2018年11月 3日 (土)

私の八十六歳の誕生日

前にもふれましたが、私はこれまだでの人生を振りかえって、何を一番大切にしてきたか常に自分に問いかけてきましたが、今日で八十六歳になり改めて人生を振り返って、何を後悔しているか?また少しでもこれから後悔しない生き方をと考えました。

私はこうした思いの中、これまで人間として誰もが抱く願望としての個人的な夢と社会的な夢を以て過ごしてきましたが60歳を過ぎた頃から歳を重ねるつれ、その社会的な夢を多く持つようになりました。

この社会的な夢もいろんな分野で人の役に立つことを人生の喜びとして活躍している多くの皆さんとの出会による学習するところが多く、また私が地域のボランティア活動の中から常に感じている「人生を振り返って後悔しないように生きたい」など私に人生の目的をも求めさせてくれています。

今日は師友・心友に感謝するありがたい誕生日でもあり、また孫から贈ってもった「誕生日プレゼント」もよりありがたい感謝の一日になりました。

※社会的な夢を持つには法話の中によく出てくる「おれが おれがの“が”を捨てて、おかげ おかげで生きる」ことが大切で、おれが おれがの自我心は人間としての心を曇らせてしまうと思います。

 

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2018年9月26日 (水)

2018年秋彼岸

私は春と秋の年2回あるお彼岸には日々忘れている煩悩から開放されようと悟りの日として、毎年お彼岸は先祖への感謝と自身への反省の日だと思い、彼岸の入りは家族でお墓参りをし、また彼岸明けはあらためて弟と二人で菩提寺を訪れ先祖の供養と住職さんの法話を聞いて煩悩から脱した悟り心の境地になってお墓に塔婆を立て先祖供養をして我が家へ帰ってきます。(私は我が家へ帰ってから自分が今あるのは両親をはじめ多くの人のお蔭だとあらためて、仏壇に手を合わせて感謝をしています)

私はこうしてお彼岸を毎年過ごしていますが、近年は気球の異常現象か?とも思える地震や猛暑、台風で多くの犠牲者を出しており、春分の日、秋分の日と太陽が真西に沈む彼岸の極楽浄土は?と私たにが西に向かって手を合わせて思いを馳せる習慣はどうなるのかと思いましたが、気象の専門家といわれる人たちはこの気象の異常現象をただ温暖化とまでしか云わず(なぜ?)がなく非常に残念です。

でも私はお盆の時にふれましたが母親の語っていた「お天道様が見ているよ!嘘はつくな!」、父親の語っていた「利他の心」など両親の心豊かな人生を見て、先祖の霊によって守られての幸福に感謝した今年のお彼岸でした。

こんど菩提寺の住職さんにお会いしたら異常気象の中での日本の四季と仏教行事について私の心の疑問についてお聞きしてみようと思いました。
~お彼岸は「利他の心」で功徳を積む期間にしよう!~

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2018年9月19日 (水)

恩送りで心豊かな社会をつくる(知恩・感恩・報恩:何をしたら充実人生?)

私は現世、社会も企業も個人も思いやりをもって、人のために尽くすという人間として一番大切な「利他の心」を忘れているではないかと思う事が非常に多くなったように思います。皆さんはどう思いますか?

日々のニュースを見ていても「なぜ?」と心を痛める報道が多く、また人と人との関係でも他人をよくしてあげようという優しい思いやりのある「利他の心」が非常に希薄になってしまったのかなあ~とこれが現世なのかと非常に悲しく、心が痛みます。

私は80数年間、生きてきたこれまでの人生を振り返って一番大切にしてきたものは何か?と自問自答しながら人間として生きがいと喜びに満ちた人生を送りたいとの願いを求めていくためには今、人間に何が求められているかを考えなければならないとつねに思っています。

私はこうした思いの中、前にもふれましたが私は人生を「より良く生きる」ためにと先人・賢人の生き方(道を開く言葉)やその処世の知恵を求めて歴史の旅にもよく出かけたりして、現世の日本社会が抱えている課題を他人事としてとらえていてはいけないのではないか?と多くの師友・心友と共に学習しておりますが、今日も師友・心友(K様・N様・Y様)と遊行期を迎えた人間としてこの世に生を受けて、次世代の若い人たちに何が大切かかを伝える役割(義務)があるのではないかなどについて学習しました。

食事をしながらの学習でしたが「なぜ?」と思う課題についても現世「利他の心」が非常に希薄になってしまったことが原点にあるのではないかと皆さんのお話をお聞きして共鳴し、感銘したことを記事に書かせて頂きました。

『恩送りが心豊かな社会をつくる』

人間は一人では生きられない。私たちは多くの人からの恩を受けて生きています。

人間はその恩を知り、恩に報いることが自分の幸せに通じることを儒教でも仏教でも知恩(今まで受けた多くの恩を知る),感恩(受けたその恩に感謝する)、報恩(受けたその恩に感謝して報いる)ことで人間の価値が決まると教えられており、私は恩も「利他の心」と共に仏教のお布施の一つでもあると思っています。

そしてこうした前述の受けた恩を受けた人がその人に恩を返すだけでなく、「恩送り」という受けた「恩」を誰か他の人に送り、その送られた人がまた別の人に送り、こうして「恩」が広く社会の中で回っていけば世の中が親切で心溢れる心豊かな社会となるのではないかと私は現世ほど「恩送り」の心が求められているのではないか?と私は思います。

こうした「恩送り」の心に気づくことができれば「なぜ?」と思う課題にも少し近づくことできるのではないかと思います。

『K様、N様、Y様との学習に感謝(未来につなげる恩送り)』

私は皆さんからつねに「おかげさま」、「ありがとう」という心の中に感謝という心があるか、ないかで人間がわかるという事を常に学んでいます。

今日も食事をしながらでしたが「利他の心」で人の役に立つことを喜びとして社会貢献をなさっているK様、N様、Y様の姿、そして隣り近所の助け合い、思いやりなどは当たり前だとおつしゃっている姿に感銘しました。私は皆さんのこの心が恩送りになっていると思っています。

「おかげさま」、「ありがとう」と云う言葉も自然に口から出るようにならなければ、死語になってしまったと同じです。“ありがたい”と思うだけで幸せになります。 

■K様の子ども教育(教育は恩送りの感謝の心から始まる)

K様の子ども教育も子どもが今日は楽しい一日であったと心に残る感謝の言葉が子ども教育であり、その言葉が何10年たっても心に残る感謝の言葉として、その後の道を開くのではと“ありがとうと”と語り合う姿が子どもの教育だとその「感謝と思いやり」の心をもった子どもたちが地域の中でと「親に感謝することの心を教えている」K様の日々の子どもさんお孫さんに接しおられる姿に私は感銘し、先に買い求めた幾つかの書籍の中から子ども教育に関する現世(隣り近所の挨拶も忘れ、挨拶しても返ってこない風潮が目立つ)から以下の言葉を思い出し、その一部を書かせてもらいました。

著者:倉本聡の「昭和からの遺言」出版社:株式会社 双葉社から(笑いが深かった、涙が深かった、怒りが深かった、情が深かった、人と人とのつながりが深かった)

●雷おやじの哀歌

・昔はどの町にも雷おやじがいた、雷のようにいきなり怒鳴るから雷おやじと皆が呼んだ。

・怒鳴られた理由を考えろ!と怒鳴った。すると子どもたちは必死に泣き止み、泣きじゃくりながら理由を考えたのか、たがいに子どもたちは理由に気がついた。

・良くないことを自分がしたからだ。何が良くないか、してはならぬことを自分がしたからだ、どうしてならないのか、ならぬことは絶対ならぬのだ!

