2017年9月 8日 (金)

「正師を得ざれば学ざるに如かず」(師友は宝・誇り)

私は一期一会の縁で多くの師友・心友に学び支えられて、人生の日々を送らせていただいており、多くの師友・心友は私の宝であり、誇りだと思っています。

私はこうした感謝・感謝の思いの中、多くの賢人がこの言葉から学んだといわれている道元禅師の「正師を得ざれば学ばざるに如かず:素晴らしい師のもとで学んで欲しい」という教えにあるように人間は志があれば尊敬すべき師に必ず出会うとことができ、人生を豊かにしてくれる師の大切さを実感できるのではないかと思っています。

※この言葉は道元禅師の「正法眼蔵」を学習している師友・心友がつねに語っています)

私はこうした思いの中で10年前に地域活動でお一人の弁護士先生(I様)に出会い、人間として「心の正しい磨き方」など多く学習させていただいており、今日はその師友の弁護士先生・スタッフ(S様)との学習でまた反省と勇気をいただき、その想いを記事に書かせていただきました。

正しい良き指導者を得る事の大切を件名にしました。

■『今日の学習』から
人は尊敬の念を師友に持つことで正しい心の磨き方を学ぶことができ、人生を豊かにしてくれます。
●喜怒哀楽の心(喜び・怒り・悲しみ・楽しみ)を大切にすることができるのが人間力である。
※人間はどれだけ
感動することができるか?そして怒りさえ「力」に変えてくれるのが喜怒哀楽の精神である。
「なぜ」により課題の真の原点を見つけることができる。
「なぜ」こんなに毎年自殺者が多いのか?
「なぜ」こんなに児童虐待がおこるのか?
・親が子どもを子どもが親を「なぜ」殺めるのか?
など「なぜ」、「どうして」と私は日々心に悲しみを感じています。これが現世の日本社会が抱えている課題であるが「なぜ」からその真の原点を見つけようとしていない。原点は共通しているのではないかと思う。

●自分の宝となる財産(師友・誇り)はすべて「利他・仁義」からはじまる。
●ダメなものはダメで「嫌われる勇気」を持つことの大切さを知る。
※八方美人(調子のいい人間)は徳の敵
最後になりましたが、弁護士先生との論語学習の中から私の想いを筆(書)にしました。

■私の想いの筆(書)
師友を求めることの大切さ
 
1
●君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む(衛霊公篇)
 素晴らしい人は責任は自分に求める。小人はすべて他人に押し付ける。(責任を逃れをしても得るものはない)
 
2
●知者は惑わず仁者は憂えず、勇者は懼れず(子罕篇)
知・仁・勇を備えてこそ人格者である
師友を求めるための自身の志
私は次の「人能弘道」・「三省」がなければ師を求めることはできないと思います。

 3

人能く道を弘む。道人を弘むるにあらざるなり。(衛霊公篇)
人間は努力することで道徳が広まり、人の道が描ける。
※1.人間は徳がなければ「人生の幸せがない」と私は思っています。
※2.私の論語の学習で訪れてた藩校巡りの中で水戸藩の藩校もここから「弘道館」の名が付けられたそうです

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●吾日に吾が身を三省す(学而篇)

志・初心を忘れていないか、自問自答し、一日に何度も反省せよ。
※1.省の精神に気づき人生を振り返ろう。
※2.私は毎日の行動を三か条に照らし、深く反省することにしています。
師友・心友は自身の宝、誇りです

 

 

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2017年8月15日 (火)

2017年お盆・先祖と家族に感謝(両親とも語る)

今年のお盆入は菩提寺に弟夫婦と私たち夫婦4人でお墓参りをし、墓石や花立ての掃除を行った後、両親を偲び冥福を祈るとともに家族が無事に暮らしていることを報告・感謝しました。(娘夫婦は少し遅れてお墓参りをしてくれました)
そして先祖の迎えは精霊棚を作った仏壇に弟の家族と私の家族で迎え火を焚きき先祖を迎え、それぞれ家族が仏壇に手を合わせ、先祖へ日頃の感謝を伝えたり、日常生活の報告をしました。
私は毎年お盆にはこうして親族が多く集まれたことの幸せを先祖に感謝しようと今年も娘の手料理を含めて食事会を開き、そして歓談の中でそれぞれが自身の善的生活習慣の中から人間として大切な事は何か?などを語り合い、私は親族が子どもの教育を含めた理想を語っているその姿に人間の理想である「真善美」を強く感じたお盆でした。
そしてお盆明けは休日でなかったため弟夫婦と私と妻だけで、両親への送り火を焚き両親に感謝しつつ御霊の見送りをしました。
また私は遊行期を迎え、今年は今までのお盆とは違い、前にも記事の中で触れましたが座禅の中で自分自身を見つめ「自分の人生を悔いなく」について自問自答したことを送り火の中で両親と語り、以下に心に残った言葉を書かせていただきました。

