2019年2月21日 (木)

地域コミュニティ活動(古都鎌倉の歴史散歩)

私たち団地では前にも記事として書かせて頂きましたが、地域の皆さんが笑顔で楽しく暮らせるようにと高齢者が中心ですが挨拶を交わすだけでなく、皆さんとの交流の場として年に数回バス旅行を計画しています。
今日は武家の古都鎌倉とも言われている鎌倉の歴史と文化を学びに地域活動の一環として鎌倉鶴岡八幡宮・神苑牡丹庭園を訪ねて、日本文化への関心と理解を深めるための歴史散歩をしてきました。
皆さん輝いていて、素晴らしい一日となりました
鎌倉は歴史ある寺院が多く、是非、機会をつくって皆さんと一緒にまた学習の旅をしたいと思いました。
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       鎌倉鶴岡八幡宮山門
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            寒牡丹庭園
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 中国蘇州の太湖石をそなえた古典庭園
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          神苑牡丹(鶴錦)
「私の一句」
 幸せを 友と語れた 牡丹苑
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          神苑牡丹(島錦)
「私の一句」
 夢を追う 心をもやす 牡丹花


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2019年1月 2日 (水)

人生の意義(心の記録・”ありがとう”)

我が家では毎年正月二日に親族が集まって「先祖に感謝」と「家族の絆」を祝っています。
今年も体調を崩している末の弟を除き、私の家族と弟の家族など17名が集まり、3歳のひ孫の”おめでとう”で家族の見えない絆を強くする新年を祝いました。
私はこうした親族での新年を迎えると常に自問自答して両親の出会いがあって自分がいる、私と妻との出会いがあったて子ども、孫がいる(今年はひ孫)、そして親族の笑顔もみられるなど、こうした幸せに
感謝し、初詣で家内安全を祈願した事を両親に報告しました。
でも一方で現世は人の心の豊かさがどうしてこんなに薄れてしまったのか?と思うことが多くなり私は悲しくなります。
人間は誰でも過去・現在と「心の記録」があり、そして未来の幸せを求める心豊なな夢があり、私はその夢は夢で終わってはいけないと今年はその夢の心願成就の護摩祈願もしました。
今日はこうした思いの中から元旦の記事にも書きましたが菩提寺の住職さんの法話で”ありがとう” ”ありがとう”を言い続けて、ぎすぎすしてしまった
世の中を、もっと温もりのある日常生活に取り戻しましょうとのお話があり、私は”ありがとう”と言う言葉は人との心を通わし、他人を思いやる心が生まれ、「利他の心」を生み出し、それが必ず自分の幸せを生む事につながると夢が湧いてきました。
最後になりましたが、人間は一人では生きられなといのです。
私は年老いても何か役割りがあると
前にもふれましたが、両親がつねに語っていた言葉(自分の心に正直にいきる・お天道様は見ている)に感謝しながら毎日を大切にする事が「死んでも魂は生きている」と心に刻みました。また追記としてこの”ありがとう”という感謝の心で結ばれた言葉はどれだけ言っても言い過ぎはないと住職さんの言葉から、この言葉を非常に大切にしている師友の心を紹介させていただきます。
追記
私の師友(K様)は奥様、子どもさん、お孫さん皆さんが”ありがとう”という感謝の言葉が一日の始まりのようです。
私は「心の健康」として「ありがとうの歌」のCDを4年前に贈って頂き,私は人間として当たり前の幸せを得るためにも非常に大切だとこの
CDを床に就く前に毎日のように妻と一緒に聴きながら今の世相を語り、そして床に入っています(それからではありませんが、今でも家に居る時は妻とだけでも一日20回以上”ありがとう”の会話があります。外で買い物しても”ありがとう”です)
※この”ありがとう”の話は同窓とも語り、記事にも書きましたがOBから有難いメールをいただきました)
●贈って頂いたCD(あ・り・が・と・う)
作詞・作曲:佐久間 順平 作曲:入江 純 歌;さとう 宗幸
「詩の一部」
・生んでくれて ありがとう
・育ててくれて ありがとう
・叱ってくれて ありがとう
・妻になってくれて ありがとう
・子供になってくれて ありがとう
・知り合いになってくれて ありがとう
・明日の思い出 昨日の願い いま居ることの よろこび 心は大きく やわらかく さあ、行こう!さあ、行こう”ありがとう” ”ありがとう” みんなに”ありがとう”
~人生は心の整えかたでつくられる”ありがとう”という感謝の言葉ですべてがわかる~


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2019年1月 1日 (火)

平成31年元旦(神仏に感謝)

今年は88歳(米寿)での元旦です。

私は歳を追うごとに新年を先祖に感謝の念の心を深くして元旦を迎えるようになり、今年もこうした元旦でした。

大晦日は仏壇を綺麗にしてから弟家族と一緒に菩提寺へ行き、お墓を清掃しお花とお線香を上げ両親への感謝と家族の近況報告をして一旦我が家へ帰り、妻と新たな年への思いを語り、そして少し早めに年越しそばをいただき、再び弟と二人で菩提寺に行きました。

菩提寺では煩悩にまみれた1年を過ごしてしまったその煩悩を祓うために鐘突き堂に行きが除夜の鐘を突き、私と弟は除夜の鐘で煩悩を消し去り、欲を持たない心で新年を過ごすと心に誓ってから本堂での護摩祈願にも参加させて頂きました。