・雷おやじは子どもの教育係りであり、町の秩序の番人なのだ。

●卑怯について

・卑怯な振る舞いは恥だった、卑怯な行動をとることは男として最もいやしいことだと子どもの頃から云われて育った。

・家に帰ってその日の出来事を父に自慢したら父はしばらく黙っていたが、本当はどっちかなと笑った。俺は黙って答えられなかった。

●子供の世界

・けんかに負けても歯をくいしばって泣かない奴がうんと偉かった。親や先生に泣きつく奴は徹底的に軽蔑された。

・空想できる奴は偉かった。想像力のある奴は何といっても人気があった。

●屋根は見ていた(世相かな?今の子供教育と無関係ではないのではと私は思う)

・これまで云われた日本の倫理感は節約が善で浪費が悪、その考え方が180度変わって、今度はいきなり節約が悪になり、浪費することが善になってしまった!

※節約という言葉も死語になってしまったのかな?(結果これが大量廃棄になっているのではないでしょうか?)

・一家団欒のぬくもりが消えた。

■N様の社会貢献

前述の「利他の心」が非常に希薄になっている世相の中での超高齢化と地域の「向こう三軒両隣」など多くの課題についてのN様の素晴らしい智恵と経験を生かした知的・善的生活習慣による地域社会の幸せいつながる多くの社会貢献に感銘しました。

今日お話しされたのは奥様の介護の中、社会貢献として高齢者の心の安らぎの場としての高校生による吹奏楽の会を開催したボランティア活動でした。

これも“やってやる”でなく“やらせてもらっている”で高齢者の心の安らぎの場をつくるだけでなく災害時における多くの情報交換とより強い“向こう三軒両隣”の地域社会の幸せいつながる社会貢献の実現を目指してのことでした。

※参加された皆さんにこれまでの人生を振り返って、意味ある人生としての心豊かな社会的な意味を感じていただきたいと思ってのことのようです

■Y様の禅的学習

Y様は前にも触れましたが、道元禅師の仏教「正法眼蔵」の研究をなさっており、私は常に禅的学習を通じて、他者の幸せを心にもたなければ自分の幸せはないと心豊な知的・善的生活習慣(おかげさま・ありがとう)として感謝の心をもつことの大切さを学習させて頂いています。

今日は私と二人で福井県の禅寺永平寺を訪れたとき道元禅師の現世の私たちへのメッセージ集(慕古心)をY様から頂き、その中に書かれていた人間はどう生きるべきかという次の言葉を思い出し、自分の人生を振り返ると共に未来の若い人たちのため何をすべきかを改めて反省させられました。

●Y様から頂いた道元禅師のメッセージ

生まれて死ぬ一度の人生をどう生きるか、長生きすることが幸せでしょうか?そうではありません。 短命で死ぬのが不幸せでしょうか?そうではありません 問題はどう生きるかなのです。

※私は人を幸せにしたいという「利他の心」の大切さに気づくことが自分の幸せにつながることだと思います。

『私の今日の一日から』

私は前にも「人生はその生き方ですべてが変わる」と未来に伝えなければならないとの思いで今の世相に係わる課題として超高齢化社会・子ども教育などについてブログに記事を書かせて頂きましたが、今日も同じような課題の中で「なぜ?」と思う課題の原点は感謝の心から始まると「恩送り」について学習しましが、皆さんの智恵と勇気は自分のためだけでなく、すべて慈悲心からで人と向き合うことは自分とも向き合うことだと思いました。

 ~人生の目的の先にあるものは利他の心~

●伝道掲示板に書かれた言葉は

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私は師友・心友と食事会・学習会がある時は必ず禅寺の伝道掲示板に書かれているその月の言葉から人生を見つめています。

人間は自然から何かを学ばなければならないと思いました。(蝉の躯とは蝉の一生を詠った俳句の季語)
●師友・心友に感謝

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師友・心友の素晴らしさに気づき、自分より優れた人を称賛できる心は「利他の心に通ずる」私は笑顔で接することの師友・心友は人生の宝であり、幸せをもたらしてくれます。

※優れた人に気づきかなければ学ぶ機会を失う。

●短冊の書

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私は時折その時ときの思いを書にします。(今日の学習から)

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2018年8月15日 (水)

2018年のお盆(祖霊の両親に感謝・語る)

お盆は年一度の先祖を迎えて供養する大切な日であり、私はお盆を前に仏壇のそれぞれの段(本尊、位牌、香炉、おリンなどの段)を例年より長い時間かけて清掃し、さらに先祖の霊を迎えるお盆棚をつくりお盆の入りを待ちました。

そしてお盆の入りは弟夫婦と私と妻は早朝に家を出て菩提寺をお墓参りし、両親に私たち一族を守ってくれていることへの感謝と家族の健康を報告しました。

※弟は持ってきた墓石ブラシで墓石に刻まれている文字の部分まできれいに洗い流してくれました。。

自宅ではお盆棚の盆提灯に明かりつけ、家族であらためて先祖に感謝の心で迎え火を焚き両親を迎え、先祖と子孫である私たち家族は一緒にお盆を過ごし、お盆明けは一緒に過ごした先祖の霊に送り火を焚き先祖の祖霊を浄土に送りました。

また今年はひ孫も2歳になり、一緒に迎え火を焚いてくれて両親も喜んでくれているのではないかと私は両親のことを思うと幸せなお盆を過ごさせてもらいました。

※仏壇の前で親が手を合わせて先祖供養する姿を子どもが見るのも教育効果として「感謝の心」という素晴らしいものを得るのではないかと思います。

特に今年のお盆は一方で私の人生の四季でもあり、前にふれました人生最後の遊行期であり、今までのお盆と大きな違いを感じ、これまでの人生を大きく振り返って私は意志的な思い(願望、意欲,信念,義務,正義感、祈り)からよく母親の語っていた「お天道様が見ているよ!嘘はつかない!」、父親の語っていた「利他の心」など両親の心豊かな人生を見て、先祖の霊によって守られての幸福に感謝しました。

