2018年4月 9日 (月)

「徳を求める」(人間はいかに生きるべきか)

今日は師友(S様)から講演会(人間として「徳」を求める)のご案内をいただき、私は「徳」を求める心を共有いている心友(K様、Y様)ご一緒に講演会に参加させていただき徳を求める心の素晴らしい講演をお聞きすることができ、感銘すると共に多くの心の学習をさせていただきました。

私にとってこの度の講演会は講師(S様)が体調を崩し、快復されてから一年ぶりの再会ができたこと、また講演会の質疑から会場に来られていた素晴らしい多くの方(感謝の心、思いやりの心、自立の心など道徳教育に携わっている)にも講演会が縁でお会いできたこと、さらにこの講演会に一緒に参加してくださった心友(K様、Y様)からも素晴らしい学習ができたと喜んでいただいた事など私がこのブログを開設したときの想い(徳の心無くして幸せなし)や遊行期を過ぎた私の心の願いなどとが重なり、非常に長い記事になりましたが、このたびの講演のお話を通じて感銘し、感謝の心を書せて頂きました。

前にもふれましたが講師(S様)は儒教を道徳規範として20年数年にわたり学び、研究し、心豊な子どもさんを育成したいと「子ども論語教室」を開設し、私はその20周年記念講演会にも参加させて頂きましたが、その時の講演でも人間が社会生活において守るべきは「徳」を身に付けることが非常に大切であるとのお話を伺いました。

このたびの講演でも長年「論語」で身を修められた講師(S様)が現世を思い人間は如何に生きるべきか?とそのため如何に人間力を高めなければならないかとのお話の中で、徳が非常に薄れた現世においても通じる貝原益軒の「養成訓」のにある「徳の心」についてのお話があり、その心の持ち方を論語が教える数多くある名言の中から自分のためでなく、今を生きるすべての人に論語の一句でも学んでほしいとS様の講演を感銘してお聞きしました。本当に素晴らしい講演会でした。

私はこうした講演をお聞きしながら、「自分の人生はたしてこれで良いのか?」と遊行期を過ぎた人間として生きる意義、役割、天命などさまざまな感じるところがあり、「徳」は人間にとって一番大切で、ただ生きるだけでなく善に生きることで、他者のために最善を尽くし、つねに「人に感謝する心」「人を賛美する心」「利他の心」「反省する心」を持つことだと思い、その心が自分の視野をさらに広げ、人間はいかに生きるべきかと徳の心を求めることにつながるのではないかと思いました。

そして人間は生きると生かされているとの違いはその徳の心に気づくことができるか?できないか?ではないかと思いました。(現世は社会も企業も個人も「徳の心」が非常に薄れているのが私は悲しく残念でたまりません)

以下、私自身の人生力をより高めなければとの思いとあわせて特に未来を担う若い人に何十年後までは考えられないと思うかもしれませんが、未来を考える視点を持って自分に恥じない生き方をしてもらいたいと今日の講演の一部と私の思を書かせてもらいました。

※私たち高齢者の多くはそれらの課題(超高齢化社会・平和な社会・子どもの教育など)を真剣に考えてこなかったのではないか?と自問自答し大いに反省して若い人に「今、何が大切?・今、何をすべきか?」を伝えなければならないと思いました。

『講師の素晴らしい講演』

講師(S様)が講演の中で人間が社会生活において輝いて生きるために守るべき規範として話された「徳」についてその一部を以下に書かせていただきます。  

■徳力を養う論語の名句から

天命を知る(為政篇)

訳:人間にとって人生の節目、節目にあるのが天から与えられた使命(徳)であり、天命を知ると言うことはとても大切な事である。

※「天命を知る」とは仏教の悟りを得るここと同じで、その使命を自覚するということで、反省して人間は成長をする。

天命を知らざれば、以て君子たること無きなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。(堯曰篇)

訳:天命を知らなければ人を指導・育成する資格はない。礼儀・礼節を知らなければ、人の上に立つことはできない。

※人間としての徳の志を持つことが大切さを知ること。

●忠信を主とし、義に徒るは、徳を崇くするなり。(顔淵篇)

訳:人格を高めるためには、心の中には忠信という誠の心を常に持ち、外に対しては道義にあった行動すれば人格を磨くこととなり徳が高くなる。

※誠実を根本におき、義を規範とする。

●事を先にして得るを後にするは、徳を崇くするに非ずや。(顔淵)
訳:自分の利益よりも自分が行わなければならないことを先に実行することが自分を磨くことになる。

※自分に対しては修めて厳しく自問自答し、他人に対しては、「仁」を持って接することを心がける。

●君子は義に喩り、小人は利に喩る。(里仁篇)

訳:君子は、物事を判断するときに、まずそれが正義にかなうかどうか判断するが、小人はまず自分の利益になるかどうかで判断する。

※ 人の心は弱いもので、つい目先の利益で物事を判断してしまう。君子は徳のある人、小人とは徳のない人である。

君子和して同ぜず小人同じて和せず(子路篇)

訳:学徳のそなわった立派な人間は私心がないから道理に沿って和合しうるが、不合理なことには付和雷同しない。私私欲がある人間は利を見ては雷同し協調はしない。

※私利私欲から離れているか、人のため社会のため成っているかと反省しながら行動する。

●義を見て為さざるは勇なきなり。(為政篇)