護摩祈願では住職さんの後につくようにして、般若心経を唱えながら参列していた皆さんとご一緒に摩木を焚きにも参加させて頂き、お願いしていた家内安全・心願成就の護摩の祈願を祈りました。

※今までは家族が健康で幸せに過ごせますようにとの家内安全だけでしたが、今年は仏様に心の底からの家族の健康願とそして心豊な世相へのお願いごとを祈る心願成就も祈願しました。

護摩祈願の護摩焚きが終わり、住職さんの法話で“ありがとう”“ありがとう”を言い続けて、ぎすぎすしてしまった世の中を、もっと温もりある日常の生活に取り戻しましょう。とのお話をお聞きし、住職さんの書初めを頂き、そして平成31年の干支、破魔矢、交通安全のお守りなどを買い求めて我が家へ帰りました。

私は年仏教行事の時にしか住職さんにお会いすることができませんが、今年もお元気なお姿を拝見し、素晴らしい法話をお聞きすることができ幸せな元旦でした。

最後になりましたが、これまで10年にわたり元旦に住職さんから頂いて居間に掛けてある書初の言葉を思い浮かべ、また心を癒す庭の写真を撮り、そしてこれまでの人生を感謝で振り返って私も書初を筆書しました。

〖私の元旦の思い〗

一年が終わる、大晦日の夜

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私は僧侶の撞く鐘の音を聞いて、清らかな心になって新しい年を迎えられそうでした。
■本堂でのご祈祷のお経
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住職さんの後について、般若心経を唱えました。私は10年前に坂東三十三ヶ所霊場巡りを始めましたが、その頃から先達さんと一緒に般若心経を唱え、今は何
とか少し唱えられるようになりました。
●護摩焚き
 
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   家内安全・心願成就の護摩祈願
 
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■住職さんの法話
 
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法話”ありがとう”聞く。(人間としての徳は感謝から)
■住職さんから10年にわたって毎年元旦に頂いた「書初め」の言葉をあらためて思い出し、これからも「無心」で謙虚に精進し、人間としてあるべき姿を返りみたいとさらに学ばねばと掲載させていただきました。
●2010年
 
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  「ひとりぼっちじゃないんだよ」
人生を振り返って、多くの師友・心友に感謝しました。
●2011年
 
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        「絆」
人として「一期一会」の絆は財産で感謝し大切にしています。
●2012年
 
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        「忍」
耐え忍び「善によって、不善に打ち勝つ」
●2013年
 
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      「如来の梵字」
十二支による守護神の守り神「如来の光仰ぐなん」
●2014年
 
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       「開心眼」
人の喜びも自分の喜びとすると見えないものが見えくる。この言葉から「隋喜功徳」を座右の銘としている。
●2015年
 
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      「気をいただく」
両親から何か声をかけられたよう!心の癒しは、人間の心の整え方でつくられる。
●2016年
 
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 「生かされていることの ありがたさ」
人生の目的は先の先を知る(智慧と感謝)
●2017年
 
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       「一心念」
  人生の目的の完成は心の中にある。
●2018年
 
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     「無心(むじん)」
自分の心と向き合い雑念や邪念も持たず、悟りを得る道を見っけること。 
●2019年
 
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        「等」
    私たちは皆んな友たち
■私の書初め
●私の深く尊敬している先人・賢人・師友に感謝して。
 
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●未来を担う若い人に感謝と夢を託して。
 
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■元旦に写した庭の写真と(元旦の思い)

●松竹梅
 
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●庭の松竹梅を見て一句

松:神やどる、竹:生命・健康、梅:寒さに耐え春近し
 
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     自然から学びましょう!

最後になりましたが、心の豊かさが非常に薄れた現世のストレス社会を忘れようと菩提寺の住職さんの書初にある「無心」になって、心の中を空っぽにして心豊な世相を元旦に
心願成就の祈願した新しい自分になろうと次の写仏をしました。

 

 

●私の守り本尊
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●菩提寺の本尊
 
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~元旦は心豊かに感謝の日になりました。心に”ありがとう”の一言で人間は幸せになります。~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年12月30日 (日)

生きる意義を見つける(子どもの目で自分を見る)

私は毎年その年を振り返って、自己の生き方を自問自答して自分を見つめ、反省し、人間は何のため生きているのか?と「生きる意義」について考えていますが、年々歳を重ねるにつれて思うことは前にもふれましたが現世は「徳」と言う言葉がどうして死語になってしまったのかと思うことです。

私は現世を考えるとまず思う事は社会も企業も個人も他人に対する「思いやり」を持って「利他の心」で「生きる意義」を求めている人が非常に少なくなってしまったなあ~と悲しく思う報道が非常に多くなっていることです。

特に身近な課題として高齢者の地域とのかかわり方、また未来に夢を持つ子ども教育などに見られる高齢者の介護、自殺者、児童虐待、学校でのいじめなどなぜ?と悲しくなるだけでなく自分自身がこうした世相社会の中にいる一人として心を痛めています。

 私はこうした現世の課題について、先人・賢人の言葉や儒教・仏教の教えなど多くの書籍から人間は何のため生きるのか?とその処世訓の原点である「徳」の大切さを学び、反省と共に「心の健康」について少しでも自分を磨いていかなければと思っています。

