2018年1月15日 (月)

人間の心と身体(身心一如、無心になる)

今日は新年になっての初の座禅で多くの思いを心に持って禅寺を訪れました。

そして座禅では初詣で菩提寺住職さんからお聞きした法話、そして住職さんから頂いた直筆の「書初め」に書かれていた無心」という言葉、さらに新年に墓前で両親に誓った年老いた人間としての役割など新年にあたって新たな思いの座禅をしましたが、自身の遊行期の多くの反省ばかりの自問自答の繰り返しばかりで、私がつねに若いに人に伝えたいと思っている「損か得かだけでものごとを判断すると不幸になる」いうことについて、未来から今の自分を見つめる悟りを得ることができないまま時間だけを過ごしてしまいました。

こうした座禅の中でも曹洞宗の祖師道元の「身心一如:身体も大切であるが心も大切にする」という言葉と「只管打座:心の調和するため座禅すること」という二つの言葉、そして前にもふれた元旦に菩提寺住職さんから頂いた「書:無心」という言葉から私は自分が生かされている役割と人間として「生きてて良かった」と思えるような人生の生き方だけを再自問して、健康な身体と健康な精神」を祈願することは「利他の心」で多くの煩悩を捨て去ることではないかと思いながら、私の師を求める心から両親に感謝、家族に感謝、心友に感謝と多くの心友の顔が浮んだ座禅でした。

今日はこうした思いと前にもふれましたが、私はいつも禅寺を訪れると参拝する前に必ず仏の真理の道理に触れている境内の伝道掲示板に新年の言葉として書かれていた「悪言、心を卑しめ自身を傷つける。正しき言葉は人の喜びを与え、心を楽しくする」の仏語を心に刻んで禅寺から帰宅し、仏壇に「ありがとうございました」と合掌して「心をからっぽ」にして心が落ち着かせ、心の静寂を保ってから写経・写仏をして床に就きました。

最後になりましたが、私は常に「身体を大切にすることは心を大切にすること、心を大切にすることは身体を大切にすること」であると思っていますが、現世は人を思いやる心が希薄なって善的生活習慣に気づかない人が多く、このストレス社会の中では非常に難しいことと思いますが、その「“人の心”とストレスついて、少し感じていることを追記させて頂きました。

追記

私は子どもの頃から常に両親からに性善説で物事を考えるようにと言われており、それが人間の心の原点にだと今でも強く思っていますが、現世では時折「善より悪が強い」と「利他の心」が薄れてきていると思うことが多く悲しくなります。

皆さんはこのようなことでさまざまなストレスが溜まっていないでしょうか?

お医者さんからストレスが原因で体調を崩し、様々な病気を引き起こすことがあると聞かされたことがあり、私も自分に直接かかわりのないことでも心が乱れてストレスではないかと思うことがあります。(現世はストレス社会だからでしょうか?)

私はこうしたストレスで病気を引き起こさないようにと先人・賢人が正しい道を説いている書籍をよく読み、その中からこれはという智的・善的生活習慣を学ぼうと自己を学習して、心を磨くようにしていますが、今日はそうした思いの中からこの言葉だけは非常に大切ではないかと私の思いを書かせて頂きました。一緒が学習しませんか?

『人間としての原点』

●日々の子ども教育

仏教に「愛語よく回天の力あり」と言う言葉があるように「ありがとう」という人を思いやる「愛語」で人の心を動かすことができると思います。

こうした毎日感謝しながら過ごす「ありがとう」の言葉で日々の生活の中で幸せを感じることが多いのではないでしょうか?

※私の心友(K様)は孫の教育は「ありがとう」から始まり、この「ありがとうの心」がお孫さんから友たちの伝わり、その友だちからまた他の友だちへと地域の子ども教育に貢献しています。

●住職さんの法話の「無心」から

「無心になる」とは一つ一つ自身の心に問いかけ、自分の心に真に向き合うことで「雑念や邪念を持たない」修行ができ、悟りを得る道を見っけることがでるということです。

私は「無心になる」ということで智的・善的生活習慣を学ぶこともできると思います。

●心を沈める論語(私の論語学習からの一言)

武士道や論語にはストレスを防いだり、乗り越えたりするのに役立ついろんな知恵があります。私の論語学習から次の論語を書かせて頂きました。

①義を見て為さざるは、勇なきなり(為政篇)