『人間は人間らしい生き方をする』
現世、人間が人間らしいく生きる社会の原点を損得だけを求めている人が多く、何かが大きく崩れていると思いました。皆さんは?
以下、こうした私の想いをいつも見守ってくれている両親の言葉から自分自身を見つめ「悟り:何故生きているのかに気づく」ともいえる次の言葉を心に刻みました。
■両親が生き様から強く語っていた言葉
●人間はなんで生れてきたのか?神仏から何らかの役割を与えられている。
※未来のある若い人に自分は人のため役に立つ何かがないか考えることを伝えること。
●後悔しない人生とは一期一会という思いで生きること。
※「一期:一生涯に」「一会:一度かぎり」と思って行動すること。
●人間は多くの人(家族・師友・心友)に支えられていることに感謝する心を持つ。
※感謝することで何かが生まれる。
仏教には忘己利他という(自分の幸せだけでなく人の幸せも考える)という言葉がある。
※幸せを求めるときは自分の心に問題がないかに気づくこと。
■私の自問自答
●みんなが幸せになるために先人・賢人の智慧を学ぶ。
●人が喜んでくれることは嬉しいことであり、また自分が嬉しかったことは周りの人にも伝えること。(前にも触れた人間として一番大切な恩送りです)
●豊な心を持っていれば心は折れない、目標や目的意識がしっかりしていれば夢は実現する。
※1.夢を実現するには自問自答(反省しながら)のみ生まれる。
※2.心を磨けば本当のことが見えてくる。

追記
本来模範となるべき立場にある人間が「人の道に」あるまじき事をしていては、子供達に素直に育てとは言えないのではないでしょうか。私も振り返って大いに自らもしっかりと襟を正すべき反省をしました。
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     先祖に報告・感謝
 
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     先祖を迎えた精霊棚
 
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  親族で「迎え火」を焚き先祖を迎える
  
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両親に感謝しつつ麻幹が消えるまで御霊を見送る
 
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庭に先祖を迎える提灯として咲く「ほおずき」 花言葉:心の平安
 
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  私が先祖を敬う花と思ってるユリ
 
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 ありのまま自分の心を大切にしよう!
喜ぶ時は喜び、悲しい時は悲しむ、(喜怒哀楽)が
人間らしい生き方をではと母を想い筆をとりました。

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2017年8月 6日 (日)

広島平和記念式典(市長の平和宣言・小学生の平和への誓い)

今年も第72回目の広島原爆死没者慰霊式・平和祈念式が被爆者や遺族そして多くの外国の代表が出席する中で行われました。

私と妻はテレビの前で8時15分から1分間黙とうし、そして広島市長の「平和宣言」とこども代表の「平和への誓い」を読み上げる姿とその言葉に戦争には勝ちも負けもなく、多くの悲惨な悲しみを残すだけで戦争の理不尽さを日本人として、何より人間として、戦争を繰り返してはならないと平和の尊さを戦中、戦後を体験してきた人間として私たちはもっと発信していかなければ強く思いました。

私は広島平和記念式典を毎年テレビで拝見し、その時の思いをブログに書かせていただいていますが、今日は広島市長の「平和宣言」とこども代表の「平和への誓い」の中から強く心に感じた言葉を書かせていただきます。
■広島市長の「平和宣言」
●被爆者の声として紹介
地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲ぶと今でも耐えられない気持ちになります。
「一人一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか。(私たちにも問い掛けていると思います)

●日本人としての平和への思い
・今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。
・日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実を強く求めます。
私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

■こども代表の「平和への誓い」
平和への誓い
原子爆弾が投下される前の広島には、美しい自然がありました。
大好きな人の優しい笑顔、温もりがありました。
一緒に創るはずだった未来がありました。
広島には、当たり前の日常がありました。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、広島の街は、焼け野原となりました。

広島の街を喪ったのです。
多くのいのち、多くの夢を失ったのです。
当時小学生だった語り部の方は、「亡くなった母と姉を見ても、涙が出なかった」と語ります。感情までも奪われた人がいるのです。大切なものを奪われ、心の中に深い傷を負った広島の人々。
しかし、今、広島は人々の笑顔が自然にあふれる街になりました。
草や木であふれ、緑いっぱいの街名なりました。
平和都市として、世界の人に関心をもたれる街となりました。
あのまま、人々があきらめてしまっていたら、復興への強い思いや願いを捨てていたら、苦しい中、必死で生きてきた人々がいなければ、今の広島はありません。
平和を考える場所、広島。
平和を誓う場所広島。
未来を考えるスタートの場所、広島。
未来の人に、戦争の体験は不要です。
しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。一人一人の命の重みを知ること、互いを認め合うこと、まっすぐ、世界の人々に届く言葉で、あきらめず、粘り強く伝えていきます。
広島の子供の私たちが勇気をだし、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。
平成29年(2017年)8月6日
【子供代表】
広島市立大芝小学校6年 竹舛直柔
広島市立中筋小学校6年  福永希実

※こども代表の「平和への誓い」は私の地方では全文が新聞に載りません。広島にお住まいの師友に広島の地方紙に掲載された全文をメールで送っていただきました。

私たちは平和について、戦争の理不尽さと多くの悲しみを残すだけだともっと発信していかなければと戦争を戦中、戦後を体験してきた人間として強く思いました。
追記
●私の市では次世代を担う市内の中学生に平和の尊さを深めてもらおうと平和大使として広島平和記念式典への参列をはじめ被爆関連施設の見学や平和推進活動に取り組む広島の中学・高校生との交流をしています。また各平和大使の通う中学校では全生徒が折った鶴を千羽鶴として献納してきたそうです。私は本当に素晴らしいことだと感謝しています。

●「政を為すに徳を以ってす」
「論語」に次ぎのような徳で国民を治めるという言葉があります。
・政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰の其の所に居て、衆星のこれに共うが如し。
私訳:徳の深い政治を行なえば、国民はその徳を慕って、為政者に従うだろう。

