2017年7月 4日 (火)

安房国三十四観音霊場巡り(第九番・第十番・第十一番)

今年は何ヶ寺の霊場巡りができるかな?と思っていましたが、娘に感謝・感謝で妻と一緒にこれまで6ヶ寺、今日は鹿峰山信福寺(第九番)、金清山往生寺(第十番),奇雲山金銅寺(第十一番)、これで18ヶ寺の観音霊場巡りが終わりました。

坂東三十観音霊場巡りも約1年6ヶ月,安房国三十四観音霊場巡りはこれまで2年の歳月をかけての18ヶ寺で、体力的に結願は無理かもしれませんが、人間には煩悩が多くあり、私はその煩悩が少しでも消えればと娘に協力をお願いして、できるだけ続けたいと思っています。

■安房国三十四観音霊場第九番寺 鹿峰山信福寺 曹洞宗

慈覚大師が草創したとされ、本尊の如意輪観音菩薩坐像は行基の作と伝えられている。
●本尊:如意輪観世音菩薩
●御詠歌

しんぷく寺 のぼりて岸を ながむれば ほたのかわせみ たつは白波
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        本堂 

●ご朱印
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安房国三十四観音霊場第十番寺 金清山往生寺 真言宗智山派 

寺伝によれば寛仁元年(1017年)、恵心僧都(えしんそうず)が創立した。本尊の聖観世音菩薩も恵心の作とのこと。

●本尊:聖観世音菩薩
●御詠歌

おうじょう寺 のぼりて見れば ちしゅのはな いつもたえせぬ のりのこえかな
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        本堂

●ご朱印
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安房国三十四観音霊場第十一番寺 奇雲山金銅寺 真言宗 

由緒によれば、和銅2(709)年に現在地より北方の小萩坂に行基が観音菩薩像をら自ら刻んで創建したという。

境内にはある梵鐘は町指定文化財で、寛政元(1789)年に大山(鴨川市)の鋳物師藤原忠直作だそうです。

この梵鐘は第次大戦中の金属回収令で供出されて、その後に山梨県市川大門長生寺にあることが判明し、昭和58年(1983)、約40年ぶりに里帰りをはたしたそうです。

●本尊:聖観世音菩薩
●御詠歌

はるばると のぼりて見れば こんどう寺 はぎのはしらは 五六千本
 
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        本堂
 
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        梵鐘

●ご朱印

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2017年6月 6日 (火)

安房国三十四観音霊場めぐり(第二十二番・第二十三番・第二十四番)

私はちょっとしたきっかけで、「仏心に触れ、己と向き合う心の旅」になればと坂東三十三観音霊場巡りをするようになり、そして2年ほどかかりましたが妻と共に満願させていただき、それぞれのお寺の縁起や史跡、伝説などを尋ねてお参りしているだけでしたが観音霊場巡りを重ねるごとに自分の人生は、自分自身で歩むものであり、生きるという心の変革に自ずと少し気づくことができたように思います。

私はこうした霊場巡りで仏心に触れ、仏さまの教えから己と向き合う心が如何に大切であるかを学び、そしてこうした心の思いを更なる自分の拠り所となる灯火として続けようと安房国三十四観音霊場巡りを始めましたが、昨年は妻の入院などがあって2ヶ寺だけ、今年はと思っていますが、私も年老いて娘の協力なくしてはできなくなりました。

今日はこうした中、娘が私と妻の心の願いが少しでもかなえればと道場山護穀寺勧修院(第二十二番)、金剛山宝珠院、(第二十三番)、平尾山、長谷山延命寺(第二十四番)の観音霊場巡りができ、これで15ヶ寺の観音霊場巡りが終わりました。今年は何ヶ寺を参拝できるかな?娘にお願いしよう。(結願は無理かな?)

■安房国三十四観音霊場第二十二番寺 道場山護穀寺勧修院 真言宗智山派
観音堂には行基菩薩の作と伝えられる本尊の千手観音菩薩像、弘法・興教両大師坐像、不動明王立像などが安置されています。

●本尊:千手観世音菩薩
●御詠歌

 朝日さす 夕日かがやく この堂へ まいる人こそ 仏なるらん
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      観音堂(本堂)
●ご朱印

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■安房国三十四観音霊場第二十三番寺 金剛山宝珠院 真言宗智山派

創建は応永7年(1400年)、僧・宥伝(ゆうでん)の父が深く仏教に帰依して、私財を投じて寺院を建立。宥海僧都を招いて、実乗院と称したのが始まりと伝えられています。
その後、宥伝が本尊に供える水を井戸から汲もうしたところ、水面に「宝珠」の文字が浮かび出ました。かくて宥伝は実乗院を宝珠院と改めたといわれています。この閼伽井(あかい)という井戸は、現在も本堂の前にあります。

●本尊:十一面観世音菩薩

●御詠歌

あま寺へ 参るわがみも たのもしや はなのお寺を 見るにつけても
 
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           観音堂
●ご朱印
 
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■安房国三十四観音霊場第二十四番寺 平尾山長谷山延命寺 曹洞宗
永正17(1520)、戦国大名・里見実堯(さねたか)が吉州梵貞和尚を迎え、開基したという延命寺。以降、10代忠義までの後期里見氏の菩提寺となりました。
慶長年間には里見氏から217石あまりの寺領を与えられ、その後徳川家からも同様に保護されました。
500年の歴史を持ち、多くの雲水が修行をした禅寺で、安房曹洞宗の中心的なお寺といえます。

本尊:十一面観世音菩薩
御詠歌
平尾山 
のぼりて見れば うどの原 出世はここに 七夕の松
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        観音堂
ご朱印
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2017年6月 3日 (土)