私訳:正しいことだと知りながら損得を考えて実行しないのは勇気のない人間である。

※保身を忘れ、真の勇気を持つこと。

②人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う(学而篇)

私訳:学問は自分のためであって、人に知られるための虚栄心でやっているのではない。

※私利私欲の心を持たず、善の心を持って自分のありのままで相手と接する。言行一致であれば人は信用される。

内に省みてやましからずんば、それ何をか憂い何をか懼れん(顔淵篇)

私訳:何事も反省の上に行動していれば心配することはない。

※別につねに利他の心で反省せよという「吾日に吾が身を三省」と言う論語があり、自身がその反省しているかどうかです。

徳は孤ならず必ず隣あり(里仁篇)

私訳:人は徳があれば決して孤立しない。必ず理解し協力する人が出てくる

※儒教の五徳「義・仁・礼・智・信」もっていれば素晴らしい師友が支えてくれる。
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     禅寺の伝道掲示板
●写経

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「一字一仏」一文字、一文字、書くごとに心が休まるから不思議です

●写仏
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   無心になる(心の中を空っぽにしてくれる)

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2018年1月 5日 (金)

新年の禅寺参拝(神・仏の機縁に感謝)

今日は心友との一期一会の感謝を捧げるため新年の参拝に禅寺にいってきました。

人生には誕生、成長、成熟、老衰、死という期がありますが、また古代インドには理想的な人生のそれぞれの生き方として“学問を身につける時期”“家庭を持ち仕事に励む時期”心を無心にして他人の役にたつことを考える時期そしてこれまでの知恵をもとにその道を人に説き伝える時期と4つに区切る四住期(学生期、学生期、林住期、遊行期)という思想あります。

私はこうした四住期の最後の遊行期(85歳)になり、これまでを振り返ると多くの人に支えられてきましたが、これも神様・仏様の機縁での一期一会で心友から多くのことを学び、これまで歳を過ごすことができたのだと感謝し、そうした思いを年賀状にも元旦の記事にも「遊行期の新年を迎えることができました。これも皆様との出会いとご縁のおかげです」と書きましたが、今日はこうした皆さんとの仏の機縁による一期一会に感謝しての新年禅寺参拝をしました。

また私は禅寺を訪れたときは、必ず境内にある伝道掲示板に書かれている仏の真理の道理の言葉に触れてから参拝していますが、今年の新年の伝道掲示板の言葉は「謹賀新年 佛紀2584年」と書かれており、私はお釈迦様が誕生してからの年数か?と何時もと違った思いと私の師友・心友(I様・Y様)が座禅と道元禅師の「正法眼蔵」を学習している禅寺でもあり、そしてこの禅寺で私が心の静寂を求めて毎月座禅に通うようになったのも仏様の機縁ではないかと思いました。

(この禅寺は私の中学・高校時代を過ごしたに学校に隣接しているお寺でよく同窓と境内を散歩したお寺で、またOBのI様・Y様と同じ禅寺で学習しているのも仏様の機縁ですね!)

最後になりましたが、現世は社会も企業も個人にもこうした大切な一期一会の大切さに気づかず「利他の心」忘れた「損得」だけを優先する社会になってしまったなあ~と思いつつ「損得の心」からは真の社会貢献するために学ぶものは無いと思いました。

私もこうしたストレス社会の中で多くの反省ばかりが残っており、大変難しい課題ではありますが、先にふれた遊行期の人間としてこれまでの知恵をもとに一期一会の友人の支えを得て「利他の心」なくして人間の幸せなしを若い人に伝えていきたいと思います。

~すべての出会いに感謝(ありがとうございます。ありがとうございます)で床に就きました~

※私は還暦から毎日、その日の出来事を日記に25年以上付けてきましたが、今年の元旦から出来事だけでなく、その日感じたことや今の思いを床に着く前に書く「おやすみ日記」を付けるようにしました。今日の日記は感謝・感謝の日記となりました。

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       禅寺の本堂
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      本堂前の香炉
 お線香の香りにおかげさまと感謝
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    禅寺の新年伝道掲示板











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2018年1月 1日 (月)

2018年元旦(無心になれ)