 今日はこうした現世の課題について、2018年を振り返って、私は今まで学習してきた多くの書籍を何度も読み返し、その中から尊敬しているお二人の賢者の言葉から「子どもさんの心の教育」について、「意味ある人生を求めて」自己のその生き方についてもさらなる自問自答して人間として「生きる意義」を見つけなければとその処世訓に感銘したお話を書かせて頂きました。

■菩提寺の住職さんの言葉

菩提寺の住職さんのお寺と仏と世相にまつわるエッセイとして書かれている言葉(住職さんの30数年間に渡って人の心を育てる法話小冊子を書籍したものです)

●こどもさんの姿(見てござる親の後ろ姿を)

住職さんが境内や墓地に異常がないかを見回っていたとき小学生4・5年生ぐらいの二人の子どもさんが山門の前で二人で合掌して、丁寧に住職さんにお辞儀をしたそうです。

これを見た住職さんは一瞬、息を呑み“ありがとう”という言葉が出たそうです。

すると二人の子どもさんからも”ありがとうございます”の言葉があり、その澄んだ目・声に住職さんは非常に感激したそうです。住職さんはその姿を書籍にこの子どもたちは「見てござる」親の、教師の、世間の大人たちの後ろ姿をとこの子たちが、やがて物の時代から心の時代へと回帰させてくれる人となるでしょう!そして心の豊な世の中を築いてくれるでしょう。と書かれていました。

私はこの子どもさんの姿に親自身の神仏を祈る善的生活習慣が家庭の中で養われているんだなあ~と感銘を受けました。(家庭で養う教育)

■京セラ名誉会長の稲盛和夫様の講演でのお話と小学生・中学生の心(感想文)

●京セラ名誉会長の稲盛和夫様の市民フォーラム「人は何のために生きるのか」の講演記録が書かれた書籍(編者:ジャーナリスト下村満子 発行所:KKロングセラ-ズ)に書かれていた言葉。

・世のため人のために役立つことが人間として最高の行為である。

・人間は本来「真善美」を求めている。

・人は生まれたときより美しい魂に変わっていなければ生きている価値はない。

・我々の人生は心のままにつくられていく。

・人間はその生き方ですべが変わる。

・一人ひとりが人間として「善きこと」を思い、「善きこと」を実行しましょう。

また講演の最後に稲盛和夫様が80数年の人生を振り返って、皆さんの参考にしていただければとお話されていた言葉として、「自分の人生は良かった。私にとってこの人生は、魂を磨くことができた、素晴らしい人生であった」と思えるような生き方をしていただくようお願いをしましてと挨拶されて講演は終わったと書かれていました。

 ●稲盛和夫様の講演でのお話を聞いての小学生、中学生の感想文集から(この記事は3000人一般者の中の300人の小学生中学生のうちの一部です。この書籍を買い求めて熟読してお読みください。子どもさんたちは講師のお話に非常に感銘を受けたそうです)

 『小学生の感想文』

・運命を決めるのは自分だということに気づきました。(小学校5年生)

・私もよいことをおもい、よいことを行って心をみがいていきたいです。(小学校5年生)

・みんなのために努力して、がんばりたいです!神様や自然からの試練を感謝の気持ちで受けとめたいです。(小学校6年生)

・これから良い人生、運命にするために、家族、友達、先生などの方々にたくさんのよいことをしたいと思いました。(小学校6年生)

『中学生の感想文』

・「美しい心で描いた思いは、きっと素晴らしいものになる」とのお話に感動し、今日の学びを大切にしたいと思います。(中学校1年生)

・今日しなければいけないことは、人のために何かをすることだと思います。(中学校1年生)

・私達は善い人生を生きる為にも、常に「純粋な心」を宇宙のような偉大さにならい、心を磨いていきたいと思います。(中学校2年生)

・生きているだけでも感謝する、何にたいしても感謝する気持ちを大切にすることをおしえられました。(中学校2年生)

・1+1=2とすぐ答えを出してしまうのは人生でないと聞いた時に、私が今続けていることを、もう少し頑張ってみようかなと思いました。(中学校3年生)

・一度きりの人生で努力を積み重ね、磨いて磨いて磨いて、生きられるようになりたいと思いました。(中学校3年生)

『小学生・中学生が通う学園』

●教室に「真善美」の言葉を掲示

この学園に以前、勤務されていた先生で最後まで生徒たちに伝え続け、愛し続けていた言葉が「真善美」だそうです。この言葉がこのたび講演の中で稲盛様から「真善美」のお話があったので、「人生の目的は心を磨くことである」と子どもたちに「正しく・善く・美しく」との思いでこの「真善美」の言葉を教室に掲示したそうです。

※この学園は「生かせれている喜び」、「他人を愛すること」、「人のために尽くすこと」を幼稚園から中学校までの成長の段階で身につけさせたいと願っての教育をしているそうです。

最後になりましたが、私はこの記事を書きながら菩提寺の住職さんの言葉にある子どもさんの姿、稲盛和夫様の講演を聴いた小学生・中学生の子どもさんの姿に目頭が熱くなり、感銘すると共に世相に神仏の心なくした社会から「徳」は生れない(徳の心なくして幸せなし)と常に心に「利他の心」、「感謝する心」を持つことの大切さをあらためて心に刻みました。