※徳で国民を治めればその理想が現実を変えてくれる。信念を持って、それを実現しようとしている政治家が多く生まれることを祈ります。

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2017年8月 2日 (水)

自分らしく生きる人生(ありがとう・感謝・三省)

今日はお盆を迎えたとき「両親と語りたい」と思うことを書かせていただきまいた。

私は寺院を参拝し、お寺の境内を散歩するだけで不思議と心が安らぎ、また本堂に入って手を合わせると煩悩が一つ消えてなくなったように思え、そしてものごとを正しく成熟した人生をつくる習慣が少しまた新たに生れるような気がしてきます。

私はそうした思いでつねに寺院を参拝していますが、人生の遊行期を過ぎてからはただ年齢だけを重ねているだけではないか?人生これでいいのか?と思うようになり、両親がつねに語っていた「自分らしく生きる人生」を自問することが多くなりました。

今日はそうした思いの中で、まもなく両親を迎えるお盆を前にして、親の生きざまから現世の課題、また今の「自分の人生を悔いなく」などについて両親と語ろうと禅寺を参拝し、椅子座禅の中で、何時もより長い時間を自問自答してきました。
※この禅寺は私が尊敬している師友・心友(I様、Y様)が道元禅師の「正法眼蔵」を学習している禅寺で、私も月1~2回は椅子座禅に参拝しています。

『今日の学習:自分の人生を悔いなく生きる』
私は喜寿を迎えたとき「生きてて良かった」と思える人生記録を残したいこのブログを開設(9年前)し、自分は何のため生れてきたのか、そして何をすべきかを自分に日々問い続けています。

今日は座禅の中で遊行期に入ってもう一度「生きてて良かった」?を反省し、あらためて自分に問いを出して「自分の心からの答え」を聞き、自分がどれだけ無知であるかを思い知らされましが、人間は誰でもこの世に何かの役割を持って生を受けているのだ!年老いた私でも「自分らしく生きる人生」について、少しでも若い人に役に立つことがないか?と先人・賢人の言葉(智慧)と師友・心友との学習から「今日という一日を心に刻む意義」を年老いた人間として次の世代へと伝へなければと思う「心を豊にする」その原点を今日の自問から少し長くなりましたが書かせていただきました。

■人間はどういう心がまえだと「生きてて良かった」と思えるか?
●いつも「ありがとう」と言う感謝の心を抱いて毎日を生きることの大切さを知る。

※1.人生の幸せは感動・感謝なくしてはない。私の「生きてて良かった」と思う人生は「ありがとう」の言葉と隋喜功徳が原点です。

※2.生き方は誰でも顔に出ます。人間は誰でも同じではないでしょうか?

※3.自分を信頼してはじめてどう生きたらよいかがわかる(自身の心に問いかける)

●仏教の教え「利他の心」を心がけた生き方をしていれば幸せは巡り巡ってくる。
・私は人間にとしての価値は「思いやりの心・感謝する心」が自分自身の心の中にあるか、ないかで、人間としての幸福か不幸かもその心の持ち方で決まるのではないかと思っています。
●自分を支えてくれているのはだれか?を知る。
・自分が生きているということは、これまで生きてこられたのは誰か支えてくれているからです(家族・心友)

※1.人間は神仏のお陰で出会うべきして人と出会っており、禅の言葉にも「我逢人」という出会いを通じて「気づき」、「学び」、「成長」するという言葉があり、その一期一会を大切にする。(真の仲間は人生を豊にしてくれる)

※2.出会いを通じて恩に気づき、心が磨かれる。(感謝する気持ちがなければ恩に気づけない)

※3.自身の信念と神仏の信仰を大切にする。
●反省
私が現世について一番悲しいと思うことは、本能に負けて欲望に走り、お金や名誉や地位に執着している人が非常に多いことと、そしてまた心の豊さが薄れてきているなあ~と思いうこてです。

人間は毎日自分の人生を振り返る習慣をつくって、そして欲望への執着心を切り捨てることが反省であり、その反省することが、修行(善の習慣)となるのではないでしょうか?

※1.人間として誰もが自分の役割と善的生活習慣の価値に気付くことです。

※2.私は師友(K様)から「CD:ありがとう」を頂き、毎晩それを妻と聴き反省しています.(「ありがとう」という言葉は心を動かしますね!)

※3.自分のすべてをわかっているのは自分ではないでしょうか?

※4.反省は素晴らしい成果を生む、反省できる人間になろう。(でもーーと云う言葉を聞くと私は悲しくなる)

●墓碑銘
両親がつねに語っていた「自分らしく生きる人生」を来世にも残したいと菩提寺の墓誌の何処かに私の座右の銘(随喜功徳)を刻もうと妻と話しています。
先人・賢人の言葉から(前にも書かせていただいた言葉もあります)
私は先人・賢人の言葉からその智恵について学習していますが、毎日のように心を暗くにニュースが多く、根っこが同じではないか?と思う諸課題について、今日の自問から老後こそ人生がはじまると以下に先人・賢人の言葉を書かせてもらいました。