私たち家族は毎年大晦日には菩提寺のお墓の掃除とお花を飾り、お線香を供えて先祖に感謝・両親に感謝と家族の健康を報告し、一旦我が家へ帰り、除夜の鐘を聞きながら再び菩提寺を参拝して本堂で護摩祈願をさせていただいていますが、今年は弟の奥さんも私の妻も足腰の病で深夜の外出が困難なことから弟と二人で少し早めに年越しそばをいただき、来る年を前に再び我が家を出て菩提寺を訪れ、悟りへのお導きがあるようにと鐘撞堂で梵鐘を撞いてから本堂での護摩祈願に参加させていただきました。(大晦日と元旦の昼間は弟夫婦と私たち夫婦四人)

私はいつもお寺を訪れると自分に何かを問いかけて反省し、山門をくぐると悟り(心が洗われる)を感じ心が安らぎます。

私が遊行期に入ってからか?新年を迎えて「おかげさま」の感謝だけでなく多くを自問自答し、何かの思いがあっての梵の鐘撞堂で梵鐘を撞いて、その梵鐘の荘厳な響きで煩悩が一つ消え、悟りに至る功徳を心に残して護摩祈願に参加させていただきましたが、本堂で般若心経を唱えている時も護摩壇の炉に護摩木を投じ所願成就を祈願している時も何か心に安らぎと幸せを感じ、御祈祷の護摩お札を頂いての初詣でした。

今年も護摩祈願が終わってから住職さんの法話で心が洗われ、また直筆の書「無心」を頂き、法話の中で住職さんから「無心」について、「無心になる」とは修行(自分の心に真に向き合う)することと同じで雑念や邪念も持たず、悟りを得る道が見っけることで、人間が自分の内心(ネガティブな部分)をよく見ることが大切であるとのお話をお聞きし、私は住職さんの法話と書初めの言葉を一つ一つ自身の心に問いかけ、自問自答し反省して、自分を磨いていくことを先祖にあらためて誓いながら帰宅しました。

帰宅したのは午前3時、2017年を過ごした1年の反省と新年の梵鐘を撞いた清々しい気持ちを妻と語りながら新しい年を祝い、あらためて仏壇の前で手を合わせ、午前4時過ぎ床に付きました。

最後になりましたが、私は毎月2回新しい自分を見つめるため、先にも触れたましたが心友が道元禅師の正法眼蔵を学習している禅寺で座禅していますが、来週は今年になっての初座禅で自分の心に真に向き合い、住職さんに頂いた「無心」について「心をからっぽ」にして、本当の自分を見つめてきたいと思います。
今年も多くの年賀状に感謝・感謝の2018年です。

追記

私は古代インド人生の区切りでいう人生4つの区切りの最後の遊行期で、その遊行期の新年を迎えることができたことに感謝して以下の様な年賀状を出させて頂きましたが、師・心友、若い社員、親族からも285枚の有り難い年賀状をいただきました。

私はその一枚一枚の近況や励ましの言葉に「身心一如」の心で何か年老いた人間とその役割を果たしたいと思っています。これからもご指導ください。
 
「私の感謝の年賀状」
 
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    心が洗われる菩提寺の参道
 
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  鐘撞堂で梵鐘を一番に撞く(弟と私)
 
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住職さんの読経の中、参拝者が一人一人護摩壇の炉に護摩木を投じ所願成就を祈願する。(本堂)
 
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      住職さんの法話
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    住職さんから頂いた書初め
 
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 我が家の心の支えとなっている献燈
 2018
元旦の月(私に何かを気づかせてくれて1句)

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    玄関脇にある我が家の守り神
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 1月いっぱいは咲き、私を毎日迎えてくれる水仙
  花言葉:神秘・私のもとへ帰ってきて
※花は綺麗だろうと咲いているわけではない。無心に咲いている。その無心の中に美しさがある。(今年の住職さんの「書」からその思いを写す)

 

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2017年12月29日 (金)

2017年を振り返って(感謝・誓い)

今年も残り2日になりました。

私は今年も一年を振り返ると“人間は一人で生きているわけではない”多くの師友・心友そして家族に支えられた感謝・感謝の1年でした。

また一方では反省しなければと思うことも非常に多く、その反省をもとにその恩に報いるため少しでも社会のために資することが人生の意義ではないかと老いた人生をより「人間らしく生きることを心に刻み」その生きる価値(老いた遊行期をどう生きるべきか?)をより多く求めていけるような新しい年2018年を迎えようと思っています。