訳:人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ。
※「義」は儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つで、筋道の通った正しいことを行う。

正義と知りながら自分の利益を考えて正義を行わないのは、真の勇気を欠く人間である。

●徳は弧ならず、必ず鄰りあり。(里仁篇)

訳:徳のある人はけっして孤立しない。必ず理解し協力する人が出てくる。

※徳を求めるとは、人間が生れながらにして持っている人間の本性(利他の心)に従って正直に生きることである。

●道に志し、徳に拠り、仁に依り、藝(日常の活動)に遊ぶ。(述而篇)

訳:素晴らしい人間とは人の道を志していなければならない。次に徳(人格)が優れ、仁(思いやり)があり、そして日常の活動にゆとりがあり、そして、六藝に通じてゆとりのある人物が理想である。

※人間は「徳」を追い求めなければならない。その徳と仁は人の心情で、そして直ちに行為となって外面に現れる。
●苟しくも仁に志せば、悪しきことなし。(里仁篇)
訳:他人を思いやる心さえ忘れなければ、悪い心を抱くことはない。

※仁に生きようとすればその心に悪は生れない。

君子の道なるもの三つ。仁者は憂へず、知者は惑はず、勇者は懼れず。(憲問篇)

訳:人格者としての条件は「知仁勇」である。仁者は悩まない知者は迷わない勇者は恐れない

※自分の才をことさら宣伝する人間は世間から嫌われる。

故事成語と漢詩漢文の名言(易経から)

●「積善の家には必ず余慶あり」

善の徳を積んだ人には自分だけでなく徳が周囲の人・子孫にまでも喜び事が必ず生まれる。

※私は心友の家族を思う心に感銘して前にこの故事成語を書にしたことがあります。

■克己心の人(武士道から)

自分の欲望などに打ち勝つ心(自制心)を持つこと。

最後になりましたが、私は多くの師友・心友から処世の道となる「心の健康」につながる人間としての価値観や生き方など善的習慣から「徳」を積むことを学んでいますが、今日もまた師友(S様)から人が幸せになるために大切な「心に徳を持つ」ことの素晴らしいお話お聞きしました。また素晴らしい師を持つ幸せと共に今日の思を以下に追記しました。

追記
『自分の心に向き合って、徳に輝いて生きる』

■「師友とのつながりが生む勇気・感謝」

師友との「徳」を求める心の共有に感謝と勇気を頂いて次の直筆の書を書きました。

●四海兄弟(論語の四海の内皆兄弟なり)から(顔淵篇)

人に対してはうやまう気持ちを持って礼を忘れず接していれば、誰とでも師友・心友となれる人との信頼・絆が世界平和にもつながる)

●水魚之交(故事成語から)

「魚は水があってこそ生きていられる」という故事成語で人間は一人では生きていけない。(水と魚のように切っても切れない親しい心友があって自分があることを忘れない)

●清風朗月

鶴岡八幡宮の境内の神苑牡丹園を師友・心友(K様、Y様)と3人で見学し、自然の美を楽しみ、人間がその自然と共存して生きることの大切さとまた新たな勇気を頂きまいた。(S様の漢詩を吟う心から)

■「私の座右の銘」

私の人生訓とし人生の「自分の戒めのためにいつも心にとどめておきたい言葉」として先人・偉人の人生訓、書籍などを読んで「座右の銘」にしていますが、このたびの学習からあらためて次ぎの人生訓・座右の言葉(私訳)を掲載しました。

●温故知新(故きを温ねて新しきを知る)

先人・賢人から「知」学び人間は成長する(先祖を崇拝することも師友・心友の言葉も同じではないかと思います)※直筆で掛け軸にしている言葉。

●随喜功徳

人の幸せを自分のことのように共に喜ぶことが、一番の功徳(修行になる素晴らしい行い)につながり、他人に対する思いやりを持つことが大切である。

※直筆で掛け軸にしている言葉
 
●徳は孤ならず、必ず隣有り(講演でも説明にもありました)

何物にも屈しない道徳的勇気を持つこと。その徳の欠けている人間には心友はできない。※直筆で掛け軸にしている言葉

●一期一会

家族・師友・心友の出会いは宝である。(正しい人の道を学ぶ師を持つことは幸せである)

※私は心豊な生き方と勇気をもらっている。

■心豊な生き方を求めての私の学習している課題(徳に輝いて生きる)

●三省「反省する心を持つ」(後悔しない生き方をする)

師友・心友と「感謝の心」、「思いやりの心」など若い人への道徳教育への課題を共有していまおり、自分の言動・行動を自問自答し振り返っている。

※小さい子どもさんの目(私は孫の目、ひ孫の目を見て反省する)

●正しい人の道を学ぶ師を持つ幸せ。(心豊な生き方と勇気をもらう)

●心豊な生き方(道に志し、徳に拠り)

●人間に生まれ心から喜べる幸福(生きてて良かった)を追求する。死んでも魂は生きている。それが本当の幸せではないか?)