●遠近の前途を守り「利他」の方便をいとなむ(道元の言葉)
訳:若い人の将来のことまでも考えて、今どうしてやるべきかを考える。

●愛語よく回天の力あり。(道元禅師の正法眼蔵より)
訳:心のこもった言葉(愛語)は、人を思いやり、人に感謝する心から生れる。

※「ありがとう」という「愛語」一つで人の心を動かす。

●良心に照らして、少しもやましいところがなければ、何を悩むことがあろうか。何を恐れることがあろうか。(孔子の言葉)

●故きを温ねて新しきを知れば、以って師と為すべし。(論語学習から)
訳:古人の知恵を今の時代に生かす人が指導者である。

●知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。(論語学習から)
:智恵と思いやりと勇気があれば何も恐れることはない。

※知・仁・勇は人間が備えたい徳目である。

徳は弧ならず。必ず鄰あり。(論語学習から)
:信念を行動すれば賛同する人が集まってくる。(自分の正しいとしいと思うことを信じて徳を積む)

※私は座右の銘として書にして掛け軸にしています。

●己を反りみる者は事に触れ、皆薬石なり(采根譚より)
訳:つねに反省を怠らない者は、なしたる事がみな良薬となる。

●自分を信頼して、はじめてどう生きたらいいかがわかる (ゲーテ)

●生かされていることのありがたさを知る。(菩提寺の住職さんの言葉から)

・水は逆らえば魔物になり、求めれば仏になる。水は万物を育て救ってくれる。大きい木も小さな草もみな水を求めます。草木は根っこを大事にしなければ育たない。先祖は根っこです。根っこがあって幹が育ち、枝が伸びて葉が繁る。そして今を生かされている。このあたり前のことを大事にしなさい。(私は人生とは智慧と感謝であると思います。皆さんは?)

■師友・心友の善的生活習慣に感銘した言葉

私は多くの師友・心友の人生を豊かにする善的生活習慣に励まされ支えられており、以下その感銘した善的生活習慣の原点の言葉を以下に書かせて頂きました。

●キブ・アンド・キブ
人に喜んでもらうことで自分の幸せを感じる。

●感動する心の大切さ(感動なくして感謝なし)

●自分より、優れた人を称賛できる心。

・優れた人を素直に称賛できる心を大切にしていこうと思います。
1.自分を自慢する人は自身が劣等感を感している。
※2.人の幸せを喜ばない(妬む人)私は反面教師としている。

●見て見ぬふりはできない。(人間とて卑怯なことは)

ならぬことはならぬものです(什の掟)
嫌われる勇気(八方美人は徳の敵)
●損得勘定を離れ相手の立場を考えた生き方をしよう。

最後になりましたが未来の若い人に「生きる喜びを見つける」ことを伝えたい。それを次の世代へと伝えていくことが今の遊行期を迎えた私の役割で、これからも自分は何のため生れてきたかを問い続けたいと思います。
~人生は「ありがとう」・「おかげさま」の心が幸福を招く~

〖後記〗
■私の自問自答から
今日の座禅での自問から
私が伝えていること・伝えたいこと

●私の今日の想いから
 
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     禅寺掲示板今月の言葉
    私に修行を問いかけている
 
2
       禅僧の言葉
 私の修行はこれでいいのか?を自問
 
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菩提寺住職さんの書から私たちに何を伝えているか?
●相田みつをの詩集から
 
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   家族・師友・師友は私の宝

 
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     反省することばかり
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自分の手本とする人は世の中に多くいることを知れ

 
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        感 謝
 
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●私が子どもさんに贈っている言葉
 
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   私が子どもさんに贈った鉛筆
※1至誠にして動かざる者なし
訳:誠を尽くせば、人は必ず心動かされる。
※2過ちては則ち改むるに憚ることなかれ
訳:
過ちに気づいたらすぐに改めるべき。(反省することの大切)

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2017年7月 4日 (火)

安房国三十四観音霊場巡り(第九番・第十番・第十一番)

今年は何ヶ寺の霊場巡りができるかな?と思っていましたが、娘に感謝・感謝で妻と一緒にこれまで6ヶ寺、今日は鹿峰山信福寺(第九番)、金清山往生寺(第十番),奇雲山金銅寺(第十一番)、これで18ヶ寺の観音霊場巡りが終わりました。

坂東三十観音霊場巡りも約1年6ヶ月,安房国三十四観音霊場巡りはこれまで2年の歳月をかけての18ヶ寺で、体力的に結願は無理かもしれませんが、人間には煩悩が多くあり、私はその煩悩が少しでも消えればと娘に協力をお願いして、できるだけ続けたいと思っています。

■安房国三十四観音霊場第九番寺 鹿峰山信福寺 曹洞宗

慈覚大師が草創したとされ、本尊の如意輪観音菩薩坐像は行基の作と伝えられている。
●本尊:如意輪観世音菩薩
●御詠歌

しんぷく寺 のぼりて岸を ながむれば ほたのかわせみ たつは白波
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        本堂 

●ご朱印
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安房国三十四観音霊場第十番寺 金清山往生寺 真言宗智山派 

寺伝によれば寛仁元年(1017年)、恵心僧都(えしんそうず)が創立した。本尊の聖観世音菩薩も恵心の作とのこと。

●本尊:聖観世音菩薩
●御詠歌

おうじょう寺 のぼりて見れば ちしゅのはな いつもたえせぬ のりのこえかな
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        本堂

●ご朱印
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安房国三十四観音霊場第十一番寺 奇雲山金銅寺 真言宗 