私はこうした思いで新しい年を迎えるため2017年をどう過ごしたかをあらためて心に問うため住職さんから頂いている檀家と結ぶお寺だより(小冊子)とそれを書籍にした「お寺と仏と世の中」に書かれている言葉をもう一度、熟読し、この書籍の中に書かれている「四無量心」という四つの心を表す言葉(慈:人の幸福を望む心、悲:人をいとおしむ心、喜;人の喜びを共に喜ぶ心、捨:煩悩を滅し捨てる心)から何をやるべきだったか?そのため何を行動したかを自問自答し、そして迎える新年は住職さんからさらなる自分の生き方を変える法話をお聞きし、また自身も「利他の心」と処世の道を説いた古典「儒・仏・道」にある人生の生き方を学習し、心を磨くことを誓いました。
大掃除も終りお正月飾りも済みました。あらためて師友・心友・家族に感謝・感謝の2017年に感謝いたします。ありがとうございます。

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2017年12月15日 (金)

師友との忘年会(莫逆の友)

今日は莫逆の友(言葉は不要の友I様、K様、N様、S様、K様)との以心伝心の忘年会でその絆を通じての幸せの一日でした。

人間は誰にでも素晴らしい人との出会いがあり、その出会いの一期一会を大切にしていれば、誰でも何かを感じ、気付き学びそして成長していくのだと私は思っています。

今日の莫逆の友の皆さんとは人間として正しいことを貫くための考え方、感じ方そして判断と行動などの善の価値観が共有しており、互いに気心が通じた「心の会話」ができ料理に箸をつけるのも忘れてしまうほどの親睦会となり、私もいろいろと皆さんと熱の入った語り合いができ、笑い合えるだけで幸せを感じました。(大切な人と一緒に笑い合える中からも幸せは生れますね!)

また歓談の中ではI様の真の国際貢献について、K様から「ありがとう一言の大切さ」、N様、S様、K様からは家族に感謝する愛の話など善的生活習慣を身に付けることの大切さをなどを語っていただき、皆さん「ギブ&ギブ」の方ばかりで、私は皆さんとの会話からその心を豊をいただき、絆をさらに強くした忘年会でした。

私は皆さんと職場で出会ってから40数年になりますが、私が座右の銘としている「一期一会」、「随喜功徳についても価値観を共有している心友であり、それがあって絆ができ、それが私の宝(財産)で「絆なくして幸せなし!」で、あらためてその大切さを強く感じました。

最後になりましたが、私が師友・心友とお会いする際は時間が許すかぎり必ず禅寺(前にも触れましたが師友・心友のIY様が正法眼蔵を学習している禅寺)で椅子座禅しながら人間が如何に自身の心を豊にするかは日々の生活の中でどのような心の生活習慣を身に付けなければならないか?を自問するようにしており、今日も皆さんとの会話の中からその思いを追記しました。

追記

■『ありがとうの心』

今日の忘年会で会食しながらの皆さんから一番多く出てきた言葉が「ありがとう」ではなかったかと思います。(「ありがとう」の心が人との絆をより強くしますね!)

私はこの「ありがとう」という言葉で一番わかることは、心を落ち着かされる不思議な力があるということす。

この一言で自分の心にも相手の心にも温かい気持ちが生れ、これほど人間関係を豊にする言葉はないのではないでしょうか?(この言葉に気づいていない人が現世あまりにも多いのが残念ですね!)