孫の結婚式(幸せいっぱい)

私は孫娘が二人、今日は下の孫娘の結婚式でした。

上の孫娘の時と同じように、何カ月も前から妻と共に楽しみにしていて、今日も早朝からそわそわしていて、家に居ると落ち着かないので早く家を出て結婚式場に1時間以上前に着きました。

挙式は教会式結婚式で私は孫娘が父親エスコートされて教会の入り口からバージンロードを通って祭壇に向う姿に妻は笑顔を見られましたが、感激のあまり涙も浮かべており、私は感無量で胸がつまりました。

また式での神父さんの言葉 愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?----とそして教会の結婚式でよく歌われる有名な讃美歌・聖歌に私と妻は上の孫娘の結婚式の時と同じように孫の結婚式に出席することができたことへの感謝と幸せを強く感じました。

そして披露宴では席に着くと孫がお世話になっている参列者全員の席に「お礼と思い出の一言」が参列者席の名前の前に置いてあり、私と妻の前にも嬉しい一言があり、私たち夫婦は感動し嬉しい涙の披露宴スタートとなりました。

また結婚式・披露宴の最後に参列者してくださった皆さんへ感謝の気持ちを伝える「花婿の謝辞」が新郎自身の心の言葉で挨拶され、私はその新鮮な挨拶に感動を覚えました。神聖で厳かな本当に素晴らしい結婚式でした。“ありがとう、ありがとう”

追記(私の想い) 

妹思いの上の孫娘が新郎、新婦に一言(いちげん)の色紙を買い求めてきてくれており、私と妻はその色紙に次の言葉を書かせてもらいました。

また人生の遊行期に入った私にあと何回か素晴らしい思い出になる機会があるかな?と思いながらもう一人のひ孫と来年初のひ孫の『七五三の日』まで元気でと思っています。
■私の今日の一日
 
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私が孫に心の中で”おめでとう”と声をかけた一枚の写真(私も妻も幸せ)

■孫からの一言
 
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■私と妻のお祝いの一言
●私の一言
 
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     幸福な夫婦の徳 『詩経』から
    夫婦の仲がよく、家庭が穏やかに
●妻の一言

二人仲良く、いつまでも
心温かく いつまでも仲良く お暮らしくださいと私の一言と同じ思いです。

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2017年5月31日 (水)

「人間らしく:師友の言葉」(人間として生きるための志)

師友・心友(H様)のブログ記事を拝見して、人間として生きるための志を強く感じてこの記事を書きました。

私はH様からブログ「人間らしく」を開設したとのメールを頂き、その動機となった「理念に深く感銘」したことを前にもブログに書かせて頂きましたが、H様はブログ開設後も毎日ブログに『人間らしく生きるには』の課題(志)が書かれ、「自分の行いはすべて神仏がつねに見ている」とも語っておられます。
またこうしたH様の姿はブログ記事と併せて掲載されている自然写真(H様の心がカメラに写真を撮ろうと呼びかけているのでは?)からも「真理は自然の中にあり」で私たちに何かを問いかけているようです。
私はこうしたH様の「人間らしく」の記事に共感・感銘しながら自問して、「自分の本当の心の声」を聞き自答しなければと、「心に深く刻んで忘れてはいけない」と思うことを記事に書きました。
※H様はブログ「人間らしく」の記事を毎日書かれています。私はこれからもブログを拝見させていただき、さらに心の自己学習をして、『人間らしく生きるには』を多くの人に伝えていきたいと思います
『心に深く刻んで忘れてはいけないと思うこと』

私は8年前に「生きてて良かった」と思えることを日記として記録に残そうとこのブログを開設しましたが、このたびH様のブログに書かれている記事を拝見して、私はまだまだ心の自己学習が足りません。

私は8年前を思いだし、H様のブログに書かれているように「真に人間らしく生きる」ためにはと改めて自問して、人間として心の中に気づかされた大切なことを書かせてもらいました。(反省することばかりです)

■「人間らしく生きることとは?」
毎日心が痛む暗いニュースが多く、世の中で本当に大切なものを見失っていると思うようなストレス社会の中で、人間として「どう生きるべきか」を自問すべきではないでしょうか?

●欲やお金を追い続ける人生は、人間らしさはおろか人間らしく生きることを忘れてしまうかもしれません。

●人間としての誇りとは?をもう一度考えましょう。

※私の誇りは、両親、家族、師友・心友です。

●自分の真の姿(自分に見えない後姿・日々感謝することを忘れない・人を思いやる心)

●社会規範を見失わない(道徳、倫理、義理、人情、模範)

■私の自己学習

私は先人・賢人の書籍を読み、人間としての生き方を教えてくれる心に残る珠玉の言葉から自分の心に描く夢の実現のためにその大切さを学習しています。

(先人・賢人の「四字熟語」が死語になってきていることが悲しい)

また私は多くの師友・心友に支えられた人生で、そのふれ合い中で多くの日々の知的生活習慣を学習をしています。

●写経・写仏・書

「論語」心の師友に進められて10年)

●いす座禅(師友・心友が道元「正法眼蔵」を学習している禅寺)

※毎月2回(ストレスで体調不良になっていると思う時も)

●自然の中から真理を学ぶ。

●独り静かな自分の時間を持つ。

追記
H様は目が覚めと「立てない」「歩けない」「座れない」など突然の病(脳梗塞)で倒れ身体の自由が完全に奪われてしまい、2ヶ月ほど入院されて退院されましたが、退院の際にお医者さんが「よく生きれましたね」とおっしゃった言葉も私は先にふれました「自分の行いはすべて神仏がつねに見ている」とお医者さんも心に思ったのではないでしょうか?