由緒によれば、和銅2(709)年に現在地より北方の小萩坂に行基が観音菩薩像をら自ら刻んで創建したという。

境内にはある梵鐘は町指定文化財で、寛政元(1789)年に大山(鴨川市)の鋳物師藤原忠直作だそうです。

この梵鐘は第次大戦中の金属回収令で供出されて、その後に山梨県市川大門長生寺にあることが判明し、昭和58年(1983)、約40年ぶりに里帰りをはたしたそうです。

●本尊:聖観世音菩薩
●御詠歌

はるばると のぼりて見れば こんどう寺 はぎのはしらは 五六千本
 
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        本堂
 
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        梵鐘

●ご朱印

 11
 

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2017年6月 6日 (火)

安房国三十四観音霊場めぐり(第二十二番・第二十三番・第二十四番)

私はちょっとしたきっかけで、「仏心に触れ、己と向き合う心の旅」になればと坂東三十三観音霊場巡りをするようになり、そして2年ほどかかりましたが妻と共に満願させていただき、それぞれのお寺の縁起や史跡、伝説などを尋ねてお参りしているだけでしたが観音霊場巡りを重ねるごとに自分の人生は、自分自身で歩むものであり、生きるという心の変革に自ずと少し気づくことができたように思います。

私はこうした霊場巡りで仏心に触れ、仏さまの教えから己と向き合う心が如何に大切であるかを学び、そしてこうした心の思いを更なる自分の拠り所となる灯火として続けようと安房国三十四観音霊場巡りを始めましたが、昨年は妻の入院などがあって2ヶ寺だけ、今年はと思っていますが、私も年老いて娘の協力なくしてはできなくなりました。

今日はこうした中、娘が私と妻の心の願いが少しでもかなえればと道場山護穀寺勧修院(第二十二番)、金剛山宝珠院、(第二十三番)、平尾山、長谷山延命寺(第二十四番)の観音霊場巡りができ、これで15ヶ寺の観音霊場巡りが終わりました。今年は何ヶ寺を参拝できるかな?娘にお願いしよう。(結願は無理かな?)

■安房国三十四観音霊場第二十二番寺 道場山護穀寺勧修院 真言宗智山派
観音堂には行基菩薩の作と伝えられる本尊の千手観音菩薩像、弘法・興教両大師坐像、不動明王立像などが安置されています。

●本尊:千手観世音菩薩
●御詠歌

 朝日さす 夕日かがやく この堂へ まいる人こそ 仏なるらん
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      観音堂(本堂)
●ご朱印

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■安房国三十四観音霊場第二十三番寺 金剛山宝珠院 真言宗智山派

創建は応永7年(1400年)、僧・宥伝(ゆうでん)の父が深く仏教に帰依して、私財を投じて寺院を建立。宥海僧都を招いて、実乗院と称したのが始まりと伝えられています。
その後、宥伝が本尊に供える水を井戸から汲もうしたところ、水面に「宝珠」の文字が浮かび出ました。かくて宥伝は実乗院を宝珠院と改めたといわれています。この閼伽井(あかい)という井戸は、現在も本堂の前にあります。

●本尊:十一面観世音菩薩

●御詠歌

あま寺へ 参るわがみも たのもしや はなのお寺を 見るにつけても
 
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           観音堂
●ご朱印
 
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■安房国三十四観音霊場第二十四番寺 平尾山長谷山延命寺 曹洞宗
永正17(1520)、戦国大名・里見実堯(さねたか)が吉州梵貞和尚を迎え、開基したという延命寺。以降、10代忠義までの後期里見氏の菩提寺となりました。
慶長年間には里見氏から217石あまりの寺領を与えられ、その後徳川家からも同様に保護されました。
500年の歴史を持ち、多くの雲水が修行をした禅寺で、安房曹洞宗の中心的なお寺といえます。

本尊:十一面観世音菩薩
御詠歌
平尾山 
のぼりて見れば うどの原 出世はここに 七夕の松
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        観音堂
ご朱印
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2017年6月 3日 (土)

孫の結婚式(幸せいっぱい)

私は孫娘が二人、今日は下の孫娘の結婚式でした。

上の孫娘の時と同じように、何カ月も前から妻と共に楽しみにしていて、今日も早朝からそわそわしていて、家に居ると落ち着かないので早く家を出て結婚式場に1時間以上前に着きました。

挙式は教会式結婚式で私は孫娘が父親エスコートされて教会の入り口からバージンロードを通って祭壇に向う姿に妻は笑顔を見られましたが、感激のあまり涙も浮かべており、私は感無量で胸がつまりました。

また式での神父さんの言葉 愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?----とそして教会の結婚式でよく歌われる有名な讃美歌・聖歌に私と妻は上の孫娘の結婚式の時と同じように孫の結婚式に出席することができたことへの感謝と幸せを強く感じました。

そして披露宴では席に着くと孫がお世話になっている参列者全員の席に「お礼と思い出の一言」が参列者席の名前の前に置いてあり、私と妻の前にも嬉しい一言があり、私たち夫婦は感動し嬉しい涙の披露宴スタートとなりました。

また結婚式・披露宴の最後に参列者してくださった皆さんへ感謝の気持ちを伝える「花婿の謝辞」が新郎自身の心の言葉で挨拶され、私はその新鮮な挨拶に感動を覚えました。神聖で厳かな本当に素晴らしい結婚式でした。“ありがとう、ありがとう”

追記(私の想い) 

