。

私は10数年前に師友(I)から論語学習に誘われ、論語を学習するようになってから藩校巡りを始め、昌平坂学問所、会津藩校日新館、水戸藩校弘道館、庄内藩校致道館、佐賀藩多久聖廟、足利学校など各地を訪ね「人づくり」を旨とした教育の原点を再発見しています。

『私の人生訓の基本』

私は先人・賢人の処世訓、そして師友・心友との学習などから人間としての真善美の心を求めています。(死んでも魂は生きていると未来に夢を描いていれば後世に残すべき自分の役割も見えてくる)

私はこうした知的・善的生活習慣を人生の指針にすれば「生きてて良かったと」と本当の生き方が見えてくるのではないかと人間としての私の思う人生訓の基本を以下に書かせてもらいました。(人生はその人の「生き方」によって決まる)

■私の心がけている人生訓

人間はどれだけ「利他の心」があるか試される時が必ずあります。そしてその心の持ち方で人の人生は決まると思っています。(「道徳と礼儀」・「利他の心」で計り知れない人生の喜びをおぼえる)

●自分の心に正直に問う(心を空っぽにすることで問うことができる)

●素晴らしい人を賛美できる心(人を讃美する心の人は恩送りする。その賛美する心を持たない人は恩送りができない)

●憎まれる勇気(正義・ダメはダメ)

●妬まない(妬む心は恥ずかしい)

●嘘は絶対につかない(心に嘘をついてまで、いい人になろうとしない)

●自省自戒する(自省自戒することで自分の心を磨くことができる)

●折れない心・ぶれない心軸を持つ。(仁・知・勇の人)

●「道徳と礼儀」で人を導けば人の道に外れることはない。

●師友・心友は宝

私はつねに多くの人に支えられて「今」があると思っており、自省自戒し自分の心を磨きながら同じ志を持ち、何でも話し合える友人(忘年之交:年齢の差は気にしない)との絆(私の宝)を大切にし、つねに師友・心友から人間力を学びながら心を磨くように努めています。

心の中に師友・心友を持つことは人生を豊にする源泉であり、人生の宝(財産)です。(縁と出会いの一期一会を大切にする。)

論語:直を友とし、諒を友とし、多聞を友とするは益なり。

私訳:博学で善的生活習慣(徳)、裏表がない、ダメはダメと直言してくれる心友を持つ。

※無欲無心で取り組むところに道は拓けると思っても現世は真善美の心がない人が多く伝えることが非常に難しい。会話の中に出てくるその一言を聞けばそれが判る)

『私の座右の銘』

前にも私の座右の銘について触れてきましたが、ここに改めて以下に「座右の銘」として書家に書いて頂いたもの、私が直筆で書にしたものをここに書きました。(掛け軸にしてあります)

●一期一会:前述の心友を持つ ※前述の「人生の宝」の通り。

●寧静致遠:誠実でなおかつこつこつと努力を続けないと、遠くにある目的に到達することはできない。(中国の葛諸葛孔明が自分の子供に書き残した言葉)

●安心(あんじん)

仏法の功徳によって、迷いがなくなった安らぎの境地を求める。

●隋喜功徳:※前述の「利他の心」の通り。

※六年前大学を卒業した孫の就職にあたって社会人として「会社のため・お客様のため、人のため」は、自分のためとこの言葉を贈る。

●「徳は弧ならず、必ず鄰あり」※前述の「処世訓」の通り。

●愛語“ありがとう” ※前述の「仏教の教え」の通り。

『私が感銘を受けた言葉』

私のブログ・カテゴリーから検索してみてください。(2002年から私が感銘を受けた言葉が書いてあります)

追記

『今の現世への想い』

最後になりましたが、私と同年代の著者が書かれた書籍の中からその一部ですが私も同じ今の世相への想いを書きました。

昭和からの遺言(著者が傘壽のしるしに書かれた昭和の生態)