●生まれ持った善的資質を更に磨き、後悔しない人生を送るのに必要だと思う。
 善因善果、悪因悪果、自因自果(善い種をまけば幸せな運命が現れる。悪い種をまけば不幸になる。自分のまいた種は自分が刈り取らなければならない。
 『今日の思いから』
 
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  S様が開館した論語会館の玄関
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人との信頼・絆(子どもの教育への思いから)

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        師友・心友へ感謝から
 
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              S様の詩心を思い
 
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      神苑牡丹園を散歩して(自然の美)

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師友・心友への感謝の句(庭のふじ棚を見て)
~師友・心友の一期一会による絆は私の宝である

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2018年4月 1日 (日)

潅仏会(花まつり)

私の菩提寺では4月1日 から4月8日までが花まつりで、今日は私と弟二人で菩提寺を訪れ、本堂前に設けられた、綺麗な花でかざられた花御堂内の潅仏桶に置かれお釈迦様の誕生仏に甘茶を灌いで誕生日をお祝しました。

私は毎年、花まつりには菩提寺を訪れていますが、今年は住職さん・奥様から仏教・先祖につて少し長くお話を伺うことが出来、また参拝に来られていた方とも「お寺参りと私たちの心」などの会話があり、例年の潅仏会とは何かが違いました。

お釈迦様がお生まれのとき左手で大地を指さして言われたという「天上天下唯我独尊」という言葉を思い出し、よく仏教書などの書かれている「この世に自分という存在は自分一人、悔いなく生きるべし」の意味の言葉に私は生かされている自分を感謝しながら自省自戒しました。

私と弟はその後、先祖・両親のお墓に行き、お釈迦様の誕生日のお祝に来たことを報告し、そしてまた菩提寺の潅仏会にあわせて客殿で開催されている書・画・焼物・手芸展を拝見し、出展されている住職さん・奥様の作品(書の言葉)また地域の皆さんが出展されている素晴らしい一つひとつの作品に何か心から心へ伝わってくるものを感じつつ客殿を後にしました。

そして私と弟は菩提寺恒例の手打ちそばを頂き、ボランティアの皆さんにも感謝しつつ帰宅しました。

(お釈迦様の誕生日は4月8日ですので、その時はまた弟と二人で菩提寺を訪れ、住職さんから生かされている自分に感謝するための心を磨くお話をお聞きしたいと思っています。)
『今日の一日』

菩提寺の潅仏会
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 本堂にお釈迦様の誕生日のお祝い祈願
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     本堂前の花御堂

潅仏桶に置かれお釈迦様の誕生仏に甘茶を灌いで誕生日をお祝しました。かざられたお花一つひとつに自分の姿を見つめ直しました。

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     境内の見事な桜
■客殿で開催されている書・画・焼物・手芸展等

●菩提寺

「住職さんの言葉」
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   真言宗の言葉 悟りの境地を求めていく
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自分の心と真に向き合い、雑念や邪念を持たず悟りを得る道を見つける

「奥様の書」
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         摩

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         懐

●地域の皆さんの作品
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      雨過十生香
 
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         群楽
 
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       不動明王

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         合掌
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       水車小屋
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        道の草
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       立春の頃

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    無事なる風景 房総の
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         焼物

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       手芸作品
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      銅版作品(戌)
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     「愛語」ありがとう

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2018年3月18日 (日)

春彼岸(先祖・両親に感謝と誓い)

私たち家族は元旦、春や秋のお彼岸お盆・故人の祥月命日・年末などは菩提寺に先祖・両親に感謝と報告を兼ねてお墓参りをしていますが、私は年々墓前で両親と対話する時間が長くなっているように思います。

今日はこうした思いの中での春の彼岸の入り、私たち夫婦は弟夫婦と菩提寺を訪れ、極楽浄土にいる先祖・両親への感謝と遊行期に入っている私の新たな誓いを伝えると共に家族との絆がより深められたお彼岸になり、今の自分が如何に心豊かに幸せな人生を送らせてもらっているかに感謝しました。(娘夫婦も少し後でお墓参りし、私と同じ想いで先祖供養をしてきてくれました。感謝・感謝でした。)

また私は菩提寺の住職さんから元旦・お彼岸・お盆など仏教行事の前に人間として後悔しない幸せにつながる真理が書かれた小冊子を送って頂いており、自分自身の日頃のことを振り返るようにしていますが、このたびお彼岸を前にして送って頂いた小冊子からここでお彼岸とは?について少し書かせてもらいました。

私はお彼岸を迎えると現世を生きる私たちにとつての現世(此岸)と来世(彼岸:極楽浄土)を思い浮かべ心に「感謝の心」「利他の心」を持ち自分を省みて、あらためて両親の言葉(お天様が見ている)に努力する事を誓うのがお彼岸だと思っており、このたび住職さんから頂いた小冊子に書かれていた六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)についても「人間として心の中に眠っているその意義を探ってみようではありませんか?」でした。

私はこれまでも六波羅蜜にふれてきましたが、このたびの住職さんの問いについてお彼岸を考えるとき来世に目を向けて現世で今一番欠けていると思うのは6つの徳目の1つである「布施」ではないかと思います。

お布施とはお寺に供養して頂く時のお金だと思っている人もいますが、 必ずしもそういうことではありません。お布施とは他者へ施すことで“ありがとう”という言葉も電車の中で身体の不自由な方、高齢者に席を譲るのも私は「お布施」だと私は思っており、この人を思いやる心(利他の心)が今一番欠けていると思います。自分にできるお布施を実行して、人の役に立つことを考えましょう。この徳目が欠けていては真の心友はできず、幸せはない。(布施の大切さに気付くこと)

※私が今一番欠けていると思うのは人間としての生きる基本である人を思いやる心・人を賛美する心・人を妬ない心・嘘をつかない心ではないかと思います。常に自己反省することで自分を成長さすことができます。

