父の祥月命日(亡くなってもその魂は生きている)
今日は父親の祥月命日です。
今年も弟夫婦と私たち夫婦4人で先祖の供養に菩提寺にお墓参りをしてきました。
毎年も同じように両親への思いにふれますが、父が亡くなってから今年で40年、母が亡くなってから45年になり、父・母ともに33回忌を過ぎ、もう仏から神になっているのではないかと思っています。
私はそうした思いから常に「両親が亡くなってもその魂は生きている」と思っており、今年で父は118歳、母は112歳になっているとの思から、今でも私たちに人間としての何かその心を伝えてくれています。
両親の行年(父79歳、母69歳)を私はもう何時しかその歳を過ぎ、人生の旅路を通り過ぎた老齢に達した87歳なりましたが、その父の言葉(自分の心に正直に生きる)、母の言葉(お天道様は見ている)から私も死んでも魂は生きていると死は人生の終わりでなく生涯の完成(魂は生きている)との思いを今日も心新たにして親の教えに強く感謝した父の祥月命日でした。
最後になりましたが、人間は「生かされている」そのため「何か役割がある」そして「そのためにその役割を果たさなければならない」と先祖と子孫のつながる祥月命日で両親に感謝する供養の日でもあるので、私は毎年これまでは菩提寺から帰ってからその思いを写仏か感謝の心を俳句に詠んでいますが、今年は両親の言葉から心の中心には先祖ありと次の四字熟語(善因善果)を筆書しました。
また仏教に輪廻転生という六道(天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界)があり、私たちは境内にある六道菩薩様の脇にある碑に刻まれている真言を唱えながら六道菩薩様に水を掛けて、今の自分の幸せに感謝しました。
善い行いからは、善い果報が得られる。果報は善い行いから生まれる。※お詫び:書いた日付(年)が間違いてしまいました。
境内お六道菩薩様
六道菩薩様の脇にある碑に刻まれている真言
コメント
ご両親に感謝する祈りのブログ拝見しました。
兄弟そろっての感謝の祈りは、きっと、ご両親の下へ届くことでしょう。
昔は法事を重要な儀式として守ってきていましたが、昨今は、軽く扱われてきているように思います。
兄弟仲良く先祖崇拝ができるのは、美しい風習ですね。
足らざるを反省させられました。
投稿: 広瀬 亮 | 2019年1月22日 (火) 12時53分