また私は人生には意味があり、役割があるとそれを生きがいとしてきましたが、このたびの多くの夢と感動が詰まった子どもさんの記事を読みながら、私がまだ気づいていない何か大切な人間としての「生きる意義」かを子どもさんのその姿から教わったように思いました。

私も年々歳を重ねて遊行期を過ぎ来年は88歳になりますが、長い人生を振り返り、個人の夢を追うだけでなく、これまでのあまり深く気づくことを怠っていた「生きる意義」について反省し、今は少しでも多くボランティア活動、地域福祉の貢献できるようにともっと心を磨かなければと思っています。

※前述の「なぜ?」について、家庭・学校・地域社会・また企業でもその人間としての心の原点(徳)を大切にしなければと思います。

《徳とは》

「徳」については儒教的な徳、仏教的な徳など多くの著書に書かれていますが、ここでは松下幸之助さんの珠玉の言葉「一番尊いものは徳である」から現世を思い、このたび記事として書かしていただいた生きる意義を見つける(子どもの目で自分を見る)を思いから、私が人間として豊な心をつくるため強く感じた、次の心を人間として悟らなければいけない「」について書かせてもらいました。

■この心なくして「利他の心」なし。

●親に感謝し、親孝行する心。

※親への感謝で人生は変わる。
●人に敬意を表する心。

尊敬の念を抱くことで学ぶことが多くある。

●人を称賛できる心。

※相手の良さを素直に認めることから人生は始まる。

●人の道にかなった正義を貫く心。

※心に折れない勇気を持つ(志を曲げなければ道は開ける)
●親しき仲にも礼儀ありの心。

※人生が明るく生きられる。

●一期一会を大切にする。

※自分の想い(信念)が相手に伝わる。

●共に語れる人を心友(心の宝)をつくる。

※善に気づき、学ぶことができる。(自分より歳が上とか若いとか身分が高いとかは関係ない)

~大人も自分が子どもになって、その目で自分を見なければ~
※私は10年前にも触れさせてもらいましたが、子どもさんには性善説で大人には少数の人を除いて性悪説でとブログに記事を書いた事がありますが、今もその思いは変わっていません。

私は父が亡ってから40年、母が亡くなってから45年、前にも触れましたが、自分の心に正直に生きる(父の言葉)、お天道様は見ている(母の言葉)から両親のその言葉に私の今があると感謝して、私も「私は死んでも魂は残る」の心で2018年を振り返った言葉とさせていただきました。
『私が現世を想う

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     私の悟り
 
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 現世の子ども教育への思い。才能を伸ばす前に人格を育てましょう!才能は人格で育つ。
 

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2018年11月23日 (金)

父の祥月命日(亡くなってもその魂は生きている)

今日は父親の祥月命日です。
今年も弟夫婦と私たち夫婦4人で先祖の供養に菩提寺にお墓参りをしてきました。
毎年も同じように両親への思いにふれますが、父が亡くなってから今年で40年、母が亡くなってから45年になり、父・母ともに33回忌を過ぎ、もう仏から神になっているのではないかと思っています。

私はそうした思いから常に「両親が亡くなってもその魂は生きている」と思っており、今年で父は118歳、母は112歳になっているとの思から、今でも私たちに人間としての何かその心を伝えてくれています。

両親の行年(父79歳、母69歳)を私はもう何時しかその歳を過ぎ、人生の旅路を通り過ぎた老齢に達した87歳なりましたが、その父の言葉(自分の心に正直に生きる)、母の言葉(お天道様は見ている)から私も死んでも魂は生きていると死は人生の終わりでなく生涯の完成(魂は生きている)との思いを今日も心新たにして親の教えに強く感謝した父の祥月命日でした。

最後になりましたが、人間は「生かされている」そのため「何か役割がある」そして「そのためにその役割を果たさなければならない」と先祖と子孫のつながる祥月命日で両親に感謝する供養の日でもあるので、私は毎年これまでは菩提寺から帰ってからその思いを写仏か感謝の心を俳句に詠んでいますが、今年は両親の言葉から心の中心には先祖ありと次の四字熟語(善因善果)を筆書しました。

また仏教に輪廻転生という六道(天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界)があり、私たちは境内にある六道菩薩様の脇にある碑に刻まれている真言を唱えながら六道菩薩様に水を掛けて、今の自分の幸せに感謝しました。

~人間“ありがとう”・“おかげさま”で生きることが幸せ~
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善い行いからは、善い果報が得られる。果報は善い行いから生まれる。※お詫び:書いた日付(年)が間違いてしまいました。
 
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     境内お六道菩薩様
 
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六道菩薩様の脇にある碑に刻まれている真言

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2018年11月15日 (木)

一期一会の心と心の出会いから人生を学ぶ(知見と心の健康)

私は自分の大好きな言葉「一期一会」についてこれまでもその大切さについてふれてきましたが、「一期一会」はその心と心で尽くす出会いが自分の人生を決めてしまうほど大切で人生のすべての始まりであると思っています。