そして同じようなこの思い出を過去から未来への大切な財産として、子どもから孫へと伝えていくことが私の役割だとお盆棚に飾った両親の写真に長い時間手を合わせて両親と語りました。

※戦中、戦後の食べるものがなかった時代の暮らしを両親がどのように5人の子どもを育ててくれたかに思いを馳せ両親に感謝しました)

最後になりましたが、こうした思いの中から菩提寺住職さんからお盆を前にして送って頂いた法話小冊子(遍照295号)に書かれていた言葉と両親が常に語っていた言葉から私の思いを以下に追記として書かせて頂きました。

追記

『住職さんから頂いた法話小冊子に書かれていた言葉』

住職さんは常に人間として最も大切なのは慈悲と利他の心であると話されており、私はこのたび住職さんから送って頂いた法話小冊子に経典の言葉から「生きとし生けるものの上に限りなき思いを持って、ただ慈心をそそげ」と母親が自分の命を賭してまで我が子を守るがごとく、生きとし生けるかぎりその思いをそそげと人間は慈悲深い心を持つことの大切さが書かれていました。

あらに法話小冊子に中に住職さんの友人が書かれた著作(慈悲心鳥)が紹介されており、私はその友人の素晴らしい著作の中を書かれていた社会貢献活動などを読んで他者を慈しみ、友人への思いやりの心が人間として心の大切さを強くするのだと感銘して、すぐ愛語ノートに書き留めるとともに色紙短冊にこの言葉(慈悲心鳥)を書きました。

※慈悲心鳥という鳥を私は見たことがありませんが、この鳥の鳴き声が慈悲心(じひしん)と聞こえることから霊鳥として崇められているそうです。この鳥の声を慈悲心(じひしん)と聞けるか聞けないかはその人の心にあると思います)

『私が父母の人生から我身を振り返っての論語』

私は『論語』を10数年学習してきましたが、今年のお盆にあたって両親への感謝の気持と両親がつねに語っていた言葉を忘れてはいけないと次の三つの論語を書かせていただきました。

■両親への感謝

●孔子曰く、君子は敬せざること無し 身を敬するを大と為す。 身は親の枝なり、敢て敬せざらんや。

私訳:両親が大切に育ててくれたこの身は親が木の幹とすると枝のようなものだ。人間は親に対する感謝の念を忘れないようにする。(我が身は親の形見である) 

■父の言葉から

●己に克ちて、礼に復るを仁と為す

私訳:私利私欲を慎み、真心から礼を尽くすことが仁である。(仁を失っては友を失う)

■母の言葉から

人の生けるや直。 これを罔くして生けるや、幸にして免るるなり。

私訳:人間は正直が一番である。不正直者で世渡りができてもた運がいいだけである。

~今日という一日を未来の糧にしよう~

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先祖に感謝しつつ会話しながら3時間かかって清掃した。

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    先祖を迎えてお盆棚

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  迎え火ひ孫が最初、私がその次
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 先祖に感謝しながら私は最後
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慈悲心鳥が我が家に飛んできて鳥の声が「じひしん」と聞こえるようにと筆をとりました。

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2018年5月16日 (水)

人生はその生き方ですべてが変わる(未来に伝えなければならないこと)

今日はあらためて処世訓を求める(学習)のため、何時もと違った今年に入って8回目の禅寺での座禅でした。

私は前にもふれました遊行期を過ぎた頃から、自分自身の人生を振り返って、過去と未来のつなぎ目に自分が生きているということを強く意識するようになり、5年前から月2回ほど自分を見つめ直し、人生の意義を見出し自己成長をするための修行の場として禅寺で座禅を始めるようになりました。

そして座禅で本当の自分を取り戻すため雑念や邪念をなくした「無心」になって人生の真理について何か心の中に気づくものを仏教の教えの中から頂いています。

今日ここに書かせて頂いた記事もこれまでブログに書いてきたことと重なる部分が非常に多くあると思いますが、今日の「座禅」からは「老いに生きる」ために今、何を学び、何を未来に伝えなければならないか?また数年前の旧制中学の同窓会でも次世代へ何を伝えていかなければならないかと「老いと役割(人生訓)」について同窓とも学習しましたが、このことも含めてもう一度、心を空っぽにして自身の心を見つめ直さなければならないと非常に長い記事になってしまいましたがその想いを書かせて頂いています。

私は特に今の世相に係わる課題(世相と高齢者の役割)を学習する時はつねに歴史からその智恵を学び、それがまた自分を知ることにつながると思っております。

この記事も今日一日が「未来の糧」となるとの思いから現世のストレス社会から理想社会の姿を思い描き、先人・賢人の智恵そして師友・心友との学びなどから自身の戒めともなる記事を書かせて頂きました。

私はブログをはじめて約10年、多くの師友・心友に支えられ、そして師友・心友からのお電話、メール・コメントまたお会いした事のない方からのコメントなどに励まされ感謝の心で思いをそのままにブログ記事を書いてきましたが、人生の節目だと思っている88の米寿まで後数年あり、このまま書き続けられるかどうかわかりません。(心身の健全にはつとめ、学習と社会貢献だけは続けたいと思っています)

こうした想いの中、これまで良き友と共に学び励まされ、私が日頃から最も心に感じている超高齢化社会・子ども教育など自問自答して学習してきた課題の中から特に若い人の未来に伝えなければ思う「心の課題」を以下に私の想うまま書かせて頂きました。

これからもご指導をよろしくお願いいたします。(重ねて大変長い記事になってしまったことをお許しください)

『先人の処世訓(人間としての生きる道)

人間は「一人では生きられない」ということに気づいていない人が非常に多くいるように思いませんか?、これも現世かな?毎日の報道を見ていると日本人の心はどしてこうなってしまったのか?との思いが強くなり、ストレス過多の今の世相に悲しくなることも多く、体調を崩すこともありますが、こうした想いから以下に儒教・道教・仏教など人間としての心を整えさせてくれる先人の処世訓から人生の大切な指針(意味ある人生とは?)の一つとしてもらいたいと載せました。

■菜根譚(中国の思想家である洪自誠の著作『菜根譚』の中に出てくる処世訓)

●「友と交わるには、須(すべから)く三分の侠気を帯ぶべし。人となるには一点の素心(そしん)を存するを要す」

私訳:人と交わるには自分を犠牲にしても相手に尽くそうとする「利他の心」がなければならない。世俗に流されない純粋な一点の本心を持つこと。

※人間として生きていく上で、自分の損得を顧みず弱い者のために尽くす力と純粋な心を持つことがなければ友人との誠の交わりはできないし、そして人としての成長は望めない。