私もH様がブログ記事の中にかかれている次の言葉からそう思います。

H様、大変だったですね、でも私は安心しました、退院おめでとう!

●明治の教え父親の教え ありがたい教えだと今でも感謝しています。

・人間どんなに貧しくても「心だけは真っ直ぐ、胸を張って生きなさい」

●「わたしは世の完成まで、いつもあなた方と共にいるーーー」マタイ福音書より

●知人・友人・見舞ってくれた人に会えば「涙が止まらない」

●人を思いやる心「親切」は世の宝

●ナースは天使ナイチンゲール精神

●自然・神様に「身を委ねよう」

最後になりますが、私は世相の中で疑問を持ち始めると、自問自答が止まらなくなり、これが「葛藤」となり、時折「善より悪が強い」と「利他の心」が薄れてきている世相を思い、自分では気づかないうちにストレスが溜まっていると思います。

よく精神科のお医者さんはストレスが原因で体調を崩し、様々な病気を引き起こすことがあるからといわれます。

H様のこのたびの病も人間として人生の善きことを追求し、後世に何か価値あるものを残す役割をと自分に厳しく、思い詰めてのストレスが溜まってことかもしれません。

仏教に心身一如というを言葉があり、精神と肉体は一体のものとして考えられています。バランスが大切です自分をあまり厳しく思い詰めないでください。

またブログを拝見させていただきます。お身体を大切に!
■今日の学習から
 禅寺住職さんの言葉
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我を捨てて「心を空っぽ」にする。私は今日も「心の静寂」を座禅に求めました。

●道元(正法眼蔵)から
 
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師友・心友に感謝して筆をとりました。
●写論語
筆を取り論語の経典語を
写しながら今の自分を反省しました。
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     論語経典語句(上)
 
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     論語経典語句(下)
 

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2017年4月26日 (水)

「心の会話が心を癒す」(師友の価値観と知的生活習慣)

私は菩提寺の住職さんから法話などの中でよく「人の話は心で聞く」ようにと聞かされ、また両親からも同じように「相手とは心で話し、心で聞け」と云われてきました。

私はこのような心で師友・心友と深く交わり、時には相手の方から笑われたりすることもありますが、これが人とのコミュニケーションの一つの法則で人の話を心で聞くことは自分に対しても、相手に対しても誠実に生きていることになるのではないか?と思っています。(この事で自分の心が原点に戻ることができ、もう一人の自分を知ることができると思います)

今日はこうした想いの中で、何時お会いしても同じ「心で話し、心で聞く」師友・心友である川崎様、米本様との食事・勉強会で心癒しつつ、お二人から人間としての価値観と知的生活習慣など多くのことを学ばせて頂いた一日でした。

価値観と知的生活習慣について
■私の思う人間としての価値観と知的生活習慣人の価値観はそれぞれ人によって違いますが、それはその人それぞれの人生哲学だと私は思っています。しかし現世はその価値観が大きく変わり、あまりにもお金・地位・名誉だけに価値を置いている人が非常に多くなっているのではないでしょうか?(心が貧しくなった・ストレス社会になった、これだけでは人間として自身の夢・希望・幸せはないと思います)
人間は自らの価値観意義)を見出し、そのための目的のために知的生活習慣を身につけて、はじめて人生を豊かにすることができると私は思っています。(自身の考え方や行動で未来が変わるのではないでしょうか?)

〖今日の学習から〗
今日は川崎様、米本様から価値観知的生活習慣について、そのため最も必要な知識(後述)の追求と精神的活力の源を学習し、私は少しでもお二人と同じように将来の夢を周囲にどう伝えるべきかを「自分の課題」とした成熟した人生をつくる心を持たなければと思いました。
※以心伝心という禅の言葉がありますが、これには人に善を伝える努力が必要で、以心伝心があってこそ師友・心友が生まれるのではないかと私は思っています。

上野東照宮と牡丹苑・東京国立博物館
米本様が水彩画同好会の集まりがあったため、お会いするまで時間があり、川崎様と二人で上野東照宮参拝・東照宮牡丹苑でぼたん鑑賞と東京国立博物館の特別展を参観しました。

●上野東照宮・牡丹苑見学
川崎様と二人で上野東照宮を参拝のあと牡丹苑で富貴花、百花の王と呼ばれ詩歌に盛んに詠まれている”ぼたん”を鑑賞をしました。
上野東照宮・牡丹苑は日中友好を記念して開苑されたようで、今は、中国牡丹、アメリカ品種など多くの牡丹が鑑賞でき、その精いっぱい咲いているぼたんを日本人だけでなく外国の方も多く鑑賞しに来られていました。
そして牡丹を鑑賞した後、皆さんがあでやかに咲き誇っている牡丹をそれぞれの想いで、短冊に書いて奉納俳句を掲示板に貼り出していました。