私はお彼岸(悟りの世界)に到るその徳目を意識して実践しなければとあらためて多くの反省をさせられました。 

■最後になりましたが私たちを浄土から見守ってくれているお蔭で今の自分があり、その先祖・両親そして家族に感謝して次の俳句を作りました。
『題:感謝』
・菩提寺に 先祖に感謝 彼岸かな (家族の絆・家族の健康に感謝して)
・夢に見た 孫の成長 妻語る (結婚した二人の孫の成長に感謝して)
・ひ孫顔 家族に感謝 ひな祭り (私たち夫婦はこの幸せを先祖・両親に伝って)

今日の私の一日
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      禅寺の伝道掲示板
お彼岸前に禅寺の座禅で「あるがままの自分になる」
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   墓前で両親に六波羅蜜を誓う
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          写 仏
来世の望みを聞き入れてくれる弥勒菩薩様

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2018年3月 3日 (土)

絆は幸せをつくる(家族の絆・心友との絆)

日は何時もより少し早く目が覚めました。何故?わからない。

そのまま起きて朝風呂へ入り、今日は“ひな祭り”でる。また昨夜は心友(E様)との会食で心の豊かさ、笑を求めるお話など色々と学ぶことできました。

そんな想いの余韻を胸に抱いたまま別れて帰って来たなあ~とそれぞれ家族との絆・心友との絆など思い出しながら風呂な中で心に浮かんだことを記事に書かせもらいました。

『家族との絆』

もうすぐ先祖への想いに馳せる家族の絆をより深めるお彼岸です。

その家族との絆についてはお彼岸に書かせて頂き、今日は「ひな祭り」のひ孫への思いから俳句を1句作り家族への感謝の一日にしました。

『心友との絆』

心友(E様)とは2ヶ月に一度は食事・懇親などでお会いしていますが、昨日の懇親では何を話したか?わからないぐらいお互いに笑いの中で子ども、孫、ひ孫のなど家族の話が多かったように思います。

一方「絆は幸せをつくる」についてはE様から多くの方との絆についてのお話があり、今、その絆にどれだけ助けられているかわからない、またその絆について自分がどれだけ善的習慣の中で人を妬まず讃美する心がなければとも話されており、私もE様と絆で結ばれている方を何方か知っていますが本当に素晴らしい方ばかりです。本当に自分を助けてくれているのは大切な方との絆ですね!(現世、今一番薄れているのは絆を生む心ではないでしょうか?)

私も学生時代の同窓、職場で知り合った仲間、旅での出会いの友人、地域のふれ合いの中での友人、など一期一会の心から生まれた出会いが絆を通して幸せが生まれてくると思っており、今日はそうした思いの中で、離れていてなかなかお会いすることができない方もおりますが私もE様も同じ想いで絆について語り合えました。

私は幸せです。E様ありがとうございます。

最後になりましたが、昨日の心友(E様)との会話の中での想いから絆に感謝して、故事成語の中から「絆に関わる四字熟語」の「水魚之交」魚は水があってこそ生きていられるという人間にとっても友との絆の大切を感謝して筆をとりました。

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 居酒屋でE様と絆について熱く語る
 
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 「絆に関わる四字熟語」に筆を取る
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   ひ孫を思い浮かべての1句







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2018年2月14日 (水)

花は誰のため咲く(無心で咲くから美しい)

今日は上野東照宮ぼたん苑の冬ぼたん鑑賞と禅寺での座禅に出かけました。

はじめにぼたん苑を訪れ、その華麗に咲き誇っている牡丹に魅入り、禅語の中にあるように「百花春至って誰が為にか開く」の心を思い出し、また苑内の奉納俳句板で冬ぼたんを鑑賞し、奉納した皆さんの句に詠まれたその想いなどをい浮かべて、今日は何かいつもと違った心の座禅を経験した一日でした。

『百花春至って誰が為にか開くの言葉から』

この言葉は「誰のために花は咲いているのか」と自分を自問するための禅語であり、この言葉は私たち人間も花が咲くように自然のまま「無心」に生きることが大切だと教えています。(人間は社会に役立つために生きなければならない)

ぼたん苑内の奉納俳句から』

私は奉納俳句から世界を、来世を、先祖を、家族を、友人をと人間として「今を生きる」を強く感じました。

昨年も 師友(K様)と上野東照宮ぼたん苑を訪れましたが、K様と外国の方との会話を聞いていて人間は社会や思想に関係なくその美さにうたれる心は皆さん同じだと感銘しました。今年も多くの外国の方が来ていましたが、その思いは皆さんも同じだと思いまいた。

『今日の座禅・禅寺の伝道掲示板から

私は本当の自分を求めるために座禅をし、その静寂の心で「無心」になって、心を豊かにしてもらっているのではないか思っていますが、今日は前述の禅語の「百花春至って誰が為にか開く」とまたぼたん苑内の奉納俳句そして禅寺の伝道掲示板の円相の言葉などから、これからも生きていく時間を利他の心の信念が守れるよう祈願しました。無心になることでのストレス解消効果もあると思います)

~今日は自分の生き方(死んでも魂は生きている)をまた再発見した一日~

『私の今日の一日から』
 
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       上野東照宮ぼたん苑
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       私が何かを感じた牡丹(1)
 
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       私が何かを感じた牡丹(2)
 
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      ぼたん苑内の奉納俳句掲示板

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        鑑賞者の私と同じ思いの句(1)

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     鑑賞者の私と同じ思いの句(2)
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    鑑賞者の私と同じ思いの句(3)
 
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       禅寺の伝道掲示板言葉
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       自宅へ帰ってからの写仏
仏像と目を合わせながら無心で「
写仏」今日一日の煩悩を救ってもらう。

追記

今日私が奉納俳句に投函した一句

●寒ぼたん 心に元気 ありがとう

 

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2018年2月 8日 (木)

高齢者親睦交流会(思いやりのある町づくり)

日本の自然は四季折々春には春の冬には冬のよさがありますね!