■論語

●「徳は弧ならず、必ず鄰あり」   

私訳:徳を持った人間は孤立することはない。徳を持って生きている人には自然とその人を慕って多くの人が集まってくる。(徳は人としての基礎であり、身体からにじみ出てくる)(私の論語学習から)

※現世「徳」・「道徳」が軽んじられていることが悲しい。八方美人的な生き方からは徳は生まれない。私はこの言葉を直筆で掛け軸としています。(論語では八方美人は徳の敵とも言われている。

●「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」

私訳:道義を身に付けてれば、天と一体となった気持ちになり、何時死んでも良いと思うほど嬉しい。

※人生とは真理を求めて歩むことが一番大切で、人生の道(徳)を開くことができれば死んでも後悔しない。(師友S様は日ごろから徳を心がけることが大切であると常に語っており、S様の座右の銘でもあります。

■仏教の教え

●「利他の心」

私訳:自分のことよりも他者のことを考える思いやりの心を持つ。

※自分が得することだけを考えていると社会は良くならない。師友I様・Y様の座右の銘でもあります)

●愛語「ありがとう」人に対して深い思いやりの心から生まれる言葉

私訳:温かい心のこもった言葉がけを日ごろから心がけることが大切である。

※人の心を動かす言葉になり、相手の心に通じ、周囲の人にも温かい思いを与えることができる。師友K様の座右の銘でもあります。

『師友・心友の人間力に学ぶ』

私は多くの師友・心友の知的・善的生活習慣に触れるとその人間力に感銘し「生きてて良かった」と常に心に元気をいただいていますが、今日も座禅が終わり禅寺での長い時間の境内散歩の中で心に浮かんできたお二人の師友・心友の儒教・仏教にある五徳の心を常に持った善的生活習慣とその人間力に感銘した心の思いを次に書かして頂ききました。(仁・知・勇気)

■人間はあらゆる自我意識を捨てなければ。

私は「利他の心」で生きることの大切さを常に若い人に伝えなければと自身の心にも自問自答し自我を死滅させるよう「利他の心」を求めており、禅寺を訪れての座禅の中でも「正念と邪念」を学んでいますが、一方で現世を眺めると「利他の心」より「自我の心」が社会も企業も個人も強く、私がつねに願っている道徳を追い求めている心が薄くなっていることに、それに気づいていない人が多く私は憂いを感じることがあります。

今日はこうした現世に道徳を追い求めなければならないと邪念をなくすことの大切さを多くの人に伝えようと道元禅師の正法眼蔵の研究会を主宰しておられる師友(I様)の仏教哲学まで学習しているその素晴らしい姿に私は感銘しました。私は昨年EテレNHKテキスト(100分de名著)で「正法眼蔵」を学習しましたが、非常に難しくほとんどまだまだ理解できません。

そうした中、私たちの生活にも当てはまるのではないかと思う仏教の教えである四摂法(布施・愛語・利行・同事)について、私が今取り組んでいる課題に係る「利行:人を幸せにしないかぎり、自分の幸せは得られない」についてもI様のお話から学習させて頂きました。

■世相と子ども教育(仏の親は鬼、鬼の親は仏)

私の師友(弁護士I様)のブログ(喜怒哀楽)の記事を読んで、国の未来を心配して、嫌われる勇気・ぶれない心の軸で未来を担う子ども教育を思う記事を拝見して感銘しました。(現世の企業の社員教育にも通じるのではないでしょうか?)

この「仏の親は鬼、鬼の親は仏」という、この言葉はI様の祖母様が常に話されていた言葉で「子供を厳しくしつける親は、子供にとって良い親で、子供にやさしいだけの親は実は、子供にとって良くない親」と言うことではないでしょう?

怒る(親の感情のまま)と叱る(親の愛情を持って)は子ども教育にとって大きな違いがあると思います。

今の子ども教育をみると学校も親も知識だけにかたよって道徳を少しなおざりにしているのではないでしょうか?子どもの時代に道徳教育夢を語る教育にもっと力を入れないと平和国家など語れないのではないでしょうか?

I様の祖母様の素晴らしい言葉に感銘と感謝・感謝です。

私も母親から子どもの頃“お天道様が見ているよ”などとよく言われていました。これも親が愛情を持った子ども教育だったと思いますが、今これらの多くの言葉が死語となっています。(生きかえらせましょう!これも大人の責務です)

また私もよく地域でおじいちゃん、おばあちゃんにこんなことをよく話しています。

・お孫さんの教育でおじいちゃん、おばあちゃんの役割は非常に大きいのでないか?!

・子どもさんの目を見てください。その素晴らしい目を見ていると自分の心が見えてきまね!

最後になりましたが、私は5年前にも触れさせてもらいましたが、徳のある人を除いて大人には「性悪説」を子どもには「性善説」で「なぜ?」の視点で課題を見つけなければその真の答えは見つかりないと今でも思っており、その「なぜ?」には現世(ストレス社会なども含めて)の共通の原点があるのではないかと思います。皆さん一緒に学習しましょう。ご指導ください。

※私は自分を振り返った時、今、感謝している師は皆さん温かく「厳しかった」方です。また私は友人からは何も云わず「叱らず、怒らず」の人に育ててもらったと言う話を聞いたことがありません。

私は10数年前に師友(I)から論語学習に誘われ、論語を学習するようになってから藩校巡りを始め、昌平坂学問所、会津藩校日新館、水戸藩校弘道館、庄内藩校致道館、佐賀藩多久聖廟、足利学校など各地を訪ね「人づくり」を旨とした教育の原点を再発見しています。

『私の人生訓の基本』

私は先人・賢人の処世訓、そして師友・心友との学習などから人間としての真善美の心を求めています。(死んでも魂は生きていると未来に夢を描いていれば後世に残すべき自分の役割も見えてくる)

私はこうした知的・善的生活習慣を人生の指針にすれば「生きてて良かったと」と本当の生き方が見えてくるのではないかと人間としての私の思う人生訓の基本を以下に書かせてもらいました。(人生はその人の「生き方」によって決まる)

■私の心がけている人生訓

人間はどれだけ「利他の心」があるか試される時が必ずあります。そしてその心の持ち方で人の人生は決まると思っています。(「道徳と礼儀」・「利他の心」で計り知れない人生の喜びをおぼえる)

●自分の心に正直に問う(心を空っぽにすることで問うことができる)

●素晴らしい人を賛美できる心(人を讃美する心の人は恩送りする。その賛美する心を持たない人は恩送りができない)

●憎まれる勇気(正義・ダメはダメ)

●妬まない(妬む心は恥ずかしい)

●嘘は絶対につかない(心に嘘をついてまで、いい人になろうとしない)

●自省自戒する(自省自戒することで自分の心を磨くことができる)

●折れない心・ぶれない心軸を持つ。(仁・知・勇の人)