著者:倉本聡 「昭和からの遺言」 出版社:株式会社双葉社

●卑怯な振る舞いは恥だった。卑怯な行動をとることは男として最もいやしいことだ、子供の頃から云われて育った。

●少年時代から培われてきた我慢という財産が灰になった。かくして日本中から我慢というものが失われた。

●この国が古代から培ってきた「わび・さび・雅び・奥床しさ」蓄積してきた一切の文化を放棄して傚然と眩しく、ひたすら眩しく。

●自分は今より豊かでなかったが 何となく今より幸せだった気がする。

●これまで云われた日本の論理感、節約が善で浪費が悪。その考えが180度変わって、今度は節約が悪になり、浪費するのが善になってしまった!

●笑いが深かった、涙が深かった、怒りが深かった、情が深かった、人と人のつながりが深かった。

●一家団欒のぬくもりが消えた、みんな都会いに去ってしまった。都会に去った若者たちはアスファルトとネオンの麻薬にとりつかれ、そこで勝手に増殖を始めた、残られたのは高齢者たちだけだ、それを世間は重大事と考えない何故だ!

●親に育てられた恩をさし置いて、恩を返すという義務を忘れた。

●こわれないものは作ってはならん、こわれたら直さず捨てなきならん、捨てて又すぐ新しいものを買う、直せば使えるのにと再び問えば、そしたら新品が売れなくなっちまう、捨てて又買う、 捨てて又買うです。

私がここに倉本聡様の著書を拝見して、私のどうしてもの思の次の記事をさらに再追記しました。

日本人は正義感があり、「弱きを助け強きを挫く」という気質があるのだと私はこの言葉を今でも信じて生きていますが、現世を見ると「強きを助け 弱きを忘れる」というこのような風潮が流れているのではと思ってしまいます。

全部ではないが「メディアも社会も」すべてが損得で行動し、弱い者には無理解(なぜ?)を忘れているのではないでしょうか。私はこの風潮を思うに日本人の心はどうなってしまったのか?と思います。

『私の今日の一日から』

今日は禅寺での晋山式の案内、本堂に掲げてあった言葉とまたこのたび買い求め読んだ倉本聡「昭和からの遺言」に書かれている社会の諸問題はみんな根っこが同じではないか、その(なぜ?)を思いから以下の写真を載せました。(人間には必ず何かの役割があります)
  Dscn7077

道元禅師の正法眼蔵の研究会を主宰しておられる師友の師の晋山式を知って改めて師友に感銘しました。
 Dscn7083

座禅が終わって本堂に掲げてあったこの言葉が今日のブログ記事につながった。

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    先人の処世訓(菜根譚から)
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     先人の処世訓(論語から)
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  師友の処世訓(贈っていただくた著書)
  Fscn7097
今日の私の思いから身近な菩薩を写仏しました。
 Photo

  床の間に掲げている座右の銘の掛け軸
・寧静致遠:中国孔子の里で
書家に書いて頂いた。

・一期一会:中国北京の故宮で書家に書いて頂いた。

・安心(あんじん)菩提寺の住職さんに頂きました。

 Photo_2
  私が直筆して座右の銘としている言葉

~人間としての原点にもう一度かえって、我が推せました心を照らしてみましよう~

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コメント

 連日異常な気候が続きますね。
これも地球温暖化の証拠でしょうか。
 さて、長文のブログを拝見しました。
これは貴兄の「人生訓」ではないでしょうか?
論語の教えが基調となっており、素敵・感銘しました。
言い伝えたいことは沢山あると思いますが、要約すれば「ありがとう」という感謝の心と「利他の心」=相手を思いやる心」ですね。
強い想いが述べられていると思いました。老人の存在意義を大いに語りましょう。
老いて志はなお盛んでありたいと学ばせていただきました。
     2018年7月31日  感謝しつつ 

投稿: 広瀬 亮 | 2018年8月 1日 (水) 11時22分

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