« 2018年のお盆(祖霊の両親に感謝・語る) | トップページ | 2018年秋彼岸 »

2018年9月19日 (水)

恩送りで心豊かな社会をつくる(知恩・感恩・報恩:何をしたら充実人生?)

私は現世、社会も企業も個人も思いやりをもって、人のために尽くすという人間として一番大切な「利他の心」を忘れているではないかと思う事が非常に多くなったように思います。皆さんはどう思いますか?

日々のニュースを見ていても「なぜ?」と心を痛める報道が多く、また人と人との関係でも他人をよくしてあげようという優しい思いやりのある「利他の心」が非常に希薄になってしまったのかなあ~とこれが現世なのかと非常に悲しく、心が痛みます。

私は80数年間、生きてきたこれまでの人生を振り返って一番大切にしてきたものは何か?と自問自答しながら人間として生きがいと喜びに満ちた人生を送りたいとの願いを求めていくためには今、人間に何が求められているかを考えなければならないとつねに思っています。

私はこうした思いの中、前にもふれましたが私は人生を「より良く生きる」ためにと先人・賢人の生き方(道を開く言葉)やその処世の知恵を求めて歴史の旅にもよく出かけたりして、現世の日本社会が抱えている課題を他人事としてとらえていてはいけないのではないか?と多くの師友・心友と共に学習しておりますが、今日も師友・心友(K様・N様・Y様)と遊行期を迎えた人間としてこの世に生を受けて、次世代の若い人たちに何が大切かかを伝える役割(義務)があるのではないかなどについて学習しました。

食事をしながらの学習でしたが「なぜ?」と思う課題についても現世「利他の心」が非常に希薄になってしまったことが原点にあるのではないかと皆さんのお話をお聞きして共鳴し、感銘したことを記事に書かせて頂きました。

『恩送りが心豊かな社会をつくる』

人間は一人では生きられない。私たちは多くの人からの恩を受けて生きています。

人間はその恩を知り、恩に報いることが自分の幸せに通じることを儒教でも仏教でも知恩(今まで受けた多くの恩を知る),感恩(受けたその恩に感謝する)、報恩(受けたその恩に感謝して報いる)ことで人間の価値が決まると教えられており、私は恩も「利他の心」と共に仏教のお布施の一つでもあると思っています。

そしてこうした前述の受けた恩を受けた人がその人に恩を返すだけでなく、「恩送り」という受けた「恩」を誰か他の人に送り、その送られた人がまた別の人に送り、こうして「恩」が広く社会の中で回っていけば世の中が親切で心溢れる心豊かな社会となるのではないかと私は現世ほど「恩送り」の心が求められているのではないか?と私は思います。

こうした「恩送り」の心に気づくことができれば「なぜ?」と思う課題にも少し近づくことできるのではないかと思います。

『K様、N様、Y様との学習に感謝(未来につなげる恩送り)』

私は皆さんからつねに「おかげさま」、「ありがとう」という心の中に感謝という心があるか、ないかで人間がわかるという事を常に学んでいます。

今日も食事をしながらでしたが「利他の心」で人の役に立つことを喜びとして社会貢献をなさっているK様、N様、Y様の姿、そして隣り近所の助け合い、思いやりなどは当たり前だとおつしゃっている姿に感銘しました。私は皆さんのこの心が恩送りになっていると思っています。

「おかげさま」、「ありがとう」と云う言葉も自然に口から出るようにならなければ、死語になってしまったと同じです。“ありがたい”と思うだけで幸せになります。 

■K様の子ども教育(教育は恩送りの感謝の心から始まる)

K様の子ども教育も子どもが今日は楽しい一日であったと心に残る感謝の言葉が子ども教育であり、その言葉が何10年たっても心に残る感謝の言葉として、その後の道を開くのではと“ありがとうと”と語り合う姿が子どもの教育だとその「感謝と思いやり」の心をもった子どもたちが地域の中でと「親に感謝することの心を教えている」K様の日々の子どもさんお孫さんに接しおられる姿に私は感銘し、先に買い求めた幾つかの書籍の中から子ども教育に関する現世(隣り近所の挨拶も忘れ、挨拶しても返ってこない風潮が目立つ)から以下の言葉を思い出し、その一部を書かせてもらいました。

著者:倉本聡の「昭和からの遺言」出版社:株式会社 双葉社から(笑いが深かった、涙が深かった、怒りが深かった、情が深かった、人と人とのつながりが深かった)

●雷おやじの哀歌

・昔はどの町にも雷おやじがいた、雷のようにいきなり怒鳴るから雷おやじと皆が呼んだ。

・怒鳴られた理由を考えろ!と怒鳴った。すると子どもたちは必死に泣き止み、泣きじゃくりながら理由を考えたのか、たがいに子どもたちは理由に気がついた。

・良くないことを自分がしたからだ。何が良くないか、してはならぬことを自分がしたからだ、どうしてならないのか、ならぬことは絶対ならぬのだ!