●「道徳と礼儀」で人を導けば人の道に外れることはない。

●師友・心友は宝

私はつねに多くの人に支えられて「今」があると思っており、自省自戒し自分の心を磨きながら同じ志を持ち、何でも話し合える友人(忘年之交:年齢の差は気にしない)との絆(私の宝)を大切にし、つねに師友・心友から人間力を学びながら心を磨くように努めています。

心の中に師友・心友を持つことは人生を豊にする源泉であり、人生の宝(財産)です。(縁と出会いの一期一会を大切にする。)

論語:直を友とし、諒を友とし、多聞を友とするは益なり。

私訳:博学で善的生活習慣(徳)、裏表がない、ダメはダメと直言してくれる心友を持つ。

※無欲無心で取り組むところに道は拓けると思っても現世は真善美の心がない人が多く伝えることが非常に難しい。会話の中に出てくるその一言を聞けばそれが判る)

『私の座右の銘』

前にも私の座右の銘について触れてきましたが、ここに改めて以下に「座右の銘」として書家に書いて頂いたもの、私が直筆で書にしたものをここに書きました。(掛け軸にしてあります)

●一期一会:前述の心友を持つ ※前述の「人生の宝」の通り。

●寧静致遠:誠実でなおかつこつこつと努力を続けないと、遠くにある目的に到達することはできない。(中国の葛諸葛孔明が自分の子供に書き残した言葉)

●安心(あんじん)

仏法の功徳によって、迷いがなくなった安らぎの境地を求める。

●隋喜功徳:※前述の「利他の心」の通り。

※六年前大学を卒業した孫の就職にあたって社会人として「会社のため・お客様のため、人のため」は、自分のためとこの言葉を贈る。

●「徳は弧ならず、必ず鄰あり」※前述の「処世訓」の通り。

●愛語“ありがとう” ※前述の「仏教の教え」の通り。

『私が感銘を受けた言葉』

私のブログ・カテゴリーから検索してみてください。(2002年から私が感銘を受けた言葉が書いてあります)

追記

『今の現世への想い』

最後になりましたが、私と同年代の著者が書かれた書籍の中からその一部ですが私も同じ今の世相への想いを書きました。

昭和からの遺言(著者が傘壽のしるしに書かれた昭和の生態)

著者:倉本聡 「昭和からの遺言」 出版社:株式会社双葉社

●卑怯な振る舞いは恥だった。卑怯な行動をとることは男として最もいやしいことだ、子供の頃から云われて育った。

●少年時代から培われてきた我慢という財産が灰になった。かくして日本中から我慢というものが失われた。

●この国が古代から培ってきた「わび・さび・雅び・奥床しさ」蓄積してきた一切の文化を放棄して傚然と眩しく、ひたすら眩しく。

●自分は今より豊かでなかったが 何となく今より幸せだった気がする。

●これまで云われた日本の論理感、節約が善で浪費が悪。その考えが180度変わって、今度は節約が悪になり、浪費するのが善になってしまった!

●笑いが深かった、涙が深かった、怒りが深かった、情が深かった、人と人のつながりが深かった。

●一家団欒のぬくもりが消えた、みんな都会いに去ってしまった。都会に去った若者たちはアスファルトとネオンの麻薬にとりつかれ、そこで勝手に増殖を始めた、残られたのは高齢者たちだけだ、それを世間は重大事と考えない何故だ!

●親に育てられた恩をさし置いて、恩を返すという義務を忘れた。

●こわれないものは作ってはならん、こわれたら直さず捨てなきならん、捨てて又すぐ新しいものを買う、直せば使えるのにと再び問えば、そしたら新品が売れなくなっちまう、捨てて又買う、 捨てて又買うです。

私がここに倉本聡様の著書を拝見して、私のどうしてもの思の次の記事をさらに再追記しました。

日本人は正義感があり、「弱きを助け強きを挫く」という気質があるのだと私はこの言葉を今でも信じて生きていますが、現世を見ると「強きを助け 弱きを忘れる」というこのような風潮が流れているのではと思ってしまいます。

全部ではないが「メディアも社会も」すべてが損得で行動し、弱い者には無理解(なぜ?)を忘れているのではないでしょうか。私はこの風潮を思うに日本人の心はどうなってしまったのか?と思います。

『私の今日の一日から』

今日は禅寺での晋山式の案内、本堂に掲げてあった言葉とまたこのたび買い求め読んだ倉本聡「昭和からの遺言」に書かれている社会の諸問題はみんな根っこが同じではないか、その(なぜ?)を思いから以下の写真を載せました。(人間には必ず何かの役割があります)
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道元禅師の正法眼蔵の研究会を主宰しておられる師友の師の晋山式を知って改めて師友に感銘しました。
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座禅が終わって本堂に掲げてあったこの言葉が今日のブログ記事につながった。

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    先人の処世訓(菜根譚から)
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     先人の処世訓(論語から)
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  師友の処世訓(贈っていただくた著書)
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今日の私の思いから身近な菩薩を写仏しました。
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  床の間に掲げている座右の銘の掛け軸
・寧静致遠:中国孔子の里で
書家に書いて頂いた。

・一期一会:中国北京の故宮で書家に書いて頂いた。

・安心(あんじん)菩提寺の住職さんに頂きました。

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  私が直筆して座右の銘としている言葉

~人間としての原点にもう一度かえって、我が推せました心を照らしてみましよう~

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2018年4月 9日 (月)

「徳を求める」(人間はいかに生きるべきか)

今日は師友(S様)から講演会(人間として「徳」を求める)のご案内をいただき、私は「徳」を求める心を共有いている心友(K様、Y様)ご一緒に講演会に参加させていただき徳を求める心の素晴らしい講演をお聞きすることができ、感銘すると共に多くの心の学習をさせていただきました。

私にとってこの度の講演会は講師(S様)が体調を崩し、快復されてから一年ぶりの再会ができたこと、また講演会の質疑から会場に来られていた素晴らしい多くの方(感謝の心、思いやりの心、自立の心など道徳教育に携わっている)にも講演会が縁でお会いできたこと、さらにこの講演会に一緒に参加してくださった心友(K様、Y様)からも素晴らしい学習ができたと喜んでいただいた事など私がこのブログを開設したときの想い(徳の心無くして幸せなし)や遊行期を過ぎた私の心の願いなどとが重なり、非常に長い記事になりましたが、このたびの講演のお話を通じて感銘し、感謝の心を書せて頂きました。

前にもふれましたが講師(S様)は儒教を道徳規範として20年数年にわたり学び、研究し、心豊な子どもさんを育成したいと「子ども論語教室」を開設し、私はその20周年記念講演会にも参加させて頂きましたが、その時の講演でも人間が社会生活において守るべきは「徳」を身に付けることが非常に大切であるとのお話を伺いました。