私はこの「一期一会」による出会いが生きていることの幸せにつながっており、かけがえのない宝(財産)であり,今の私があると感謝し大切にしています。

こうした思いの中、今日は「ありがとう・おかげさまの心」など人間として支え合い人間の幸福を願う学習仲間で40数年来の師友・心友(K様、Y様)と約8年前(2011.3.11)の東日本大震災の数ヵ月後,東北を訪れ、その時から師友として多くの知識を学ばして頂いている、他人の幸福を願うためのボランティ活動」をなさっているI様ご夫妻を会津若松からお迎えして日本における儒学振興のための教育施設でもあった史跡湯島聖堂をご一緒に訪れました。

そして湯島聖堂ではI様ご夫妻のご尽力で史跡湯島聖堂・公益法人斯文会の理事長のさん石川忠久様(中国文学者、二松学舎大学名誉教授・顧問、桜美林大学名誉教授、日本中国学会顧問、全国漢文教育学会会長、六朝学術学会顧問、全日本漢詩連盟会長、漢字文化振興会会長など)にもお会いすることができ、その上応接室では理事長様からお茶をいただきながら素晴らしいお話を伺い、記念写真まで撮らせていただき心に大きな感銘を受けました。
こうした中、私は今日の一日はI様ご夫妻にもお会いできて、禅語にある「我逢人:
その人との出逢いこそが全ての始まり」という言葉を想い浮かべてこの記事を書きました。
また今日の一日はこれも論語にある
「朋あり、遠方より来たる。亦た楽しからずや」

で「一期一会」の出会に感謝でした。
※若い人にもっと自分の周りの友人との出会の大切さに気付いてほしいと思います。
追記
『今日の思い出』
■理事長室で掲げられていた孔子の77代子孫の孔徳懋女史から贈られた「厚徳明智」の書が目に入り、私の浅学な解釈ですが、厚徳とは徳の厚い、立派な人格者として先生に尊敬の念を抱いていてこの「書」を贈られたのではないかと私はその言葉が心に焼きつきました。(明智とは優れた智慧かな?)
※学問をする人間としての心構えとして博学篤志・切問近思という4字熟語もあります。
■論語
史跡湯島聖堂は東京の孔子廟でもあり、私の論語学習から次の論語の言葉を思い浮かべました。
●博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う。仁其の中にあり。(子張篇)
私訳:何のためにと志を立て広く学び、なぜ?と問題意識と共に行動を起こすこと。そうした中で人間としての道を見出すことができる。(志の人生)
●直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは益なり。(季氏篇)
私訳:正直な人、誠心を持った人、博学な人を友人にすることが有益である。
※私は師友で弁護士の(I様)から誘われ論語学習を始めて約10数年、先人の格言・名言について学習していますが学習すればするほど反省することばかりですが、常に私は出会った師友・心友から勇気づけられ自問自答しながら知見を広め、善的生活習慣に努めています。

心の健康
私は前にも何度も触れていますが、現世「利他の心」を忘れてしまったのか?と思うようなストレス社会だと思います。自分らしく生きるための心の健康を守るには、自分のストレスに「気づく」ことが大切で、私は師友・心友に支えられその「心の健康」を守ってもらっています。人間の脳には喜び感動する習慣があると思います。私は 
“ありがとう”の感謝する心でストレスから解放され、その一言で心の雲が消えます。

~今日は“ありがとう”ではじまり“ありがとう”の感謝の一日でした~
■今日の思い出の写真など

私はこれまで心のやすらぎと仏教・儒教の学習の場として霊場めぐり、藩校めぐりによく出かけて心に残る学習をしてきましたが、年々老いて同じ場所へ重ねて実際に訪れることが少くなり書籍だけで学習することが多くなりました。
そうした中でも遺跡湯島聖堂へは毎年訪れて心の中に何か思いを残してきますが、今日はご一緒の皆さんが歴史の知見が豊富な方ばかりなので湯島聖堂で撮った写真の中から我が家へ帰って学習したことを含めて、今日の思いを以下に掲載しました。

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       仰高門
湯島聖堂の入り口でもある仰高門。仰高の名は孔子の弟子が孔子先生の徳は高山のように仰げば仰ぐほど高いと語った論語の子罕篇にある言葉から付けた名前だと言われているようです。師友・心友と共に孔子の仁・徳を思っての記念写真。
 
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         大成殿
堂内には孔子像をはじめ顔子像・曾子像・子思像・孟子像などが祀ってあるようです
。(土、日曜、祝日しか公開していないので私はまだ見ていません)
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        孔子像
1975年に中国のライオンズ・クラブから寄贈された像で湯島聖堂の孔子像が世界一大きいようです。(高さ4.57m,重量約1.5トン)
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        入徳門

湯島聖堂には孔子廟に至るまでに、いくつかの学問を究めるためにはと関門があり、孔子の遺書あるという初学徳に入るための一つの関門です。私はこの入徳門で一旦立ち止り、いつもそのとき心に感じた論語の一節を素読していますが、今日は「徳は孤ならず隣ありでした。
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私が感銘した孔子77代子孫の孔徳懋女史から石川先生贈られた「厚徳明智」の書
●「相田みつをの詩」と師友に感謝の写真俳句
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  私の今日の思い「相田みつを詩」
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私が我が家へ帰って、月を見て皆さんへの感謝の俳句

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2018年11月 3日 (土)

私の八十六歳の誕生日(感謝と学習)