私はこれまでも「ありがとうの心」について幾度となく触れてきましたが、どんな時でも人間は「ありがとう」の心を忘れてはならないことだと思っています。この感謝の心があってこそ社会や人の役に立つことができるのではないでしょうか?
ここにこのたび忘年会でご一緒したK様から頂いて妻と毎日床に入る前に聴いているCD「あ・り・が・と・う・の唄」さとう宗幸の歌詞の中にある両親に感謝すること、家族・友人に感謝する言葉があり、その一部ですが次世代の若い人にこれだけはと伝えたい言葉として紹介させて頂きます。
(両親に感謝)

・生んでくれて ありがとう
・育ててくれて ありがとう
・叱ってくれて ありがとう
(家族・友人に感謝)
・妻になってくれて ありがとう
・子供になってくれて ありがとう
・友達になってくれて、ありがとう
・知り合いになってくれて ありがとう
・ありがとう、ありがとう みんなに ありがとう
意志ある風になれ だれかの風になれ すがたなき風になれーーー
※この「ありがとうの心」は我が子から友達に、友達からまた友達へと次々にその心が伝わり(恩巡り)されると私もK様も同じ思いで嬉しくなりました。“K様ありがとう”

■私の莫逆の友との絆の心の原点

前にもふれましたが 儒教に「五常の教え」として仁・義・礼・智・信の五つの教えがありますが、皆さんとの今日の会話で自分を欺かない心、偽らない心の「信」を強く感じ、これが私たちの絆の心の原点ではないかと感謝し、人間としてより良い生き方をするにはと私の論語学習から次の論語を今日の私の思いとして掲載しました。

●「人にして信なくんば、其の可なることを知らざるなり」(為政編)

訳:人にして信の無いものとは、共に歩むことは適わないものだ。

※私は自分より優れた人を称賛できる心、「利他の心」を持った「信」の心友がいて幸せで、それが私の一生の心の宝(財産)です。(「信」なくして心友なしに等しいのではないでしょうか?)


 
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      私の莫逆の友
■禅寺の掲示板の言葉と私の思いの「書」

私は禅寺を参拝する前には必ず掲示板の言葉を見てから座禅をしていますが、今月の言葉から私の思いを「書」にしました。

●禅寺の掲示板の言葉

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       心にひびく禅寺の掲示板
ひと息ごとに人は生まれ変わるものですね!私の生きている目的は?と聞かれているようでした。

●今日の私の思いの「書」
この言葉は仏教語にある仏教の教えを教える師とその教えを受ける弟子との間に心が通じ合うことの大切さを道元禅師の経典をもとにした四次熟語で正法源蔵を学習している心友(Y様)が何年か前に私に語ってくれた言葉です。
今日、皆さんにお会いする前に禅寺での座禅でこの言葉が心に浮かんできてこの言葉を「書」にしました。
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    私訳:すべての人と信じ合う

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2017年12月 1日 (金)

現世の課題に思う(小学生の読書感想文から)

前にも触れましたが、毎日のように心を暗くする信じ難い悲しいニュースが流れ、私は現世の社会はどうなっているのかと思うことが多くなっています。

私はこれも人間として為すべき、感動し感謝する心が非常に薄くなっているのが一因ではないか?と思います。(皆さんは?)

私はこうした日本の社会が抱えている課題について、師友・心友とも時折学習していますが、前にも触れさせてもらっている課題として今年の同窓会での中で「なぜ」こんなに児童虐待が起こるのか?「なぜ」こんなに毎年自殺者が多いのか?などについての学習をさせてもらいましが、これは単に子どもの教育問題だけでなく原点は現代社会の世相の中にもあるのではないかと私は思っています。

私はこうした思いの中このたび買求めた書籍、著者:日野原重明「十歳のきみへ 九十五歳のわたしから」出版社 冨士インターナショナル社の中に書かれている日野原重明先生の「講演を聞いて・書籍を読んで小学生の感想文から真の課題として「私たち大人に何かを語りかけている」のではないか?と皆さんと一緒にその原点を見つけたいとの思いで、小学生の素晴らしい胸を打つ感想文の一部を紹介させていただきました。

※日野原重明先生は2005年に文化勲章を受章されましたが、105歳で亡くなられ、この書籍は重明先生が九十五歳で書かれた本ですが103歳でも「十歳のきみへ 103歳のわたしから」と今まで言いきれなかったことを書かれた書籍もあります。
『小学生の感想文』

・私は四年生になってからは、生きるということについて考えるようになりました。

・父や母と夜、おしゃべりするや弟に服を着せてやったり、お茶を飲ませてあげたりする時間は楽しく、いくらでも続いてほしいような気がします。(小学校四年生)

・残念なことは自分の命を無駄にしている人がいることです。その一方でもっと生きたいのに病気や事故で死んでしまう人もいる。正直言って今までの私は、命の事について真剣に考えた事はあまりなかった。