妹思いの上の孫娘が新郎、新婦に一言(いちげん)の色紙を買い求めてきてくれており、私と妻はその色紙に次の言葉を書かせてもらいました。

また人生の遊行期に入った私にあと何回か素晴らしい思い出になる機会があるかな?と思いながらもう一人のひ孫と来年初のひ孫の『七五三の日』まで元気でと思っています。
■私の今日の一日
 
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私が孫に心の中で”おめでとう”と声をかけた一枚の写真(私も妻も幸せ)

■孫からの一言
 
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■私と妻のお祝いの一言
●私の一言
 
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     幸福な夫婦の徳 『詩経』から
    夫婦の仲がよく、家庭が穏やかに
●妻の一言

二人仲良く、いつまでも
心温かく いつまでも仲良く お暮らしくださいと私の一言と同じ思いです。

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2017年5月31日 (水)

「人間らしく:師友の言葉」(人間として生きるための志)

師友・心友(H様)のブログ記事を拝見して、人間として生きるための志を強く感じてこの記事を書きました。

私はH様からブログ「人間らしく」を開設したとのメールを頂き、その動機となった「理念に深く感銘」したことを前にもブログに書かせて頂きましたが、H様はブログ開設後も毎日ブログに『人間らしく生きるには』の課題(志)が書かれ、「自分の行いはすべて神仏がつねに見ている」とも語っておられます。
またこうしたH様の姿はブログ記事と併せて掲載されている自然写真(H様の心がカメラに写真を撮ろうと呼びかけているのでは?)からも「真理は自然の中にあり」で私たちに何かを問いかけているようです。
私はこうしたH様の「人間らしく」の記事に共感・感銘しながら自問して、「自分の本当の心の声」を聞き自答しなければと、「心に深く刻んで忘れてはいけない」と思うことを記事に書きました。
※H様はブログ「人間らしく」の記事を毎日書かれています。私はこれからもブログを拝見させていただき、さらに心の自己学習をして、『人間らしく生きるには』を多くの人に伝えていきたいと思います
『心に深く刻んで忘れてはいけないと思うこと』

私は8年前に「生きてて良かった」と思えることを日記として記録に残そうとこのブログを開設しましたが、このたびH様のブログに書かれている記事を拝見して、私はまだまだ心の自己学習が足りません。

私は8年前を思いだし、H様のブログに書かれているように「真に人間らしく生きる」ためにはと改めて自問して、人間として心の中に気づかされた大切なことを書かせてもらいました。(反省することばかりです)

■「人間らしく生きることとは?」
毎日心が痛む暗いニュースが多く、世の中で本当に大切なものを見失っていると思うようなストレス社会の中で、人間として「どう生きるべきか」を自問すべきではないでしょうか?

●欲やお金を追い続ける人生は、人間らしさはおろか人間らしく生きることを忘れてしまうかもしれません。

●人間としての誇りとは?をもう一度考えましょう。

※私の誇りは、両親、家族、師友・心友です。

●自分の真の姿(自分に見えない後姿・日々感謝することを忘れない・人を思いやる心)

●社会規範を見失わない(道徳、倫理、義理、人情、模範)

■私の自己学習

私は先人・賢人の書籍を読み、人間としての生き方を教えてくれる心に残る珠玉の言葉から自分の心に描く夢の実現のためにその大切さを学習しています。

(先人・賢人の「四字熟語」が死語になってきていることが悲しい)

また私は多くの師友・心友に支えられた人生で、そのふれ合い中で多くの日々の知的生活習慣を学習をしています。

●写経・写仏・書

「論語」心の師友に進められて10年)

●いす座禅(師友・心友が道元「正法眼蔵」を学習している禅寺)

※毎月2回(ストレスで体調不良になっていると思う時も)

●自然の中から真理を学ぶ。

●独り静かな自分の時間を持つ。

追記
H様は目が覚めと「立てない」「歩けない」「座れない」など突然の病(脳梗塞)で倒れ身体の自由が完全に奪われてしまい、2ヶ月ほど入院されて退院されましたが、退院の際にお医者さんが「よく生きれましたね」とおっしゃった言葉も私は先にふれました「自分の行いはすべて神仏がつねに見ている」とお医者さんも心に思ったのではないでしょうか?

私もH様がブログ記事の中にかかれている次の言葉からそう思います。

H様、大変だったですね、でも私は安心しました、退院おめでとう!

●明治の教え父親の教え ありがたい教えだと今でも感謝しています。

・人間どんなに貧しくても「心だけは真っ直ぐ、胸を張って生きなさい」

●「わたしは世の完成まで、いつもあなた方と共にいるーーー」マタイ福音書より

●知人・友人・見舞ってくれた人に会えば「涙が止まらない」

●人を思いやる心「親切」は世の宝

●ナースは天使ナイチンゲール精神

●自然・神様に「身を委ねよう」

最後になりますが、私は世相の中で疑問を持ち始めると、自問自答が止まらなくなり、これが「葛藤」となり、時折「善より悪が強い」と「利他の心」が薄れてきている世相を思い、自分では気づかないうちにストレスが溜まっていると思います。