前にもふれましたが、私はこれまだでの人生を振りかえって、何を一番大切にしてきたか常に自分に問いかけてきましたが、今日で八十六歳になり改めて人生を振り返って、何を後悔しているか?また少しでもこれから後悔しない生き方をと考えました。
私はこうした思いの中、人間として誰もが抱く願望としての個人的な夢と社会的な夢を以て過ごしてきましたが60歳を過ぎた頃から歳を重ねるつれ、その社会的な夢を多く持つようになりました。
この夢もいろんな分野で人の役に立つことを人生の喜びとして活躍している多くの皆さんとの出会による学習と私の地域のボランティア活動の中から常に感じている「人生を振り返って後悔しないように生きたい」と自分が生きている意味を更に求めて生きたいと師友・心友に感謝と誕生日に孫から贈ってもった「誕生日プレゼント」に感謝の一日でした。
※社会的な夢を持つには法話の中に出てくる「おれが おれがの“が”を捨てて、おかげ おかげで生きる」ことが大切で、おれが おれがの自我心は人間としての心を曇らせてしまうと思います。

最後になりましたが、私は前述の思いに少しでも近づき人生の目的の先にある喜びを求めるためには歴史から学ばねばと仏語・禅語・論語・詩などから生きるヒントを示唆してくれる言葉を「座右の銘」として善的生活習慣を学ぶようにしていますが、今日はこうした私の座右の銘中から私が思っている今の世相に係わる課題として子ども教育・超高齢化社会などについて現世に思う私の今日の一日から追記として、以下に記事を書かせて頂きました。

追記
『今日の一日から1』
未来を担う子供教育(相田みつをの詩から)

子供の教育はと子供時代の友達との会話や前にも触れた両親の言葉などから育てたように育つのではないでしょうか?こんな想いでこの詩を掲載しました。(子供の心を育てる)
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「子どもは親の背中を見て育つ」が死語になってしまったような世相ですね。子どもは親の言葉(行動)を見て育ちます。私はこの詩をそんな想いで詠みました。(子どもを信ずることが一番大切なのではないでしょうか?)
■超高齢化社会の現況と課題
現世、AI(人口知能)などの言葉が社会を賑やかしているように思いますが、この言葉も40年以上前によく話題になりそして消え、その後20年前頃にもまた話題になり消え、現世またAIという言葉が世相を賑やかせていると思います。
私は30年近くになる地域活動の中で、この言葉も研究が進めば超高齢化社会の中で福祉活動の一部がコンピュータに置き換えられるのではないか思う人も多くなるのではないかと思います。
私はこうした超高齢化社会の中での高齢者の日常生活の中でのさまざまな地域社会の課題として人間の持っている思考・感情など含めた現状を課題としてレポートにまとめています。

■師友・心友に感謝

現世なんとなく生きているという人が非常に多いと思う中、私は茶道で云われている『一期一会』も人との出会いは偶然でなく、それは神様・仏様の力により頂いた縁だと思っており、私はその縁で出会った師友・心友を人生の宝(財産)のように大切にし、私はこの『一期一会』を座右の銘としています。

今日はこうした想いの中での遊行期の誕生日であり、私は自身の人生を振り返り、人生の目的(人間は何のために生きるのか?)と夢を語り合えるのが師友・心友でその夢を引き出してもらっており、その“愛語のありがとう”の感謝の 誕生日を迎えられることができました。

私はこれまで常に師友・心友は人生の宝だと書かせていただいていますが、年々老いてその感謝の想いが強くなり、毎年誕生日になると2ヶ月程で来る年への想いを筆書にしていますが、今年は次の言葉「高山流水:深い友情の交わり」を筆書しました。

※そうした心の想いの中前には「莫逆之友:言葉の不要な友」という言葉を筆書にしました。

また私は常に師友・心友を持つことの大切さにふれていますが、今日は八十六歳の誕生日「生きている」のではなく「生かされている」のだともう一度私の使命・役割を求めて、若い人に伝えるべきことを伝えないで後悔しないようにと私の論語学習の中から「座右の銘」としている次の言葉を掲載させていただきました。

●故きを温ねて新しきを知る、以って師と為るべし。(為政篇)

私訳:先人・賢人などからの伝えを大切にして、新しい知識を学べば人を教える師となることができる。(四字熟語の温故知新)

●朋、遠方より来る有り、亦楽しからずや。(学而篇)

私訳:友人と語り合うことで自分の知らないことを知ることは非常の楽しいことだ。(日々学問を身につけている志を同じくる朋友は自分の宝である)

●徳孤ならず、必ず鄰有り。(里仁篇)

私訳:徳を持っている人の周りには常に多くの人が集まり、感謝の人間関係が生まれる。

●君子は義に喩り、小人は利に喩る。

私訳:正義のため利得を捨てる。※すべてここに掲載した論語は人として正しい生き方を求める「利他の心」で他者のために最善を尽くすことを語っている。(人生を豊かにするためには自分の利得にとらわれない心の支えになってくれているのは師友・心友である)

『今日の一日から2』

●心友への感謝の筆書
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私を支えてくれている心友の深い友情に感謝の(四字熟語)
●孫からのプレゼント(私と妻の日常生活を見ていて)
 
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孫から妻へ(両手が離せて何でも入る肩掛けバックと財布)
 
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孫から私に(両手が離せて何でも入る肩掛けバックと晩酌時のロックグラス)
※私は外出の時にこのバックに本・小型カメラ・携帯電話など何でも入れています。
菊づくりを楽しむ私は菊のその美しさを楽しみに「心の疲れ」を癒し,菊づくりに12カ月を過ごしています。でも今年はお天気や気温の変化そして台風続きで私の望むような菊づくりはできませんでしたが何とか花つけてくれました。こんな菊に!