このたびの講演でも長年「論語」で身を修められた講師(S様)が現世を思い人間は如何に生きるべきか?とそのため如何に人間力を高めなければならないかとのお話の中で、徳が非常に薄れた現世においても通じる貝原益軒の「養成訓」のにある「徳の心」についてのお話があり、その心の持ち方を論語が教える数多くある名言の中から自分のためでなく、今を生きるすべての人に論語の一句でも学んでほしいとS様の講演を感銘してお聞きしました。本当に素晴らしい講演会でした。

私はこうした講演をお聞きしながら、「自分の人生はたしてこれで良いのか?」と遊行期を過ぎた人間として生きる意義、役割、天命などさまざまな感じるところがあり、「徳」は人間にとって一番大切で、ただ生きるだけでなく善に生きることで、他者のために最善を尽くし、つねに「人に感謝する心」「人を賛美する心」「利他の心」「反省する心」を持つことだと思い、その心が自分の視野をさらに広げ、人間はいかに生きるべきかと徳の心を求めることにつながるのではないかと思いました。

そして人間は生きると生かされているとの違いはその徳の心に気づくことができるか?できないか?ではないかと思いました。(現世は社会も企業も個人も「徳の心」が非常に薄れているのが私は悲しく残念でたまりません)

以下、私自身の人生力をより高めなければとの思いとあわせて特に未来を担う若い人に何十年後までは考えられないと思うかもしれませんが、未来を考える視点を持って自分に恥じない生き方をしてもらいたいと今日の講演の一部と私の思を書かせてもらいました。

※私たち高齢者の多くはそれらの課題(超高齢化社会・平和な社会・子どもの教育など)を真剣に考えてこなかったのではないか?と自問自答し大いに反省して若い人に「今、何が大切?・今、何をすべきか?」を伝えなければならないと思いました。

『講師の素晴らしい講演』

講師(S様)が講演の中で人間が社会生活において輝いて生きるために守るべき規範として話された「徳」についてその一部を以下に書かせていただきます。  

■徳力を養う論語の名句から

天命を知る(為政篇)

訳:人間にとって人生の節目、節目にあるのが天から与えられた使命(徳)であり、天命を知ると言うことはとても大切な事である。

※「天命を知る」とは仏教の悟りを得るここと同じで、その使命を自覚するということで、反省して人間は成長をする。

天命を知らざれば、以て君子たること無きなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。(堯曰篇)

訳:天命を知らなければ人を指導・育成する資格はない。礼儀・礼節を知らなければ、人の上に立つことはできない。

※人間としての徳の志を持つことが大切さを知ること。

●忠信を主とし、義に徒るは、徳を崇くするなり。(顔淵篇)

訳:人格を高めるためには、心の中には忠信という誠の心を常に持ち、外に対しては道義にあった行動すれば人格を磨くこととなり徳が高くなる。

※誠実を根本におき、義を規範とする。

●事を先にして得るを後にするは、徳を崇くするに非ずや。(顔淵)
訳:自分の利益よりも自分が行わなければならないことを先に実行することが自分を磨くことになる。

※自分に対しては修めて厳しく自問自答し、他人に対しては、「仁」を持って接することを心がける。

●君子は義に喩り、小人は利に喩る。(里仁篇)

訳:君子は、物事を判断するときに、まずそれが正義にかなうかどうか判断するが、小人はまず自分の利益になるかどうかで判断する。

※ 人の心は弱いもので、つい目先の利益で物事を判断してしまう。君子は徳のある人、小人とは徳のない人である。

君子和して同ぜず小人同じて和せず(子路篇)

訳:学徳のそなわった立派な人間は私心がないから道理に沿って和合しうるが、不合理なことには付和雷同しない。私私欲がある人間は利を見ては雷同し協調はしない。

※私利私欲から離れているか、人のため社会のため成っているかと反省しながら行動する。

●義を見て為さざるは勇なきなり。(為政篇)

訳:人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ。
※「義」は儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つで、筋道の通った正しいことを行う。

正義と知りながら自分の利益を考えて正義を行わないのは、真の勇気を欠く人間である。

●徳は弧ならず、必ず鄰りあり。(里仁篇)

訳:徳のある人はけっして孤立しない。必ず理解し協力する人が出てくる。

※徳を求めるとは、人間が生れながらにして持っている人間の本性(利他の心)に従って正直に生きることである。

●道に志し、徳に拠り、仁に依り、藝(日常の活動)に遊ぶ。(述而篇)

訳:素晴らしい人間とは人の道を志していなければならない。次に徳(人格)が優れ、仁(思いやり)があり、そして日常の活動にゆとりがあり、そして、六藝に通じてゆとりのある人物が理想である。

※人間は「徳」を追い求めなければならない。その徳と仁は人の心情で、そして直ちに行為となって外面に現れる。
●苟しくも仁に志せば、悪しきことなし。(里仁篇)
訳:他人を思いやる心さえ忘れなければ、悪い心を抱くことはない。

※仁に生きようとすればその心に悪は生れない。

君子の道なるもの三つ。仁者は憂へず、知者は惑はず、勇者は懼れず。(憲問篇)

訳:人格者としての条件は「知仁勇」である。仁者は悩まない知者は迷わない勇者は恐れない

※自分の才をことさら宣伝する人間は世間から嫌われる。

故事成語と漢詩漢文の名言(易経から)

●「積善の家には必ず余慶あり」

善の徳を積んだ人には自分だけでなく徳が周囲の人・子孫にまでも喜び事が必ず生まれる。

※私は心友の家族を思う心に感銘して前にこの故事成語を書にしたことがあります。

■克己心の人(武士道から)

自分の欲望などに打ち勝つ心(自制心)を持つこと。

最後になりましたが、私は多くの師友・心友から処世の道となる「心の健康」につながる人間としての価値観や生き方など善的習慣から「徳」を積むことを学んでいますが、今日もまた師友(S様)から人が幸せになるために大切な「心に徳を持つ」ことの素晴らしいお話お聞きしました。また素晴らしい師を持つ幸せと共に今日の思を以下に追記しました。

追記
『自分の心に向き合って、徳に輝いて生きる』

■「師友とのつながりが生む勇気・感謝」

師友との「徳」を求める心の共有に感謝と勇気を頂いて次の直筆の書を書きました。

●四海兄弟(論語の四海の内皆兄弟なり)から(顔淵篇)

人に対してはうやまう気持ちを持って礼を忘れず接していれば、誰とでも師友・心友となれる人との信頼・絆が世界平和にもつながる)

●水魚之交(故事成語から)

「魚は水があってこそ生きていられる」という故事成語で人間は一人では生きていけない。(水と魚のように切っても切れない親しい心友があって自分があることを忘れない)

●清風朗月

鶴岡八幡宮の境内の神苑牡丹園を師友・心友(K様、Y様)と3人で見学し、自然の美を楽しみ、人間がその自然と共存して生きることの大切さとまた新たな勇気を頂きまいた。(S様の漢詩を吟う心から)