よく精神科のお医者さんはストレスが原因で体調を崩し、様々な病気を引き起こすことがあるからといわれます。

H様のこのたびの病も人間として人生の善きことを追求し、後世に何か価値あるものを残す役割をと自分に厳しく、思い詰めてのストレスが溜まってことかもしれません。

仏教に心身一如というを言葉があり、精神と肉体は一体のものとして考えられています。バランスが大切です自分をあまり厳しく思い詰めないでください。

またブログを拝見させていただきます。お身体を大切に!
■今日の学習から
 禅寺住職さんの言葉
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我を捨てて「心を空っぽ」にする。私は今日も「心の静寂」を座禅に求めました。

●道元(正法眼蔵)から
 
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師友・心友に感謝して筆をとりました。
●写論語
筆を取り論語の経典語を
写しながら今の自分を反省しました。
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     論語経典語句(上)
 
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     論語経典語句(下)
 

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2017年4月26日 (水)

「心の会話が心を癒す」(師友の価値観と知的生活習慣)

私は菩提寺の住職さんから法話などの中でよく「人の話は心で聞く」ようにと聞かされ、また両親からも同じように「相手とは心で話し、心で聞け」と云われてきました。

私はこのような心で師友・心友と深く交わり、時には相手の方から笑われたりすることもありますが、これが人とのコミュニケーションの一つの法則で人の話を心で聞くことは自分に対しても、相手に対しても誠実に生きていることになるのではないか?と思っています。(この事で自分の心が原点に戻ることができ、もう一人の自分を知ることができると思います)

今日はこうした想いの中で、何時お会いしても同じ「心で話し、心で聞く」師友・心友である川崎様、米本様との食事・勉強会で心癒しつつ、お二人から人間としての価値観と知的生活習慣など多くのことを学ばせて頂いた一日でした。

価値観と知的生活習慣について
■私の思う人間としての価値観と知的生活習慣など人の価値観はそれぞれ人によって違いますが、それはその人それぞれの人生哲学だと私は思っています。しかし現世はその価値観が大きく変わり、あまりにもお金・地位・名誉だけに価値を置いている人が非常に多くなっているのではないでしょうか?(心が貧しくなった・ストレス社会になった、これだけでは人間として自身の夢・希望・幸せはないと思います)
人間は自らの価値観意義)を見出し、そのための目的のために知的生活習慣を身につけて、はじめて人生を豊かにすることができると私は思っています。(自身の考え方や行動で未来が変わるのではないでしょうか?)

〖今日の学習から〗
今日は川崎様、米本様から価値観知的生活習慣について、そのため最も必要な知識(後述)の追求と精神的活力の源を学習し、私は少しでもお二人と同じように将来の夢を周囲にどう伝えるべきかを「自分の課題」とした成熟した人生をつくる心を持たなければと思いました。
※以心伝心という禅の言葉がありますが、これには人に善を伝える努力が必要で、以心伝心があってこそ師友・心友が生まれるのではないかと私は思っています。

上野東照宮と牡丹苑・東京国立博物館
米本様が水彩画同好会の集まりがあったため、お会いするまで時間があり、川崎様と二人で上野東照宮参拝・東照宮牡丹苑でぼたん鑑賞と東京国立博物館の特別展を参観しました。

●上野東照宮・牡丹苑見学
川崎様と二人で上野東照宮を参拝のあと牡丹苑で富貴花、百花の王と呼ばれ詩歌に盛んに詠まれている”ぼたん”を鑑賞をしました。
上野東照宮・牡丹苑は日中友好を記念して開苑されたようで、今は、中国牡丹、アメリカ品種など多くの牡丹が鑑賞でき、その精いっぱい咲いているぼたんを日本人だけでなく外国の方も多く鑑賞しに来られていました。
そして牡丹を鑑賞した後、皆さんがあでやかに咲き誇っている牡丹をそれぞれの想いで、短冊に書いて奉納俳句を掲示板に貼り出していました。

私は川崎様から一句詠んだらと云われましたが、それよりも私は川崎様の知見に感銘を受けるとともに、その知見から私に与えくださったアドバイスに感謝しました。
また牡丹苑内の休み処で川崎様がイタリアから来られご夫婦とどちらから来られたのですか?何時こられたのですか?これからどちらへ?何時まで日本に?など会話をしている姿に私は感銘し、また私にイタリア語と英語の発音の違いと、さらにご夫婦の住んでいるところは古い歴史のある町であることなど教えていただきました。
ご夫婦は帰国して日本の美と文化を子供さんに、お孫さんに、そして私たちのことも話されるのではないか?まだ何日か日本各地を観光して廻られるようでしたのでその途中でもと川崎様とこれも「一期一会」ではないかと話しながらご夫婦と別れました。川崎様ありがとう!
牡丹には二期咲き(早春と初冬)があり、冬牡丹は鶴岡八幡宮境内の神苑牡丹園のぼたんを2月1日に撮り、写真俳句にしましたが、東照宮・牡丹苑の春牡丹はわが家に帰って撮った写真の中からその時の思いを句にしました。
※外国人観光客の方のも多く、皆さん日本の美の美しさと日本を愛してくれているんだなあ~と思いました。

東京国立博物館見学
私は東京国立博物館の平成館には特別展のたびに訪れていますが、このたびの「茶の湯」特別展があり、お茶についての作法などまったく知識は何もありませんが、禅語にも「一期一会」と云う言葉があり、お茶と云えば「一期一会」、一期一会と云えば「お茶」そして「千利休」と思っている私ですが、現代でも通じる何かが学べるのではないかと千利休の生涯を学習しようと東京国立博物館を訪れました。