私は川崎様から一句詠んだらと云われましたが、それよりも私は川崎様の知見に感銘を受けるとともに、その知見から私に与えくださったアドバイスに感謝しました。
また牡丹苑内の休み処で川崎様がイタリアから来られご夫婦とどちらから来られたのですか?何時こられたのですか?これからどちらへ?何時まで日本に?など会話をしている姿に私は感銘し、また私にイタリア語と英語の発音の違いと、さらにご夫婦の住んでいるところは古い歴史のある町であることなど教えていただきました。
ご夫婦は帰国して日本の美と文化を子供さんに、お孫さんに、そして私たちのことも話されるのではないか?まだ何日か日本各地を観光して廻られるようでしたのでその途中でもと川崎様とこれも「一期一会」ではないかと話しながらご夫婦と別れました。川崎様ありがとう!
牡丹には二期咲き(早春と初冬)があり、冬牡丹は鶴岡八幡宮境内の神苑牡丹園のぼたんを2月1日に撮り、写真俳句にしましたが、東照宮・牡丹苑の春牡丹はわが家に帰って撮った写真の中からその時の思いを句にしました。
※外国人観光客の方のも多く、皆さん日本の美の美しさと日本を愛してくれているんだなあ~と思いました。

東京国立博物館見学
私は東京国立博物館の平成館には特別展のたびに訪れていますが、このたびの「茶の湯」特別展があり、お茶についての作法などまったく知識は何もありませんが、禅語にも「一期一会」と云う言葉があり、お茶と云えば「一期一会」、一期一会と云えば「お茶」そして「千利休」と思っている私ですが、現代でも通じる何かが学べるのではないかと千利休の生涯を学習しようと東京国立博物館を訪れました。

そして千利休が「お湯を沸かし、茶を立てて飲むだけ」と当たり前のことを当たり前にやると「茶の湯」に語っているについてのその心、また千利休が切腹へと追い込まれた諸説、禅語にある「喫茶去」などをこれからもっと学習しようと思いました。

 ■今日の一日(三人での食事会にて)
前述で必要な知識にふれましたが、私は知識には善知識、悪知識、無知識があり、お二人から善知識(悪知識、無知識についてはあらためて書かせてもらいます)を持つことの大切を語られ、お二人とも自分を磨きあげる言葉として、心の中に感謝する心から生まれるという「ありがとう」の言葉について語られました。

川崎様は人を愛すことを自身の誠の誇りとしておられ、米本様は禅寺で道元禅師の「正法眼蔵」を研究・学習いておられます。

お二人はつねに日々の知的生活習慣として人を愛すことが原点になければと語られており、川崎様からは前にもこのブログに書かせていだきましたが、作詞・作曲:佐久間順平、編曲:入江 純、うた:さとう宗幸の『あ・り・が・と・う・の歌』の頂いたCDの中で歌われている「ありがとう」の言葉の力について伺い、私はこの歌を毎晩床に入る前に妻と一緒に聴きながら心を癒していますが、今日も川崎様の善知識に感銘しました。
また米本様からは道元禅師の「正法眼蔵」の書の中でもふれられている「愛語よく廻天の力あり」の言葉から「ありがとうという」という愛語一つで人の心がどんなに豊かになるか?など「愛語」というのは「自分が触れ合うすべての人に対して、思いやりの心を持つことで、つねに相手の気持ちを察しての言葉で人間は親しみの気持ちを抱くような心のこもった言葉をかけることだと話されていました。

私はこのような善の正義感の強い美しい言葉を語られていた、二人にまた学習させてください「ありがとう」と本当に素晴らしい一日でした。
最後になりましたが、「道を示してくれる師友・心友」は必ずおります。

私の学習している論語にも次のような言葉があります。

子曰く、学びて時にこれを習う、亦)説ばしからずや。朋有り、遠方より来たる、亦楽しからずや。(習ったことを機会があるごとに復習すると理解が深まり楽しい事だ。友人が遠くから訪ねてくれて学問について話合うのは喜ばしい事だ)という言葉があります。
私はこうした心が癒される時間を皆さんのお陰で持つことができ幸せで、そして元気をいただいており、今日も帰宅して玄関を入ると妻が良い顔しているね!でした。(人間は感謝し、報恩、努力すろことで豊な心が生まれます!)
川崎様、米本様ありがとうございます。私は勇気・元気をいただきました。
~“ありがとう”と感謝の心が人の心を動かす~
〖私の想いと心に残したい写真

 
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     心で会話する師友・心友
上野東照宮
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    新緑の中の東照宮本殿
 
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       御神木〈大楠〉
幹周回:約8メートル

・高 さ:約25メートル
・樹 齢:約600年
東照宮創建以前からこの地を見守り続けている上野の祖木
上野東照宮牡丹苑(私の癒し)

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           牡丹の香
 
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花は人間のように「悪知識」が無いからこのように美しく咲くことができるのだと私はこの「書」を書きました。

■奉納俳句
 
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来園者がそれぞれの思いの書いた奉納俳句板
   (その一部を掲載しました)

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   愛妻と一緒に来られての句かな

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    親が娘を想う句かな

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 亡くなられた御主人を思っての句かな
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桜の花が散って、牡丹花、故郷中国を想ってかな?
中国では牡丹花が非常に愛されているいるからな。
 
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この美しい牡丹花を待っていました。日本は大好き!
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川崎様が会話していたイタリアから来られていたご夫妻が書かれた心の想いかな?※後で川崎様から翻訳していただこう。
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 私がぼたん花を観賞している来園者の姿とその句からの想いです。

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2017年4月20日 (木)

人間らしく(師友・心友がブログ開設)

師友・心友(H様)からブログを開設したとのメールを頂きました。

H様とは前にもふれましが40数年前の一期一会の師友・心友でご家族は皆さんクリスチャンで感謝の心・ 他人に対する思いやりなど豊かな心をお持ちで、その知的生活習慣に私はつねに感銘しています。

私はすぐお電話をしてブログを開設した動機とブログの検索件名(人間らしく)をお聞きして、私はすぐ10年前にブログを開設したとき私にコメントを送ってくれたボランティア仲間からの次の言葉が心に浮かびました。

その言葉は世界平和ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサが受賞のインタューで「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」とたずねられた際に答えた一言です。

「我が家に 帰って家族大切にしてあげて下さい」それはすべての人が我が家に帰り家族に奉仕することで、私たちの心が穏やかに、平穏無事に毎日を送ることでき、それが「世界平和」への貢献になることだと話されていたことです。

H様がつねに語っているのが人に対する思いやりが薄くしまったなあ~人間として今一番求められているものは何か?それは「心・神」で「善」ではないか語っており、それがこのブログ開設の動機きではないかとまたあらためて強く感銘しました。

※マザー・テレサの一言のようにすべての人間が愛をもって行動すれば世界中で戦争も犯罪も行われませんね!