■「私の座右の銘」

私の人生訓とし人生の「自分の戒めのためにいつも心にとどめておきたい言葉」として先人・偉人の人生訓、書籍などを読んで「座右の銘」にしていますが、このたびの学習からあらためて次ぎの人生訓・座右の言葉(私訳)を掲載しました。

●温故知新(故きを温ねて新しきを知る)

先人・賢人から「知」学び人間は成長する(先祖を崇拝することも師友・心友の言葉も同じではないかと思います)※直筆で掛け軸にしている言葉。

●随喜功徳

人の幸せを自分のことのように共に喜ぶことが、一番の功徳(修行になる素晴らしい行い)につながり、他人に対する思いやりを持つことが大切である。

※直筆で掛け軸にしている言葉
 
●徳は孤ならず、必ず隣有り(講演でも説明にもありました)

何物にも屈しない道徳的勇気を持つこと。その徳の欠けている人間には心友はできない。※直筆で掛け軸にしている言葉

●一期一会

家族・師友・心友の出会いは宝である。(正しい人の道を学ぶ師を持つことは幸せである)

※私は心豊な生き方と勇気をもらっている。

■心豊な生き方を求めての私の学習している課題(徳に輝いて生きる)

●三省「反省する心を持つ」(後悔しない生き方をする)

師友・心友と「感謝の心」、「思いやりの心」など若い人への道徳教育への課題を共有していまおり、自分の言動・行動を自問自答し振り返っている。

※小さい子どもさんの目(私は孫の目、ひ孫の目を見て反省する)

●正しい人の道を学ぶ師を持つ幸せ。(心豊な生き方と勇気をもらう)

●心豊な生き方(道に志し、徳に拠り)

●人間に生まれ心から喜べる幸福(生きてて良かった)を追求する。死んでも魂は生きている。それが本当の幸せではないか?)

●生まれ持った善的資質を更に磨き、後悔しない人生を送るのに必要だと思う。
 善因善果、悪因悪果、自因自果(善い種をまけば幸せな運命が現れる。悪い種をまけば不幸になる。自分のまいた種は自分が刈り取らなければならない。
 『今日の思いから』
 
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  S様が開館した論語会館の玄関
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人との信頼・絆(子どもの教育への思いから)

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        師友・心友へ感謝から
 
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              S様の詩心を思い
 
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      神苑牡丹園を散歩して(自然の美)

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師友・心友への感謝の句(庭のふじ棚を見て)
~師友・心友の一期一会による絆は私の宝である

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2018年4月 1日 (日)

潅仏会(花まつり)

私の菩提寺では4月1日 から4月8日までが花まつりで、今日は私と弟二人で菩提寺を訪れ、本堂前に設けられた、綺麗な花でかざられた花御堂内の潅仏桶に置かれお釈迦様の誕生仏に甘茶を灌いで誕生日をお祝しました。

私は毎年、花まつりには菩提寺を訪れていますが、今年は住職さん・奥様から仏教・先祖につて少し長くお話を伺うことが出来、また参拝に来られていた方とも「お寺参りと私たちの心」などの会話があり、例年の潅仏会とは何かが違いました。

お釈迦様がお生まれのとき左手で大地を指さして言われたという「天上天下唯我独尊」という言葉を思い出し、よく仏教書などの書かれている「この世に自分という存在は自分一人、悔いなく生きるべし」の意味の言葉に私は生かされている自分を感謝しながら自省自戒しました。

私と弟はその後、先祖・両親のお墓に行き、お釈迦様の誕生日のお祝に来たことを報告し、そしてまた菩提寺の潅仏会にあわせて客殿で開催されている書・画・焼物・手芸展を拝見し、出展されている住職さん・奥様の作品(書の言葉)また地域の皆さんが出展されている素晴らしい一つひとつの作品に何か心から心へ伝わってくるものを感じつつ客殿を後にしました。

そして私と弟は菩提寺恒例の手打ちそばを頂き、ボランティアの皆さんにも感謝しつつ帰宅しました。

(お釈迦様の誕生日は4月8日ですので、その時はまた弟と二人で菩提寺を訪れ、住職さんから生かされている自分に感謝するための心を磨くお話をお聞きしたいと思っています。)
『今日の一日』

菩提寺の潅仏会
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 本堂にお釈迦様の誕生日のお祝い祈願
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     本堂前の花御堂

潅仏桶に置かれお釈迦様の誕生仏に甘茶を灌いで誕生日をお祝しました。かざられたお花一つひとつに自分の姿を見つめ直しました。

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     境内の見事な桜
■客殿で開催されている書・画・焼物・手芸展等

●菩提寺

「住職さんの言葉」
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   真言宗の言葉 悟りの境地を求めていく
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自分の心と真に向き合い、雑念や邪念を持たず悟りを得る道を見つける

「奥様の書」
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         摩

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         懐

●地域の皆さんの作品
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      雨過十生香
 
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         群楽
 
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       不動明王

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         合掌
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       水車小屋
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        道の草
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       立春の頃

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    無事なる風景 房総の
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         焼物

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       手芸作品
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      銅版作品(戌)
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     「愛語」ありがとう

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2018年3月18日 (日)

春彼岸(先祖・両親に感謝と誓い)

私たち家族は元旦、春や秋のお彼岸お盆・故人の祥月命日・年末などは菩提寺に先祖・両親に感謝と報告を兼ねてお墓参りをしていますが、私は年々墓前で両親と対話する時間が長くなっているように思います。

今日はこうした思いの中での春の彼岸の入り、私たち夫婦は弟夫婦と菩提寺を訪れ、極楽浄土にいる先祖・両親への感謝と遊行期に入っている私の新たな誓いを伝えると共に家族との絆がより深められたお彼岸になり、今の自分が如何に心豊かに幸せな人生を送らせてもらっているかに感謝しました。(娘夫婦も少し後でお墓参りし、私と同じ想いで先祖供養をしてきてくれました。感謝・感謝でした。)

また私は菩提寺の住職さんから元旦・お彼岸・お盆など仏教行事の前に人間として後悔しない幸せにつながる真理が書かれた小冊子を送って頂いており、自分自身の日頃のことを振り返るようにしていますが、このたびお彼岸を前にして送って頂いた小冊子からここでお彼岸とは?について少し書かせてもらいました。

私はお彼岸を迎えると現世を生きる私たちにとつての現世(此岸)と来世(彼岸:極楽浄土)を思い浮かべ心に「感謝の心」「利他の心」を持ち自分を省みて、あらためて両親の言葉(お天様が見ている)に努力する事を誓うのがお彼岸だと思っており、このたび住職さんから頂いた小冊子に書かれていた六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)についても「人間として心の中に眠っているその意義を探ってみようではありませんか?」でした。