・雷おやじは子どもの教育係りであり、町の秩序の番人なのだ。

●卑怯について

・卑怯な振る舞いは恥だった、卑怯な行動をとることは男として最もいやしいことだと子どもの頃から云われて育った。

・家に帰ってその日の出来事を父に自慢したら父はしばらく黙っていたが、本当はどっちかなと笑った。俺は黙って答えられなかった。

●子供の世界

・けんかに負けても歯をくいしばって泣かない奴がうんと偉かった。親や先生に泣きつく奴は徹底的に軽蔑された。

・空想できる奴は偉かった。想像力のある奴は何といっても人気があった。

●屋根は見ていた(世相かな?今の子供教育と無関係ではないのではと私は思う)

・これまで云われた日本の倫理感は節約が善で浪費が悪、その考え方が180度変わって、今度はいきなり節約が悪になり、浪費することが善になってしまった!

※節約という言葉も死語になってしまったのかな?(結果これが大量廃棄になっているのではないでしょうか?)

・一家団欒のぬくもりが消えた。

■N様の社会貢献

前述の「利他の心」が非常に希薄になっている世相の中での超高齢化と地域の「向こう三軒両隣」など多くの課題についてのN様の素晴らしい智恵と経験を生かした知的・善的生活習慣による地域社会の幸せいつながる多くの社会貢献に感銘しました。

今日お話しされたのは奥様の介護の中、社会貢献として高齢者の心の安らぎの場としての高校生による吹奏楽の会を開催したボランティア活動でした。

これも“やってやる”でなく“やらせてもらっている”で高齢者の心の安らぎの場をつくるだけでなく災害時における多くの情報交換とより強い“向こう三軒両隣”の地域社会の幸せいつながる社会貢献の実現を目指してのことでした。

※参加された皆さんにこれまでの人生を振り返って、意味ある人生としての心豊かな社会的な意味を感じていただきたいと思ってのことのようです

■Y様の禅的学習

Y様は前にも触れましたが、道元禅師の仏教「正法眼蔵」の研究をなさっており、私は常に禅的学習を通じて、他者の幸せを心にもたなければ自分の幸せはないと心豊な知的・善的生活習慣(おかげさま・ありがとう)として感謝の心をもつことの大切さを学習させて頂いています。

今日は私と二人で福井県の禅寺永平寺を訪れたとき道元禅師の現世の私たちへのメッセージ集(慕古心)をY様から頂き、その中に書かれていた人間はどう生きるべきかという次の言葉を思い出し、自分の人生を振り返ると共に未来の若い人たちのため何をすべきかを改めて反省させられました。

●Y様から頂いた道元禅師のメッセージ

生まれて死ぬ一度の人生をどう生きるか、長生きすることが幸せでしょうか?そうではありません。 短命で死ぬのが不幸せでしょうか?そうではありません 問題はどう生きるかなのです。

※私は人を幸せにしたいという「利他の心」の大切さに気づくことが自分の幸せにつながることだと思います。

『私の今日の一日から』

私は前にも「人生はその生き方ですべてが変わる」と未来に伝えなければならないとの思いで今の世相に係わる課題として超高齢化社会・子ども教育などについてブログに記事を書かせて頂きましたが、今日も同じような課題の中で「なぜ?」と思う課題の原点は感謝の心から始まると「恩送り」について学習しましが、皆さんの智恵と勇気は自分のためだけでなく、すべて慈悲心からで人と向き合うことは自分とも向き合うことだと思いました。

 ~人生の目的の先にあるものは利他の心~

●伝道掲示板に書かれた言葉は

 Photo

私は師友・心友と食事会・学習会がある時は必ず禅寺の伝道掲示板に書かれているその月の言葉から人生を見つめています。

人間は自然から何かを学ばなければならないと思いました。(蝉の躯とは蝉の一生を詠った俳句の季語)
●師友・心友に感謝

Img_3087

 _3091_2
師友・心友の素晴らしさに気づき、自分より優れた人を称賛できる心は「利他の心に通ずる」私は笑顔で接することの師友・心友は人生の宝であり、幸せをもたらしてくれます。

※優れた人に気づきかなければ学ぶ機会を失う。

●短冊の書

Photo_3

私は時折その時ときの思いを書にします。(今日の学習から)

« 2018年のお盆(祖霊の両親に感謝・語る) | トップページ | 2018年秋彼岸 »

コメント

ブログ拝見しました。
K、N、Y様との鼎談のようですが、そんな話し合いができるとは、羨ましい限りです。
私は隙に任せて長電話で心の通話をするようにしていますが、一抹の寂しさがあります。
みんな話し合いをしたいと願ってはいるのですが、思うだけに留まっているようですね。

 「恩送り」の話は共鳴できます。
先輩が修得した智慧を後輩に伝えるのは、人間としての義務ではないでしょうか。
世代間コミュニケーションといってよいでしょう。
現代人は、コミュニケーションのツールは多々ありますが、飢えているのではないでしょうか。
老人は若い人に遠慮しているように思われます。

「雷親父」の話には同感です。
力士「貴景勝」は、未だに親父さんが恐ろしいと云っています。
愛の鞭があれば怖いのは当然です。近頃の親父には、威厳が無くて淋しいですね。
世の親父さん達よ、自信をもって子供の教育に当たってほしいものです。

いよいよ師走ですね。
寒さも一段と募ってきましたが、身体には十分にお気をつけてください。
     広島・広瀬より

投稿: | 2018年12月 1日 (土) 13時25分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/159065/67435003

この記事へのトラックバック一覧です: 恩送りで心豊かな社会をつくる(知恩・感恩・報恩:何をしたら充実人生?):

« 2018年のお盆(祖霊の両親に感謝・語る) | トップページ | 2018年秋彼岸 »