・毎日家族と一緒に元気に過ごせるのはとても素晴らしいことです。(小学校四年生)

・僕は仮死状態で生まれました。僕が泣かないので母は「私の命と引き換えにこの子を助けてください」と一心に祈ったそうです。(小学校五年生)
・他の人のために何かしてあとげた時に「ありがとう」と言われたり、喜んでもらったりするとうれしくなります。

・先生の本をお母さんが「とてもいいことが書いてあるからと、読んでごらん」と言ってプレゼントしてくれました。

・けんかは大きく言えば戦争と同じです。戦争が終わらないのは「許す」ということをしないからです。どちらかの国が戦争をやめようとすれば終わることになるのになあ、とおもいます。

・命があるということは「時間がある」ということです。自分のためだけでなく、人のために何かをしたいとおもいます。

・友達がなやんでいる時に相談に乗ったり、知らない人が困っていそうなときに訪ねて教えてあげたりする時間などつくりたいと思いました。(小学校四年生)

・私が生まれるずっと前に、日本でも戦争があり、「原爆」のことを知った時、とても悲しく心が痛くなりました。そして今も、世界のどこかで争い戦争が起きていて、その中には何年も何十年も続いている戦争もあるそうです。毎日あのような大切な命がうばわれていることを知り、悲しみしか生まれない戦争がどうしてなくならないのだろうと思います。

・世界中から、争いや戦争や悲しい出来事がなくなることを願って、世界中の人たちが家族や大切な人たちと、はなればなれになることなく、ずっと一緒にいられて幸せに過ごせる日がくることを信じます。(小学校四年生)

・毎日、塾へ行って、楽しくない時間もあるけれど学校で友達と遊ぶ楽しい時間もあります。何より私には、たくさのいい家族がいます。

・ひいおじいさんやひいおばあさんに会う時、できるだけ一緒にいて楽しくすごしたいと思います。(小学校四年生)

・僕はお金で買える楽しみなど、たかが知れていると思っています。努力してこそ得る事のできる事の喜びを手にしたい。その達成感こそが、「生きている」証しであり、その結果人に役に立てることが、生きている意味ではないだろか。(小学校五年生)

※私はこの小学生の感想文を読んで自問自答し、今の世相から「私たち大人に何かを語りかけて」いると思いました。子どもさんから大きな課題を投げかけられています。大人の皆さんも一緒に考えませんか

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2017年11月30日 (木)

心の疲労回復(俳句は心に元気を与えてくる)

現世のストレス社会の中で「心の疲れ」を知らず、知らずに心が感じている人が多いのではないでしょうか?

私も知らず、知らずに「心の疲れ」?が溜まって、そのストレスが一因ではないかと病院で言われ狭心症手帳をもらっています。

※ なぜ日本こんなストレス社会になってしまったのか?と思うことがあります。「心の疲れ」は溜め過ぎないことですね!

私はこうした思いの中でも先人・賢人(名言・格言)などから「人生とは」学び心に勇気と元気を貰っていますが、このたび『PHP』誌(心の疲労回復読本、特別保存版)を購入し、掲載されていた俳人:夏井いつきさんの「感情も俳句に変える」の記事の中で「俳句って、悲しい経験やつらいことがあっても、それを言葉にして外に出すことで、大変さや心の痛みも昇華できる」とう言う言葉に私は感銘し、「自然がもたらす恩恵」に人生を学び、心の元気を与えてもらいたいと次の季節の俳句を作りました。

『私のつぶやきの句』

俳句は嘘をつかない自分の心の感動・動きをつぶやくだけで「何かを発見」します。
●私の写真俳句

課題:「ありがとう」
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  日本の詩歌としての心の風景

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2017年11月23日 (木)

父の祥月命日(一身二生に自問自答)

今日は父親の祥月命日で先祖への感謝と家族の日頃の報告をしに菩提寺にお墓参りを弟夫婦と妻と4人でしてきました。(今年は翌日ひ孫をつれて娘夫婦が孫と一緒にお墓参りをしてくれました。ありがとう!)