最後になりましたが、私は師友・心友からも多くのことを学び価値観を共有させて頂いておりますが、これからもよろしくお願いいたします。

※私のマイリストにH様のブログをリンクさせていただきました。ありがとうございます。

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2017年4月 8日 (土)

花まつり(灌仏会・暮らしを彩る年中行事)

私は毎年、お釈迦様の誕生を祝う花まつりには家族で菩提寺を訪れ、お釈迦さまの誕生をお祝いしています。

今年も菩提寺では4月2日から8日(お釈迦様の誕生日)までが花まつりで、2日は弟と二人で、8日は家族でお釈迦さまの誕生のお祝いとお墓参りをしました。

私たちは本堂前の花御堂に置かれた「誕生仏」に柄杓で甘茶を注ぎ、お釈迦さまの誕生をお祝いさせていただき、お祝いすることで、自分自身が生まれてきたことへ感謝することが、花まつりを迎える大切な心ではないかと思いました。

その後、私と弟は菩提寺の花まつりと併催の客殿に展示されている住職さんご夫妻をはじめ近隣の方の書道、絵画、陶芸など数多く出展されている作品を一つひとつ今年も出展されている方の想い(願い)を思い浮かべながら作品を拝見させていただき、私は自分の現世での課題は何か?を考えながらも喜びも感じる花まつりでした。

そして作品を拝見させていただいた後、作品を出展されている方、見学に来られていた皆さんと住職さんご夫妻を囲んでの記念写真を写していただきました。

私は住職さんのお話を聞くたびに自分の心を磨くための智慧をいただいていますが、お顔を拝めるだけでも元気を頂いています。今日も一日幸せでした。

追記

このたびの東日本大震災に遭われ、ご主人を亡くされ、隣の市町村に一時移り住んでおられる方が住職さんの奥様の案内で本堂におられ、私はお会いすることができ、東日本大震災に遭われた当時のお話を少しお聞きすることができました。

お寺さんに避難したのですが、海水が天井まで1メートル足らずのところまで、そこに浮いた畳に上で海水が引くのを待っていたとか故郷の復興具合を見たいと今年も訪れようと思っていますが、その美しい村から何かが奪われて「知らない街になっているのではないか?」などまだまだ多くの被害を受けた皆さん、親族を亡くされた方々もおり大変な思いをなさっておられる、そのお話を胸をつまらせながらお聞きしました。

あれから6年私たちは絶対に忘れてはいけない東日本大震災です。

今日お会いした方は昨年の花まつりで菩提寺の書画展に見学に来られて、そこで住職さんの書かれた「生きる」という書から住職さんとの文通がはじまり、今年も花まつりに来られたとのことでした。
『今年の花まつりに想う』
■「誕生仏」に甘茶を注ぎながら現世を想う

私は菩提寺の住職さんから頂いた書籍・法話また坂東三十三観音霊場巡りで多くの先達さんからお聞きしていた言葉を思い出し、我が家に帰って妻と現世を語る中で、次のお釈迦が生まれたときに発したと言われている釈迦名言集の中にある次の言葉を思い出しました。
「わたしは愚かである」と認めている者こそ賢者である。反対に「自分は賢者である」と思っている者こそ愚者と呼ぶにふさわしい。
※私の学習の中の名言集にもこんな言葉があります。
学べば学ぶほど自分何も知らなかったこと気づく 気づけば気づくほどまた学びたくなる (アインシュタイン)

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              花御堂に置かれた「誕生仏」
右手は天を指さし,左手は地をさしていいます


 
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                    本堂前
       お釈迦さまの誕生祝いの参拝者
 
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               境内のしだれ桜
     お釈迦様と参拝者を祝していますね!

書・絵画・陶芸展に想う
私は出展されている皆さんの一点一点に高い見識と心を磨く姿を思い浮かべて感銘しました。(私は写経をしていますが「書」は写経の心に通じるものがあるな~と思いました)

●住職さんの書

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人生の目的の完成は心に中に「一念」と元旦に住職さんから頂いた書

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       住職さんますますお元気!
2018年は白寿2019年は百寿を迎えられます。その
百寿に向かっての「位地について用意どん」のお気持ちを書かれたのだと思います。私も元気を頂きました。

●住職さんの奥様の書

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        八大竜王
お釈迦さまが誕生したときに、天の八大竜王が甘露を降らせて祝ったという言い伝えられています。(本堂に展示されていて、大筆で書かれたのか?高さ3メートルもありました)

 
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       ともに生きる
世界平和を願ってお書きになったのではと私は想いました。

●近隣の皆さんの作品
 
 
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               扇面般若心経

般若心経から得られる功徳は私利私欲を捨てて初めて得られることを教えてくれる。

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                  祈 り
日々祈りを大切にしている方ではないでしょうか?