私たちの自治会では「思いやりのある町づくり」の一環として春・秋の年2回高齢者の方々と一緒に花と歴史の郷などを訪れ、皆さんと顔の見えるつながりを通じて親睦を深めており、このたびは熱海梅園の梅の観賞に48名の方が参加し、今日も思い出話ができ、私は楽しい一日を過ごさせて頂きました。

私たちの自治会ではこのほかにも高齢者の見守り活動、高齢者の体と心の健康づくり活動、俳句の会、詩吟の会輪投げなど地域の人々との交流を深め思いやりのある明るい町づくりに取り組んでいますが自治会の役員・活動をお世話している方など非常なご苦労をされています。

日本社会ももっと国を含めて少子超高齢化の到来の中で高齢者も生き生きと地域活動等に参加できる町づくりをと思うことがあります。

私も今までの経験を生かし微力ながらお手伝いをさせていただいていますが、皆さんにも経験を生かしたその役割がまだまだ沢山あると思います。皆さんも一緒に考えませんか?

最後になりましたが、私は心がうっとりした中で熱海梅園で以下の俳句を2句作りました。

・冬至梅 余寒の中の 早春か

・紅梅の 眺め香りで 心春え

『今日一日の思いの中から』
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        熱海梅園入口
熱海梅園は明治19年に開園し、毎年11月下旬~12月旬に第1号の梅の花が咲き、早咲き、中咲き、遅咲きと開花し、私たちが訪れた時は7分咲きかな?花言葉:白梅は「気品」、紅梅は「優美」
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  冬至梅(園内に約45本あるそうです)

年の内で最も夜が長い冬至の頃から花が咲くのでこの名前が付いているそうです。寒さに耐えて花を咲かせる姿は、冬のひと時を楽しませてくrますので、お正月を迎える時期の鑑賞花とされています。
 
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 八重紅梅(園内に約60本あるそうです)
早咲きの品種で年始めから早春にかけて咲く早咲き品種です。花梅は甘い香りの一品種で寒中に紅色の八重の花が咲き、香りが春の訪れを告げてくれます。
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         熱海梅見の滝
この滝は滝の流れの裏側に入ることができ、梅まつりの最中だったので多くの人が順番待ちでした。※この滝の設営工事一式を私の自治会々員が仲間と一緒に手がけたそうです。素敵ですね!団地の誇りです。
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     相模湾から初島を望む
人口240人ぐらいが住んでいる有人島です。リゾート気分が満喫できるかも?

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2018年2月 5日 (月)

「心に善の自分軸をつくる」(感謝・信念・勇気)

今日は師友・心友(K様・N様)との新年会があり、懇談の中でお二人のその知的生活習慣から生まれる「心の自分軸」に感銘し、その大切さについて書かせて頂きました。

お二人は心の中に信念として置いている自分軸の原点は「感謝の心・利他の心」なのではないでしょうか?

私は前にも遊行期を迎えた人間として、「生きている」ことに対して「ありがたい」という感謝の心と「生きる」という責務・役割について「私利私欲に溺れることなく」、人間としてその心をもつことの大切さを書かせてもらいましたが、今日はお二人から心の中に信念として“ありがとう・おかげさま”の心を自分軸の原点に置いているとのお話もあり、私はその「感謝の心・利他の心」がお二人に「生きる力」と勇気を与えているのではないかと思いました。そして私もお二人から「生きる力」と勇気を頂きました。

またお二人は自分軸の原点としている“ありがとう・おかげさま”の心について自分を生んでくれた親、その親を生んでくれた先祖さらに多くの友人や家族などすべての人に支えられて、今の自分があると語っておられ、私はお二人の感謝の心が言葉を交わす多くの人々の間につながりを生み、地域社会を通じて人とのその「つながり」が自分だけでなく周りも幸せに広がり、多くの人が集まってくるのではないかと思いました。

私が師友との間で常に学んでいるは「得をした思う喜びよりも人の役にたったという喜び」であり、今という現在をただ考えるだけでなく「未来から視点で今を見ての私たちの責務と役割」を共に学習して、若い人に伝えなければという課題です。

今日はお二人から素晴らしい学習ができましたのでその活動の一部(社会貢献)について紹介させていただきます。

■K様・N様の社会貢献活動一部(高齢者と地域・子どもの教育)

『K様の子どもの教育』

●未来に夢を持った若い人にメッセージとして伝えなければと地域の子どもさんに聞いてもらおうとK様が買求めたCDを「ありがとうの歌」を、おじいちゃん、おばあちゃんから孫へ、孫から友だちへ、その友達から友だちへと「ありがとうの感謝の心」の大切さを伝えへているというお話です。(“ありがとう”感謝して生きる人生には心ある多くの人が集まります。)