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~多くの出会いに感謝・ありがとう~

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2018年9月26日 (水)

2018年秋彼岸

私は春と秋の年2回あるお彼岸には日々忘れている煩悩から開放されようと悟りの日として、毎年お彼岸は先祖への感謝と自身への反省の日だと思い、彼岸の入りは家族でお墓参りをし、また彼岸明けはあらためて弟と二人で菩提寺を訪れ先祖の供養と住職さんの法話を聞いて煩悩から脱した悟り心の境地になってお墓に塔婆を立て先祖供養をして我が家へ帰ってきます。(私は我が家へ帰ってから自分が今あるのは両親をはじめ多くの人のお蔭だとあらためて、仏壇に手を合わせて感謝をしています)

私はこうしてお彼岸を毎年過ごしていますが、近年は気球の異常現象か?とも思える地震や猛暑、台風で多くの犠牲者を出しており、春分の日、秋分の日と太陽が真西に沈む彼岸の極楽浄土は?と私たにが西に向かって手を合わせて思いを馳せる習慣はどうなるのかと思いましたが、気象の専門家といわれる人たちはこの気象の異常現象をただ温暖化とまでしか云わず(なぜ?)がなく非常に残念です。

でも私はお盆の時にふれましたが母親の語っていた「お天道様が見ているよ!嘘はつくな!」、父親の語っていた「利他の心」など両親の心豊かな人生を見て、先祖の霊によって守られての幸福に感謝した今年のお彼岸でした。

こんど菩提寺の住職さんにお会いしたら異常気象の中での日本の四季と仏教行事について私の心の疑問についてお聞きしてみようと思いました。
~お彼岸は「利他の心」で功徳を積む期間にしよう!~

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2018年9月19日 (水)

恩送りで心豊かな社会をつくる(知恩・感恩・報恩:何をしたら充実人生?)

私は現世、社会も企業も個人も思いやりをもって、人のために尽くすという人間として一番大切な「利他の心」を忘れているではないかと思う事が非常に多くなったように思います。皆さんはどう思いますか?

日々のニュースを見ていても「なぜ?」と心を痛める報道が多く、また人と人との関係でも他人をよくしてあげようという優しい思いやりのある「利他の心」が非常に希薄になってしまったのかなあ~とこれが現世なのかと非常に悲しく、心が痛みます。

私は80数年間、生きてきたこれまでの人生を振り返って一番大切にしてきたものは何か?と自問自答しながら人間として生きがいと喜びに満ちた人生を送りたいとの願いを求めていくためには今、人間に何が求められているかを考えなければならないとつねに思っています。

私はこうした思いの中、前にもふれましたが私は人生を「より良く生きる」ためにと先人・賢人の生き方(道を開く言葉)やその処世の知恵を求めて歴史の旅にもよく出かけたりして、現世の日本社会が抱えている課題を他人事としてとらえていてはいけないのではないか?と多くの師友・心友と共に学習しておりますが、今日も師友・心友(K様・N様・Y様)と遊行期を迎えた人間としてこの世に生を受けて、次世代の若い人たちに何が大切かかを伝える役割(義務)があるのではないかなどについて学習しました。

食事をしながらの学習でしたが「なぜ?」と思う課題についても現世「利他の心」が非常に希薄になってしまったことが原点にあるのではないかと皆さんのお話をお聞きして共鳴し、感銘したことを記事に書かせて頂きました。

『恩送りが心豊かな社会をつくる』

人間は一人では生きられない。私たちは多くの人からの恩を受けて生きています。

人間はその恩を知り、恩に報いることが自分の幸せに通じることを儒教でも仏教でも知恩(今まで受けた多くの恩を知る),感恩(受けたその恩に感謝する)、報恩(受けたその恩に感謝して報いる)ことで人間の価値が決まると教えられており、私は恩も「利他の心」と共に仏教のお布施の一つでもあると思っています。

そしてこうした前述の受けた恩を受けた人がその人に恩を返すだけでなく、「恩送り」という受けた「恩」を誰か他の人に送り、その送られた人がまた別の人に送り、こうして「恩」が広く社会の中で回っていけば世の中が親切で心溢れる心豊かな社会となるのではないかと私は現世ほど「恩送り」の心が求められているのではないか?と私は思います。

こうした「恩送り」の心に気づくことができれば「なぜ?」と思う課題にも少し近づくことできるのではないかと思います。

『K様、N様、Y様との学習に感謝(未来につなげる恩送り)』

私は皆さんからつねに「おかげさま」、「ありがとう」という心の中に感謝という心があるか、ないかで人間がわかるという事を常に学んでいます。

今日も食事をしながらでしたが「利他の心」で人の役に立つことを喜びとして社会貢献をなさっているK様、N様、Y様の姿、そして隣り近所の助け合い、思いやりなどは当たり前だとおつしゃっている姿に感銘しました。私は皆さんのこの心が恩送りになっていると思っています。