前にも何度もふれましたが、私はお墓参の度に墓前で遊行期に入ってからは人生の締めくくる年ではと、今まで得た知識や多くの人への恩を少しずつ世間に返さなければと人生をただ漫然と過ごすだけでなく、人生をどう生きれば後悔することが少なくなるのでは?と今年は遊行期の年齢が85歳になり人生の締めくくる年も近く、年々自問自答することが多くなり、両親とお墓で向き合っている時間も長くなりました。

今日はこうした思いの中、現世から見えてくる課題「老後と人生」について、私の昭和・平成・××から福沢諭吉の言葉「一身二生:もう一度生き直す生き方」と

両親の明治・大正・昭和の時代と重ねで考えて、2018年は元気で新しい年を迎えようとの思いの父の祥月命日でした。
最後になりましたが、両親への感謝「ありがとう」との心を未来へつなぐ子どもの教育と高齢者の生きがいを次世代に引き継がなければとの思いで、父親の明治33年117歳(行年79歳)と母の明治39年111歳(行年68歳)の両親の生れ年(十二支)のお守り本尊を両親に感謝して写仏しました。
『両親の十二支のお守り本尊』
●父親(“ね”):千手観音菩薩様(千本の手を持つ)
現在・未来ともに人々のあらゆる願いをかなえてくれる観音菩薩様です。
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※千手観音様は十一面観音様が発展したお姿で、千の手のひらには ”目”が刻まれれています。
母親(“うま):勢至菩薩
慈悲の心をもって、私たちに救いの手を差し伸べてくれている菩薩様です。
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※勢至菩薩様その強大な力は阿弥陀如来の光明を輝かせ、人々を救う絶大なるパワーを発揮していると云われています。

 



 

 

 

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2017年11月18日 (土)

旧制中学の同窓からのコメント

今年10月に開かれた同窓会で同窓と歓談した感想をブログに書きましたが、同窓(M様)からコメントをいただき、そのコメントの中に紹介したい言葉として次の詩が書かれていました。

「急がず休まずに、これぞ汝の胸飾り心の底の奥に止め、浪風荒く吹きまくも花咲く小径辿るとも、世を去るまでの旗じるし」

この詩はM様が恩師から頂いた言葉で「座右の銘」のようにして、次の世代に順送りしたいと思う大切な言葉ようです。

この言葉は教育者の間では語られているゲーテの言葉のようで、「急がば回れ」「いそがずによく学習するように」の二つのことを恩師が語っておられるのではと私は両親がよく話していた「急がば回れ」の言葉を思い浮かべました。

現世は親がただ「勉強しろ、勉強しろ」だけで、時間がかかっても本道を行くほうが、結局は早く目的地に着くという「急がば回れ」のことを忘れているのではないでしょうか?(子どもには大事なことも教えてください。教育ママだけでなく、お願いします)

私はこれも前にブログに書かせてもらいました「なぜ」こんなに毎年自殺者が多いのか?・「なぜ」こんなに児童虐待がおこるのか?・親が子どもを子どもが親を「なぜ」殺めるのか?などとも教育の原点は共通しているのではないかとM様の今日のコメントに感謝し、私も次の世代に順送りしたいと思う大切な言葉として書かせて頂きました。また色々とご指導ください。M様、素晴らしいコメントありがとうございます。

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2017年11月 3日 (金)

私の誕生日(感謝:心が人生を支配する)

毎年、私の誕生日と妻の誕生日には家族で誕生祝の食事会を開いてくれて、またプレゼントなどを貰ったりして、感動と感謝の一日を過ごし、そして私は家族みんなが共にまた素敵な一年を過ごせるようにと祈っています。

今日は85歳の誕生日、今年も祝の食事会とプレゼントを貰い、私はこのようなありがたさを心に刻み(ひ孫も生まれ、二人目の孫も結婚し幸せな日々)また両親にここまで育ててもらったことへの感謝と親・家族への恩に報いるために私は何ができるか?そして人間として、そこに生きる意義を考えました。(この幸せを地域社会のためにも資するため意義も見つけたいとも思います)

追記
私は「論語」を約10年近く学習しています。その論語の中で最大の徳は「人を思いやること」です。このことを自分の心の中に「生きる指針」して、あらためて誓いました。
「今日の想い」
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       私の今日の思い句
 
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     誕生日祝いで買い求めた「筆」
「私を元気にしてくれる菊」
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        一年丹精込めて作った「菊花」

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