「感謝と思いやり」の心を持った子どもさんを育てるため家庭・学校・地域でどのように係わっていけばよいか?皆さんも一緒に考えませんか。

※私も「ありがとうの歌」CDを頂き、毎晩寝る前に妻と聴いて心に安らぎを与えてもらっています。

●私は前に触れた課題として「なぜ」こんなに児童虐待が起こるのか?「なぜ」こんなに毎年自殺者が多いのか?など日本の社会が抱えている課題として、その原点は現代社会の世相の中にもあるのではないかと私はつねに心に悲しみを抱えています。

今日はその課題のヒントが得られるのではないかと思う 書籍“きみたちはどう生きるか”の書籍を頂き読ませて頂きました。

著者:吉野源三郎・羽賀翔一 出版社:株式会社 マガジンハウス

私は次の言葉の中に「なぜ」の答えを説くカギがあるのではないかと思いました。

・書籍の中に書かれていた、いま君は大きな苦しみを感じている。なぜそれほど苦しまなければならないのか、それは君が正しい道に向かおうとしているからなんだ。

・「死んでしまいたい」と思うほど自分を責めるのは君が正しい生き方を強く求めているからだ。人間ってものの、あるべき姿を信じているからだ。

私はこのK様の「子どもの教育にかかわる姿」に感銘しています。

『N様の高齢者福祉活動』

人間は誰でもが家族と自身の幸せを願うように、地域の高齢者も自分と同じような幸せを願っています。

一方で現世は高齢化社会・超高齢社会になって、高齢者を支える社会貢献が多く求められ、そうした中で地域での役割も非常に大きな課題になってきております。

N様はこうした諸課題に奥様の介護と併せてその課題にも利他の心で取り組んでおられます。

また仏像彫刻の道具を購入して、仏心のように心が洗われる「人の役に立つ」ことを願う「心の自分軸」をさらに磨こうとしているようでした。

『K様・N様への感謝』

最後になりましたが、お二人のお話から「易経」にある「積善の家には必ず余慶あり」のご家族だなあ~と、お二人の「自分軸の原点」に少しでも近づけるよう善的知的習慣を磨きたいと思います。ご指導ください。

『私がさらに磨かなければならないと思っている心の自分軸』

●愛語:ありがとうの心

●人を賛美できる心

●感謝:周りの人のおかげで今の自分がある(感謝の気持ちを持つことで人生は変わる)

●信念:自分の信念に従って生きる。(誰からも良く言われようと八方美人にはならない)

●勇気:嫌われる勇気を持つ。(先人・賢人から学ぶことで夢をかなえる)

●法話:煩悩の犬は追えども去らず。

訳:犬は追えば逃げるが、煩悩という名の犬は払っても離れない(私利私欲を遠ざける)

●私の座右の銘

・随喜功徳(人の喜びを共に喜ぶ)

・徳は孤ならず必ず隣あり(徳のある人は孤立しなく、必ずよき協力者にめぐまれる)

※私は人間としての生き方として、“ありがとう・おかげさま”は徳であり、この徳に気づかないことは不幸である。(人を讃美できない人間、人を妬む人間からは徳は生れない)

私たちはお会いした時は,”元気そうで””お会いできて嬉しい"またお別れする時は、”楽しかった””またお会いしたい””またお会いできることが楽しみです""お元気で、さようなら”今日もそんな一日でした。

~未来の夢は師となる心友を持ち人に感謝する心からはじまる~
『今日の一日』
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  師友との一時(私の財産・宝です)

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 私の書初め(愛語:ありがとう)
心のこもった優しい言葉は人との信頼は生まれる。そしてその笑顔は人の心に伝わる。友人・家族に感謝して私の書初め。
私の座右の銘の書も床の間の掛け軸に 

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2018年1月15日 (月)

人間の心と身体(身心一如、無心になる)

今日は新年になっての初の座禅で多くの思いを心に持って禅寺を訪れました。

そして座禅では初詣で菩提寺住職さんからお聞きした法話、そして住職さんから頂いた直筆の「書初め」に書かれていた無心」という言葉、さらに新年に墓前で両親に誓った年老いた人間としての役割など新年にあたって新たな思いの座禅をしましたが、自身の遊行期の多くの反省ばかりの自問自答の繰り返しばかりで、私がつねに若いに人に伝えたいと思っている「損か得かだけでものごとを判断すると不幸になる」いうことについて、未来から今の自分を見つめる悟りを得ることができないまま時間だけを過ごしてしまいました。

こうした座禅の中でも曹洞宗の祖師道元の「身心一如:身体も大切であるが心も大切にする」という言葉と「只管打座:心の調和するため座禅すること」という二つの言葉、そして前にもふれた元旦に菩提寺住職さんから頂いた「書:無心」という言葉から私は自分が生かされている役割と人間として「生きてて良かった」と思えるような人生の生き方だけを再自問して、健康な身体と健康な精神」を祈願することは「利他の心」で多くの煩悩を捨て去ることではないかと思いながら、私の師を求める心から両親に感謝、家族に感謝、心友に感謝と多くの心友の顔が浮んだ座禅でした。