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                雪の詩

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              濃溝の滝
      千葉県君津市の話題の秘境

 
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              陶芸作品
   土にふれ、ろくろを回し、自分の心を磨く

■今日の私の写仏

 
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            釈迦如来像
住職さんからお聞きした多くのお話しを思い浮かべながらの
写仏















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2017年3月20日 (月)

春彼岸(四無量心:慈・悲・喜・捨の心得)

毎年春・秋のお彼岸は菩提寺に家族でお墓参りをして先祖供養をいていますが、今年も「彼岸入りの2日目は弟夫婦と私たち夫婦四人でお墓参りを「彼岸の中日」の今日は娘と私たち夫婦と3人でお墓参りをして先祖供養をしました。

私は毎年お彼岸が近づくと両親のいる「彼岸という悟りの世界」をもっと知らなくてはと思いながら彼岸を迎え、そして人間は皆此岸という迷いの世界いるのだと思いながらお墓参りをしています。

私はこうして彼岸を迎えるたびに自身の愚かさを知り、迷いの中にいながら迷いを越えていくことで人生が開かれていくのではないかと、前にも触れましたが死は人生の終わりでなく生涯の完成(魂は生きている)であり、大切なことは日々の過ごし方だと菩提寺に行くといつも良心に恥じない生き方しなさいと母の言葉を思いだします。

今年はお彼岸を前に菩提寺の住職さんから自分の存在は相手があってこその自分であり、人間はその日その日の「四無量心」の旅で彼岸に到達するという「慈・悲・喜・捨」の四つの心得が書かれていた小冊子(遍照289号)を送って頂き、私はその四つの心得を自問し、先祖・両親に感謝しつつお墓参りをしました。
『四つの心得』
住職さんの言葉から
・慈:他者を愛する心。(人のことを大切に思う心)
・悲:他者の苦しみを知る心。
(人の悲しみを自分の悲しみのように感じる心)
・喜:他者の幸福を知る心。(人の喜びを自分の喜びにように
感じる心)
・捨:相手に対する平静で落ち着いた心。
(いずれにもかたよらない平常な心)
※この四つの量り知れない(無量)心を発揮して他者に楽しみを与える、この仏教の教えを我が身に受け、体内に潜在している仏性を目覚めさせ、彼の岸目指して漕ぎ行きましょう!
また
前にもふれさせてもらいましたが、仏教には六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・
人間・修羅・天)と云う六つの世界があり、人間は死んでも魂は生きていると云われ、「四無量心」と同じように生前の行為の善悪によって、来世にまた人間として生まれ変わる六道がかわると云われています。
私と弟は今日もこの六道観音像にお水をかけ碑に刻まれている御詠歌を唱えながら魂を磨き新しい自分になることを祈願しました。
〖私の今日の想いから〗
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       地蔵菩薩立像
菩提寺の六道観音像を想い浮かべ
「写仏」しました。
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   墓前で父母を思いだしでの句
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住職さんの言葉から紙と筆が仏の世界を教えてくれました。

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2017年3月17日 (金)

師友の誇り(人の役に立たせてもらっている・感謝)

今日は師友・心友(K様)の発案で中国で日本語学校教師を務めていたI様を囲んでK様と私と三人で食事会を開き、その誇り高い生き方を学習しました。

私はこれまでも師友・心友の知的生活習慣から「感謝・師友・勇気・誇り」、「心の豊かな人・誇り」、「智・慈しむ・勇気」、「誇りとプライドのお違い」など「人間としての誇り」を持つことの大切さ学習してきていますが、今日はまたK様、I様かその素晴らしい「誇り高い生き方」についてお話をお聞きし、自分自身は皆さんと同じように「誇れるもの」があるかを?自問・反省させられました。

私自身もその「誇り」の大切さを日々の生活の中に求め、人生の生きてきた証に出来るよう努力し、若い人にも「人間としての誇り」の大切さをもっと伝えてゆかなければとつねに思ってこの記事を書きました。

『I様、K様の誇り高い生き方』
●人生の生きてきた証ができるように努力す る。
地道に自分とつねに向き合うこと。

●人生とは他者に貢献する姿勢を持つことである。
・社会貢献することで、この世に生まれた意味がある。
・自分がつねに他者に役だっているかを考える。
豊かな心を持つこと。(心が豊でないと人に奉仕することはできない)
・心の豊かさは、利他の心である。
つねに心の中の良心に恥じない生き方をと自問する。
これまで素敵な心友に出会ったから私たちの今がある。(心の誇り)

『私が感銘したI様の心の誇り』
私がI様の日本語学校教師になった動機と学習についてお聞きしました。

動機:何か国際貢献できないか?
日本人としての誇りと責任感を持って、日本語を教えるだけでなく、日本語を通じて日本文化や日本の習慣を伝えたいと退職後、単身中国に行って日本語学校教師を務めていました。
 ・中国の方を日本に招待して案内するなどしました。

 ●学習:NHKの講座で学習しました。外国の方とのコミュ二ケーシは心の「会話の力」でした。

※今日の食事会は中華飯店で多く店員の方が中国の方でしたが、すべて中国語で話されていました。私はただただその語学力に驚きました。

『私がつねに感銘しているK様の心の誇り』
知的生活習慣の中での子ども教育
ありがとうの一言を忘れていないか?
ありがとう・おかげさまの言葉(人間は自分一人ではない)
ありがとうを言葉にしてわかることがある。
感謝の心が人生を変える(ありがとう、ありがとうの心)
●つねに心の中の良心に恥じない生き方をしているかを自問なさっている。