そして千利休が「お湯を沸かし、茶を立てて飲むだけ」と当たり前のことを当たり前にやると「茶の湯」に語っているについてのその心、また千利休が切腹へと追い込まれた諸説、禅語にある「喫茶去」などをこれからもっと学習しようと思いました。

 ■今日の一日(三人での食事会にて)
前述で必要な知識にふれましたが、私は知識には善知識、悪知識、無知識があり、お二人から善知識(悪知識、無知識についてはあらためて書かせてもらいます)を持つことの大切を語られ、お二人とも自分を磨きあげる言葉として、心の中に感謝する心から生まれるという「ありがとう」の言葉について語られました。

川崎様は人を愛すことを自身の誠の誇りとしておられ、米本様は禅寺で道元禅師の「正法眼蔵」を研究・学習いておられます。

お二人はつねに日々の知的生活習慣として人を愛すことが原点になければと語られており、川崎様からは前にもこのブログに書かせていだきましたが、作詞・作曲:佐久間順平、編曲:入江 純、うた:さとう宗幸の『あ・り・が・と・う・の歌』の頂いたCDの中で歌われている「ありがとう」の言葉の力について伺い、私はこの歌を毎晩床に入る前に妻と一緒に聴きながら心を癒していますが、今日も川崎様の善知識に感銘しました。
また米本様からは道元禅師の「正法眼蔵」の書の中でもふれられている「愛語よく廻天の力あり」の言葉から「ありがとうという」という愛語一つで人の心がどんなに豊かになるか?など「愛語」というのは「自分が触れ合うすべての人に対して、思いやりの心を持つことで、つねに相手の気持ちを察しての言葉で人間は親しみの気持ちを抱くような心のこもった言葉をかけることだと話されていました。

私はこのような善の正義感の強い美しい言葉を語られていた、二人にまた学習させてください「ありがとう」と本当に素晴らしい一日でした。
最後になりましたが、「道を示してくれる師友・心友」は必ずおります。

私の学習している論語にも次のような言葉があります。

子曰く、学びて時にこれを習う、亦)説ばしからずや。朋有り、遠方より来たる、亦楽しからずや。(習ったことを機会があるごとに復習すると理解が深まり楽しい事だ。友人が遠くから訪ねてくれて学問について話合うのは喜ばしい事だ)という言葉があります。
私はこうした心が癒される時間を皆さんのお陰で持つことができ幸せで、そして元気をいただいており、今日も帰宅して玄関を入ると妻が良い顔しているね!でした。(人間は感謝し、報恩、努力すろことで豊な心が生まれます!)
川崎様、米本様ありがとうございます。私は勇気・元気をいただきました。
~“ありがとう”と感謝の心が人の心を動かす~
〖私の想いと心に残したい写真

 
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     心で会話する師友・心友
上野東照宮
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    新緑の中の東照宮本殿
 
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       御神木〈大楠〉
幹周回:約8メートル

・高 さ:約25メートル
・樹 齢:約600年
東照宮創建以前からこの地を見守り続けている上野の祖木
上野東照宮牡丹苑(私の癒し)

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           牡丹の香
 
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花は人間のように「悪知識」が無いからこのように美しく咲くことができるのだと私はこの「書」を書きました。

■奉納俳句
 
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来園者がそれぞれの思いの書いた奉納俳句板
   (その一部を掲載しました)

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   愛妻と一緒に来られての句かな

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    親が娘を想う句かな

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 亡くなられた御主人を思っての句かな
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桜の花が散って、牡丹花、故郷中国を想ってかな?
中国では牡丹花が非常に愛されているいるからな。
 
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この美しい牡丹花を待っていました。日本は大好き!
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川崎様が会話していたイタリアから来られていたご夫妻が書かれた心の想いかな?※後で川崎様から翻訳していただこう。
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 私がぼたん花を観賞している来園者の姿とその句からの想いです。

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2017年4月20日 (木)

人間らしく(師友・心友がブログ開設)

師友・心友(H様)からブログを開設したとのメールを頂きました。

H様とは前にもふれましが40数年前の一期一会の師友・心友でご家族は皆さんクリスチャンで感謝の心・ 他人に対する思いやりなど豊かな心をお持ちで、その知的生活習慣に私はつねに感銘しています。

私はすぐお電話をしてブログを開設した動機とブログの検索件名(人間らしく)をお聞きして、私はすぐ10年前にブログを開設したとき私にコメントを送ってくれたボランティア仲間からの次の言葉が心に浮かびました。

その言葉は世界平和ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサが受賞のインタューで「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」とたずねられた際に答えた一言です。

「我が家に 帰って家族大切にしてあげて下さい」それはすべての人が我が家に帰り家族に奉仕することで、私たちの心が穏やかに、平穏無事に毎日を送ることでき、それが「世界平和」への貢献になることだと話されていたことです。

H様がつねに語っているのが人に対する思いやりが薄くしまったなあ~人間として今一番求められているものは何か?それは「心・神」で「善」ではないか語っており、それがこのブログ開設の動機きではないかとまたあらためて強く感銘しました。

※マザー・テレサの一言のようにすべての人間が愛をもって行動すれば世界中で戦争も犯罪も行われませんね!

最後になりましたが、私は師友・心友からも多くのことを学び価値観を共有させて頂いておりますが、これからもよろしくお願いいたします。

※私のマイリストにH様のブログをリンクさせていただきました。ありがとうございます。

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