今日はこうした思いと前にもふれましたが、私はいつも禅寺を訪れると参拝する前に必ず仏の真理の道理に触れている境内の伝道掲示板に新年の言葉として書かれていた「悪言、心を卑しめ自身を傷つける。正しき言葉は人の喜びを与え、心を楽しくする」の仏語を心に刻んで禅寺から帰宅し、仏壇に「ありがとうございました」と合掌して「心をからっぽ」にして心が落ち着かせ、心の静寂を保ってから写経・写仏をして床に就きました。

最後になりましたが、私は常に「身体を大切にすることは心を大切にすること、心を大切にすることは身体を大切にすること」であると思っていますが、現世は人を思いやる心が希薄なって善的生活習慣に気づかない人が多く、このストレス社会の中では非常に難しいことと思いますが、その「“人の心”とストレスついて、少し感じていることを追記させて頂きました。

追記

私は子どもの頃から常に両親からに性善説で物事を考えるようにと言われており、それが人間の心の原点にだと今でも強く思っていますが、現世では時折「善より悪が強い」と「利他の心」が薄れてきていると思うことが多く悲しくなります。

皆さんはこのようなことでさまざまなストレスが溜まっていないでしょうか?

お医者さんからストレスが原因で体調を崩し、様々な病気を引き起こすことがあると聞かされたことがあり、私も自分に直接かかわりのないことでも心が乱れてストレスではないかと思うことがあります。(現世はストレス社会だからでしょうか?)

私はこうしたストレスで病気を引き起こさないようにと先人・賢人が正しい道を説いている書籍をよく読み、その中からこれはという智的・善的生活習慣を学ぼうと自己を学習して、心を磨くようにしていますが、今日はそうした思いの中からこの言葉だけは非常に大切ではないかと私の思いを書かせて頂きました。一緒が学習しませんか?

『人間としての原点』

●日々の子ども教育

仏教に「愛語よく回天の力あり」と言う言葉があるように「ありがとう」という人を思いやる「愛語」で人の心を動かすことができると思います。

こうした毎日感謝しながら過ごす「ありがとう」の言葉で日々の生活の中で幸せを感じることが多いのではないでしょうか?

※私の心友(K様)は孫の教育は「ありがとう」から始まり、この「ありがとうの心」がお孫さんから友たちの伝わり、その友だちからまた他の友だちへと地域の子ども教育に貢献しています。

●住職さんの法話の「無心」から

「無心になる」とは一つ一つ自身の心に問いかけ、自分の心に真に向き合うことで「雑念や邪念を持たない」修行ができ、悟りを得る道を見っけることがでるということです。

私は「無心になる」ということで智的・善的生活習慣を学ぶこともできると思います。

●心を沈める論語(私の論語学習からの一言)

武士道や論語にはストレスを防いだり、乗り越えたりするのに役立ついろんな知恵があります。私の論語学習から次の論語を書かせて頂きました。

①義を見て為さざるは、勇なきなり(為政篇)

私訳:正しいことだと知りながら損得を考えて実行しないのは勇気のない人間である。

※保身を忘れ、真の勇気を持つこと。

②人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う(学而篇)

私訳:学問は自分のためであって、人に知られるための虚栄心でやっているのではない。

※私利私欲の心を持たず、善の心を持って自分のありのままで相手と接する。言行一致であれば人は信用される。

内に省みてやましからずんば、それ何をか憂い何をか懼れん(顔淵篇)

私訳:何事も反省の上に行動していれば心配することはない。

※別につねに利他の心で反省せよという「吾日に吾が身を三省」と言う論語があり、自身がその反省しているかどうかです。

徳は孤ならず必ず隣あり(里仁篇)

私訳:人は徳があれば決して孤立しない。必ず理解し協力する人が出てくる

※儒教の五徳「義・仁・礼・智・信」もっていれば素晴らしい師友が支えてくれる。
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     禅寺の伝道掲示板
●写経

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「一字一仏」一文字、一文字、書くごとに心が休まるから不思議です

●写仏
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   無心になる(心の中を空っぽにしてくれる)

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2018年1月 5日 (金)

新年の禅寺参拝(神・仏の機縁に感謝)

今日は心友との一期一会の感謝を捧げるため新年の参拝に禅寺にいってきました。

人生には誕生、成長、成熟、老衰、死という期がありますが、また古代インドには理想的な人生のそれぞれの生き方として“学問を身につける時期”“家庭を持ち仕事に励む時期”心を無心にして他人の役にたつことを考える時期そしてこれまでの知恵をもとにその道を人に説き伝える時期と4つに区切る四住期(学生期、学生期、林住期、遊行期)という思想あります。

私はこうした四住期の最後の遊行期(85歳)になり、これまでを振り返ると多くの人に支えられてきましたが、これも神様・仏様の機縁での一期一会で心友から多くのことを学び、これまで歳を過ごすことができたのだと感謝し、そうした思いを年賀状にも元旦の記事にも「遊行期の新年を迎えることができました。これも皆様との出会いとご縁のおかげです」と書きましたが、今日はこうした皆さんとの仏の機縁による一期一会に感謝しての新年禅寺参拝をしました。

また私は禅寺を訪れたときは、必ず境内にある伝道掲示板に書かれている仏の真理の道理の言葉に触れてから参拝していますが、今年の新年の伝道掲示板の言葉は「謹賀新年 佛紀2584年」と書かれており、私はお釈迦様が誕生してからの年数か?と何時もと違った思いと私の師友・心友(I様・Y様)が座禅と道元禅師の「正法眼蔵」を学習している禅寺でもあり、そしてこの禅寺で私が心の静寂を求めて毎月座禅に通うようになったのも仏様の機縁ではないかと思いました。

(この禅寺は私の中学・高校時代を過ごしたに学校に隣接しているお寺でよく同窓と境内を散歩したお寺で、またOBのI様・Y様と同じ禅寺で学習しているのも仏様の機縁ですね!)