『今日の学習から勇気づけられた私の想い』

私はつねにボランティア仲間に話しているのが「やってやるではなく、やらせていただいている」と感謝する心が大切だと話していますが、今日、皆さんから語られたその多く言葉に私はただ感銘するばかりでした。
人間は多くの反省があっても自身の「人間としての誇り」が自分自身の生き方の
根っこにあって「今を生きる力」を見つける事ができるので、
「誇り」無くして
自分の人生を語ることは出来ないと重ねて強く思った食事会でした。
最後になりましたが、現世、人に対する思いやりが薄くなってしまつたと思う中、皆さんは先人・賢人から多くの智慧を学び、生きがいを追及し、そして師
友・心友との値観を共有しておられるなあ~と思いました。
K様、I様、ありがとうございました。

 
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K様から頂いた日本語学校で使用していた教材の一部。ビックリ英語でも教えていたんだ!(汉语语:中国語の話し言葉)

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2017年2月10日 (金)

私の人生訓と未来への視座(遊行期に入った人間としての役割・責務)

今日は同窓(T様・O様)との食事会・学習会を開き人間性を重んじた思考・知的生活習慣などの視座について未来を語り合いました。

私は同窓との食事会・学習会を終えて、〖生きている意義〗、〖老いていく意義〗を感じました。

私たち旧制中学の仲間は毎年、同窓会を開き、昔話に花を咲かせ、そしてお互い自身の健康そして趣味、家族の近況などについても語りあって、久しぶりの再会を共に喜び合っていますが、しかしここ数年は前にもこのブログでふれましたが、人生を4つに区切った学生期・家住期・林住期・遊行期ついても人生を語り合い、特に人生のしめくくりの遊行期に入ってからは人間としての人生後半の生き方として、その役割・責務などさまざまな「人生・社会問題」についての話題も多くなったように思います。
仏教に【身心一如】という肉体と精神は一体のもので、分けることができないという言葉がありますが、私はどうしても歳を重ねるにつれ、日々身体の衰えを強く実感していますが、一方で年齢を重ねて遊行期に入ったからこそ見えてくるものがあり、私にもまだ大切な何かがあるのではないかと精神面の充実だけはと一如:真理」だけを求めおります。
※精神を重んじて生きることが大切ではないで?
今日は今から16年前に私が68歳とき「人間は何のため生きているのか?」そして人生どう生きたらいいかを真剣に考え、日記に書き綴ってきたことと昨年の同窓会でO様が「人生は後戻りできませんが、振り返ってみることはできますね!」と後悔しない人生を語っていた言葉などから自身を自問しながら様・O様との学習をしました。
私は日々を充実させるための禅的老い方を発見するため毎月2回は禅寺を参拝しており、旧制中学の同窓とお会いする時は必ずこの禅寺に参拝してからお会いし、昼食をしながらのいろいろと人生を振りかえっての学習をしておりますが、今日も禅寺に参拝し、食事をしながらの学習でしたが、人間はだれでも何か役割を持って生きている」のではないか?と私は84歳を過ぎ、この歳までの自分を振り返り、今日的課題の中からこんな人間になりたいという願望と人生の知恵を日々生きていくなかで若い人たちにも伝える役割・責務が何かあるのではないかと考えて、少し長くなりましたが私の反省を含めてこの記事を書きました。
ここに今日書かせて頂いた記事は私がそうした想で日頃気づいたこと中から若い人に伝えておきたいこと、また私が「生きてて良かった」と思える人生の備忘録の代わりに残しておきたいと10数年ブログに書き続けてきたこと、そしてこのたび書店で目にして買い求めた脚本家・劇作家・演出家の倉本聡様の著書「昭和からの遺言」(著者 倉本 聡 出版社 株式会社双葉社)の中で書かれている大切な課題が著者と同じ年代の人間として、私が現世で失われてしまったと思っていることと無関係ではなく、私に今後どのように生きていくべきかを考える指針を与えたていただいた思いを書きました。

≪私のこんな人間に成りたいと思う人生の原点≫
私は人間の幸せは自分の心が決めるもので、その幸せの原点はすべて「利他の心」であり,
その心とは自分が人としてどのような行いをするかによって幸せは決まると思っています。
自分だけよければという心を捨てることです。
「利他の心」無くして幸せ無し、「利他の心」は必ず自分に返ってくると思っています。これが人生の原点ではないでしょうか?

私が今一番大切だと思っている現世の課題は(心の教育)だと思っていま
す。
私も自問すると反省することばかりですが、皆さん一緒に考えましょう!
以下、
若い人にも伝えたい言葉として記事を書かせてもらいました。

■人間の生き方を教えてくれる名言集から
安岡正篤の「活学一日一言」著者 安岡正篤 出版社 致知出版社)

私は人生をよりよく生きるためにと心に問いかけてくれる先人・賢人の言葉から少しでも人生を心豊かに過ごしたいとその名言集に接するようにし,
読むだけでも人間として心得を教えてもらっています。
ここで私の読んだ名言集の中からその一部(現世で忘れられていると思う一番大切なこと)を掲載しました。
(365話の中から主に心と教育についての20話を日順に掲載しました)

※人間の生きがいとは人の役に立つことで「自分のいずできること」をすることです。

●敬と恥

・人と人たるゆえんは、「道徳」を持っていることで、それは「敬」とする心と「恥」ずるという心になって現れます。これは人間独特の心理でありますが、敬を知る人は必ずよく恥を知る人、恥を知る人は必ずよく敬を知る人である。

歴史に学ぶ(歴史は過去の例証からなる哲学である)
歴史が訓える真理・教訓に参ずることだ。現代のいろいろな出来事も、歴史を見ればちゃんと類型の事が書いてある。
・人間界の出来事は先ず以て歴史の実例を参考することが一番大事なこと。