私はこれまでも六波羅蜜にふれてきましたが、このたびの住職さんの問いについてお彼岸を考えるとき来世に目を向けて現世で今一番欠けていると思うのは6つの徳目の1つである「布施」ではないかと思います。

お布施とはお寺に供養して頂く時のお金だと思っている人もいますが、 必ずしもそういうことではありません。お布施とは他者へ施すことで“ありがとう”という言葉も電車の中で身体の不自由な方、高齢者に席を譲るのも私は「お布施」だと私は思っており、この人を思いやる心(利他の心)が今一番欠けていると思います。自分にできるお布施を実行して、人の役に立つことを考えましょう。この徳目が欠けていては真の心友はできず、幸せはない。(布施の大切さに気付くこと)

※私が今一番欠けていると思うのは人間としての生きる基本である人を思いやる心・人を賛美する心・人を妬ない心・嘘をつかない心ではないかと思います。常に自己反省することで自分を成長さすことができます。

私はお彼岸(悟りの世界)に到るその徳目を意識して実践しなければとあらためて多くの反省をさせられました。 

■最後になりましたが私たちを浄土から見守ってくれているお蔭で今の自分があり、その先祖・両親そして家族に感謝して次の俳句を作りました。
『題:感謝』
・菩提寺に 先祖に感謝 彼岸かな (家族の絆・家族の健康に感謝して)
・夢に見た 孫の成長 妻語る (結婚した二人の孫の成長に感謝して)
・ひ孫顔 家族に感謝 ひな祭り (私たち夫婦はこの幸せを先祖・両親に伝って)

今日の私の一日
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      禅寺の伝道掲示板
お彼岸前に禅寺の座禅で「あるがままの自分になる」
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   墓前で両親に六波羅蜜を誓う
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          写 仏
来世の望みを聞き入れてくれる弥勒菩薩様

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2018年3月 3日 (土)

絆は幸せをつくる(家族の絆・心友との絆)

日は何時もより少し早く目が覚めました。何故?わからない。

そのまま起きて朝風呂へ入り、今日は“ひな祭り”でる。また昨夜は心友(E様)との会食で心の豊かさ、笑を求めるお話など色々と学ぶことできました。

そんな想いの余韻を胸に抱いたまま別れて帰って来たなあ~とそれぞれ家族との絆・心友との絆など思い出しながら風呂な中で心に浮かんだことを記事に書かせもらいました。

『家族との絆』

もうすぐ先祖への想いに馳せる家族の絆をより深めるお彼岸です。

その家族との絆についてはお彼岸に書かせて頂き、今日は「ひな祭り」のひ孫への思いから俳句を1句作り家族への感謝の一日にしました。

『心友との絆』

心友(E様)とは2ヶ月に一度は食事・懇親などでお会いしていますが、昨日の懇親では何を話したか?わからないぐらいお互いに笑いの中で子ども、孫、ひ孫のなど家族の話が多かったように思います。

一方「絆は幸せをつくる」についてはE様から多くの方との絆についてのお話があり、今、その絆にどれだけ助けられているかわからない、またその絆について自分がどれだけ善的習慣の中で人を妬まず讃美する心がなければとも話されており、私もE様と絆で結ばれている方を何方か知っていますが本当に素晴らしい方ばかりです。本当に自分を助けてくれているのは大切な方との絆ですね!(現世、今一番薄れているのは絆を生む心ではないでしょうか?)

私も学生時代の同窓、職場で知り合った仲間、旅での出会いの友人、地域のふれ合いの中での友人、など一期一会の心から生まれた出会いが絆を通して幸せが生まれてくると思っており、今日はそうした思いの中で、離れていてなかなかお会いすることができない方もおりますが私もE様も同じ想いで絆について語り合えました。

私は幸せです。E様ありがとうございます。

最後になりましたが、昨日の心友(E様)との会話の中での想いから絆に感謝して、故事成語の中から「絆に関わる四字熟語」の「水魚之交」魚は水があってこそ生きていられるという人間にとっても友との絆の大切を感謝して筆をとりました。

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 居酒屋でE様と絆について熱く語る
 
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 「絆に関わる四字熟語」に筆を取る
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   ひ孫を思い浮かべての1句







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2018年2月14日 (水)

花は誰のため咲く(無心で咲くから美しい)

今日は上野東照宮ぼたん苑の冬ぼたん鑑賞と禅寺での座禅に出かけました。

はじめにぼたん苑を訪れ、その華麗に咲き誇っている牡丹に魅入り、禅語の中にあるように「百花春至って誰が為にか開く」の心を思い出し、また苑内の奉納俳句板で冬ぼたんを鑑賞し、奉納した皆さんの句に詠まれたその想いなどをい浮かべて、今日は何かいつもと違った心の座禅を経験した一日でした。

『百花春至って誰が為にか開くの言葉から』

この言葉は「誰のために花は咲いているのか」と自分を自問するための禅語であり、この言葉は私たち人間も花が咲くように自然のまま「無心」に生きることが大切だと教えています。(人間は社会に役立つために生きなければならない)

ぼたん苑内の奉納俳句から』

私は奉納俳句から世界を、来世を、先祖を、家族を、友人をと人間として「今を生きる」を強く感じました。

昨年も 師友(K様)と上野東照宮ぼたん苑を訪れましたが、K様と外国の方との会話を聞いていて人間は社会や思想に関係なくその美さにうたれる心は皆さん同じだと感銘しました。今年も多くの外国の方が来ていましたが、その思いは皆さんも同じだと思いまいた。

『今日の座禅・禅寺の伝道掲示板から

私は本当の自分を求めるために座禅をし、その静寂の心で「無心」になって、心を豊かにしてもらっているのではないか思っていますが、今日は前述の禅語の「百花春至って誰が為にか開く」とまたぼたん苑内の奉納俳句そして禅寺の伝道掲示板の円相の言葉などから、これからも生きていく時間を利他の心の信念が守れるよう祈願しました。無心になることでのストレス解消効果もあると思います)

~今日は自分の生き方(死んでも魂は生きている)をまた再発見した一日~

『私の今日の一日から』
 
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       上野東照宮ぼたん苑
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       私が何かを感じた牡丹(1)
 
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       私が何かを感じた牡丹(2)
 
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      ぼたん苑内の奉納俳句掲示板

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        鑑賞者の私と同じ思いの句(1)

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     鑑賞者の私と同じ思いの句(2)
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    鑑賞者の私と同じ思いの句(3)
 
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       禅寺の伝道掲示板言葉
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       自宅へ帰ってからの写仏
仏像と目を合わせながら無心で「
写仏」今日一日の煩悩を救ってもらう。

追記

今日私が奉納俳句に投函した一句

●寒ぼたん 心に元気 ありがとう

 

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