最後になりましたが、現世は社会も企業も個人にもこうした大切な一期一会の大切さに気づかず「利他の心」忘れた「損得」だけを優先する社会になってしまったなあ~と思いつつ「損得の心」からは真の社会貢献するために学ぶものは無いと思いました。

私もこうしたストレス社会の中で多くの反省ばかりが残っており、大変難しい課題ではありますが、先にふれた遊行期の人間としてこれまでの知恵をもとに一期一会の友人の支えを得て「利他の心」なくして人間の幸せなしを若い人に伝えていきたいと思います。

~すべての出会いに感謝(ありがとうございます。ありがとうございます)で床に就きました~

※私は還暦から毎日、その日の出来事を日記に25年以上付けてきましたが、今年の元旦から出来事だけでなく、その日感じたことや今の思いを床に着く前に書く「おやすみ日記」を付けるようにしました。今日の日記は感謝・感謝の日記となりました。

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       禅寺の本堂
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      本堂前の香炉
 お線香の香りにおかげさまと感謝
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    禅寺の新年伝道掲示板











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2018年1月 1日 (月)

2018年元旦(無心になれ)

私たち家族は毎年大晦日には菩提寺のお墓の掃除とお花を飾り、お線香を供えて先祖に感謝・両親に感謝と家族の健康を報告し、一旦我が家へ帰り、除夜の鐘を聞きながら再び菩提寺を参拝して本堂で護摩祈願をさせていただいていますが、今年は弟の奥さんも私の妻も足腰の病で深夜の外出が困難なことから弟と二人で少し早めに年越しそばをいただき、来る年を前に再び我が家を出て菩提寺を訪れ、悟りへのお導きがあるようにと鐘撞堂で梵鐘を撞いてから本堂での護摩祈願に参加させていただきました。(大晦日と元旦の昼間は弟夫婦と私たち夫婦四人)

私はいつもお寺を訪れると自分に何かを問いかけて反省し、山門をくぐると悟り(心が洗われる)を感じ心が安らぎます。

私が遊行期に入ってからか?新年を迎えて「おかげさま」の感謝だけでなく多くを自問自答し、何かの思いがあっての梵の鐘撞堂で梵鐘を撞いて、その梵鐘の荘厳な響きで煩悩が一つ消え、悟りに至る功徳を心に残して護摩祈願に参加させていただきましたが、本堂で般若心経を唱えている時も護摩壇の炉に護摩木を投じ所願成就を祈願している時も何か心に安らぎと幸せを感じ、御祈祷の護摩お札を頂いての初詣でした。

今年も護摩祈願が終わってから住職さんの法話で心が洗われ、また直筆の書「無心」を頂き、法話の中で住職さんから「無心」について、「無心になる」とは修行(自分の心に真に向き合う)することと同じで雑念や邪念も持たず、悟りを得る道が見っけることで、人間が自分の内心(ネガティブな部分)をよく見ることが大切であるとのお話をお聞きし、私は住職さんの法話と書初めの言葉を一つ一つ自身の心に問いかけ、自問自答し反省して、自分を磨いていくことを先祖にあらためて誓いながら帰宅しました。

帰宅したのは午前3時、2017年を過ごした1年の反省と新年の梵鐘を撞いた清々しい気持ちを妻と語りながら新しい年を祝い、あらためて仏壇の前で手を合わせ、午前4時過ぎ床に付きました。

最後になりましたが、私は毎月2回新しい自分を見つめるため、先にも触れたましたが心友が道元禅師の正法眼蔵を学習している禅寺で座禅していますが、来週は今年になっての初座禅で自分の心に真に向き合い、住職さんに頂いた「無心」について「心をからっぽ」にして、本当の自分を見つめてきたいと思います。
今年も多くの年賀状に感謝・感謝の2018年です。

追記

私は古代インド人生の区切りでいう人生4つの区切りの最後の遊行期で、その遊行期の新年を迎えることができたことに感謝して以下の様な年賀状を出させて頂きましたが、師・心友、若い社員、親族からも285枚の有り難い年賀状をいただきました。

私はその一枚一枚の近況や励ましの言葉に「身心一如」の心で何か年老いた人間とその役割を果たしたいと思っています。これからもご指導ください。
 
「私の感謝の年賀状」
 
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    心が洗われる菩提寺の参道
 
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  鐘撞堂で梵鐘を一番に撞く(弟と私)
 
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住職さんの読経の中、参拝者が一人一人護摩壇の炉に護摩木を投じ所願成就を祈願する。(本堂)
 
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      住職さんの法話
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    住職さんから頂いた書初め
 
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 我が家の心の支えとなっている献燈
 2018
元旦の月(私に何かを気づかせてくれて1句)

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    玄関脇にある我が家の守り神
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 1月いっぱいは咲き、私を毎日迎えてくれる水仙
  花言葉:神秘・私のもとへ帰ってきて
※花は綺麗だろうと咲いているわけではない。無心に咲いている。その無心の中に美しさがある。(今年の住職さんの「書」からその思いを写す)

 

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