●よき師友を求める
・人間は生まれつき好ましい素質が徳となっている者である。
・よい先生につき、よい友だちと交わって徳は磨かれる。

・友との絆は幸せの証

●名前
子どもに名前をつけるということは、子どもに対して、かくなければならぬ、という絶対的な意味を持たせて初めて命名である。

自分と向き合う
・今の世に処して何らかの不安焦燥を感ぜぬ者はないが、自己を棚上げしている限りは絶対に救われません。
※自分と真に向き合うと見えないものが見えてくる(新しい自分に出会える)

●真の社会

・真の社会はあくまでも人間生活の天地でなければならぬ。人々各々人となり、人を知り、人を愛し、人を楽しむ社会でなければならぬ。

なくてはならぬ人
賢は賢なりに、愚は愚なりに一つのことを何十年と継続していれば、必ずものになるものである。別に偉い人になる必要はないではないか。社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならない人になることである。
・世のため、人のために貢献する。そういう生き方を考えなければならない。


●道を学ぶ
・人間にとって大事なことは、真人間になることである。真人間になるためには学ばなければいけない。
人間の人間たる値打ちは、古今の歴史を通じて、幾多の聖賢が伝えてくれている道を学ぶところにある。

●夢
・理想のある時代には夢がある。
・夢は自身の未来を創る。

心を磨く
・肉体と共に心が磨かいてれ発達してはじめて人間である。

●教養

・学ばぬと真実はわかりません。そういう人生の生きた問題を解決することの学問を身につける、というのが教養である。

利己と修己
・利を言う者は先ず利己から始める。道を語る者は先ず修己から始めるべき。
・道徳の無い経済は破綻する。


●我を亡ぼす者は我
我を亡ぼす者は我なり、人、自ら亡ぼさずんば、誰か能く之を亡ぼさん(眒吟語)

●心に触れる
人は省みることによって、はじめて心というものに触れることが出来る。

●家庭と父母
・父は子どもの敬の的、母は愛の座。


●一期一会の精神
・正直に物を言い合えるようになる。自分に正直になることが原点。


●師なきは不徳

・師友のないことは不幸の上に、不徳ではないか。

●教師の要諦
教育者が自分の教える相手から、自分も教えを受けようとする気持ちがなくなると馬鹿になる。

●教師の根本

・教師という字は他のお手本になって後進を導くという意味だから教師というものは言葉や技術で導くのではなくて、まず人の徳がその人に接するものの手本にならなければならない。

●すべては心に帰す。
政治的な問題も社会的な問題も、社会的な問題も、つきつめれば心の問題に帰する。(見識と信念である)

■著者:倉本聡様の「昭和からの遺言」から
この書籍は倉本聡様が卒寿のしるしにと昭和の生態を書かれたもので、私と同じ年代の方として、この中で書かれている多くの言葉から、現世で今一番大切だと思う課題は何かを学習させてもらいました。


この書籍は倉本聡様が卒寿のしるしにと昭和の生態を書かれたもので、私も同じ年代の人間としてこの中に書かれている多くの言葉から、私は現世で今一番大切だと思う課題は何かを学習しました。
戦後70年が過ぎ、戦争を体験した世代の人が少なくなり、悲しみの歴史を伝えることが非常に難しくなりましたが、私はこの著書を読んでその歴史を振り返って平和の大切さを強く感じつつもその著書の中に書かれている「欲しがりません勝つまでは」と戦中頭に叩ききこまれたが、現世はそれが気づけばこれまでと真逆の欲しがりなさい!と国中が云いだした。欲しいという欲望に逆らっちゃいけません、欲しいものはどんどん手に入れなさい。と言う言葉に現世の課題を強く感じました。

これも前述の記事の中でも書きましたが、日本人が今、一番忘れかけているのが「心の教育」ではないでしょうか?
私はあらためて「子どもの教育」について、高齢者として生きている意義はその経験・智慧を次の世代に伝えていかなければと強く思いました。

☆私は多くの師友・心友と一緒に人間として本来あるべき理想の姿とは?などについて学習していますが、これからも学習した課題を書いていこうと思います。

私が今一番大切だと思う主な課題(心の教育)
親の教えを無駄にしない。
自分を省みてみて、自分を他人に置き換える。
多くの出会いに感謝する心。
ありがとう・おかげさまの心(人間は自分一人だけではない)
・先人・賢人・師友・心友に学ぶ。
・人との和を重んじる心。


《私の座右の銘》

私は先人・賢人の残した言葉を座右の銘として、自身の戒めの言葉としていますが、ここに床の間に掛けてある座右の銘を掲載させてもらいました。

 
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・寧静致遠:人間は誠実で,かつ努力しないと遠くある目的に到達することはで    きないと諸葛孔明が自分の息子に残した言葉(諸葛孔明58齢、息子8歳)
一期一会:こうして師友・心友と出合うことができたのも一期一会です。

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・隋喜功徳:人の幸せを共に喜ぶこと(妬んではいけない)
・徳は孤ならず、必ずと隣あり(論語):徳のある人はけっして孤立しない。必ず心友があらわれる


《今日の学習から》

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安岡正篤の「活学一日一言」の中から現世でもっとも忘れられていることではないかと「書」にしました。
★敬を知る人は必ずよく恥を知る人、恥を知る人は必ずよく敬を知る人である。

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お彼岸を前に訪れた禅寺の掲示板に書かれていた言葉。
※私は神社・お寺を訪れたときは祈願の前に必ずすべてに感謝してから祈願しています。

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