「おかげさま」、「ありがとう」と云う言葉も自然に口から出るようにならなければ、死語になってしまったと同じです。“ありがたい”と思うだけで幸せになります。 

■K様の子ども教育(教育は恩送りの感謝の心から始まる)

K様の子ども教育も子どもが今日は楽しい一日であったと心に残る感謝の言葉が子ども教育であり、その言葉が何10年たっても心に残る感謝の言葉として、その後の道を開くのではと“ありがとうと”と語り合う姿が子どもの教育だとその「感謝と思いやり」の心をもった子どもたちが地域の中でと「親に感謝することの心を教えている」K様の日々の子どもさんお孫さんに接しおられる姿に私は感銘し、先に買い求めた幾つかの書籍の中から子ども教育に関する現世(隣り近所の挨拶も忘れ、挨拶しても返ってこない風潮が目立つ)から以下の言葉を思い出し、その一部を書かせてもらいました。

著者:倉本聡の「昭和からの遺言」出版社:株式会社 双葉社から(笑いが深かった、涙が深かった、怒りが深かった、情が深かった、人と人とのつながりが深かった)

●雷おやじの哀歌

・昔はどの町にも雷おやじがいた、雷のようにいきなり怒鳴るから雷おやじと皆が呼んだ。

・怒鳴られた理由を考えろ!と怒鳴った。すると子どもたちは必死に泣き止み、泣きじゃくりながら理由を考えたのか、たがいに子どもたちは理由に気がついた。

・良くないことを自分がしたからだ。何が良くないか、してはならぬことを自分がしたからだ、どうしてならないのか、ならぬことは絶対ならぬのだ!

・雷おやじは子どもの教育係りであり、町の秩序の番人なのだ。

●卑怯について

・卑怯な振る舞いは恥だった、卑怯な行動をとることは男として最もいやしいことだと子どもの頃から云われて育った。

・家に帰ってその日の出来事を父に自慢したら父はしばらく黙っていたが、本当はどっちかなと笑った。俺は黙って答えられなかった。

●子供の世界

・けんかに負けても歯をくいしばって泣かない奴がうんと偉かった。親や先生に泣きつく奴は徹底的に軽蔑された。

・空想できる奴は偉かった。想像力のある奴は何といっても人気があった。

●屋根は見ていた(世相かな?今の子供教育と無関係ではないのではと私は思う)

・これまで云われた日本の倫理感は節約が善で浪費が悪、その考え方が180度変わって、今度はいきなり節約が悪になり、浪費することが善になってしまった!

※節約という言葉も死語になってしまったのかな?(結果これが大量廃棄になっているのではないでしょうか?)

・一家団欒のぬくもりが消えた。

■N様の社会貢献

前述の「利他の心」が非常に希薄になっている世相の中での超高齢化と地域の「向こう三軒両隣」など多くの課題についてのN様の素晴らしい智恵と経験を生かした知的・善的生活習慣による地域社会の幸せいつながる多くの社会貢献に感銘しました。

今日お話しされたのは奥様の介護の中、社会貢献として高齢者の心の安らぎの場としての高校生による吹奏楽の会を開催したボランティア活動でした。

これも“やってやる”でなく“やらせてもらっている”で高齢者の心の安らぎの場をつくるだけでなく災害時における多くの情報交換とより強い“向こう三軒両隣”の地域社会の幸せいつながる社会貢献の実現を目指してのことでした。

※参加された皆さんにこれまでの人生を振り返って、意味ある人生としての心豊かな社会的な意味を感じていただきたいと思ってのことのようです

■Y様の禅的学習

Y様は前にも触れましたが、道元禅師の仏教「正法眼蔵」の研究をなさっており、私は常に禅的学習を通じて、他者の幸せを心にもたなければ自分の幸せはないと心豊な知的・善的生活習慣(おかげさま・ありがとう)として感謝の心をもつことの大切さを学習させて頂いています。

今日は私と二人で福井県の禅寺永平寺を訪れたとき道元禅師の現世の私たちへのメッセージ集(慕古心)をY様から頂き、その中に書かれていた人間はどう生きるべきかという次の言葉を思い出し、自分の人生を振り返ると共に未来の若い人たちのため何をすべきかを改めて反省させられました。

●Y様から頂いた道元禅師のメッセージ

生まれて死ぬ一度の人生をどう生きるか、長生きすることが幸せでしょうか?そうではありません。 短命で死ぬのが不幸せでしょうか?そうではありません 問題はどう生きるかなのです。

※私は人を幸せにしたいという「利他の心」の大切さに気づくことが自分の幸せにつながることだと思います。

『私の今日の一日から』

私は前にも「人生はその生き方ですべてが変わる」と未来に伝えなければならないとの思いで今の世相に係わる課題として超高齢化社会・子ども教育などについてブログに記事を書かせて頂きましたが、今日も同じような課題の中で「なぜ?」と思う課題の原点は感謝の心から始まると「恩送り」について学習しましが、皆さんの智恵と勇気は自分のためだけでなく、すべて慈悲心からで人と向き合うことは自分とも向き合うことだと思いました。

 ~人生の目的の先にあるものは利他の心~

●伝道掲示板に書かれた言葉は

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私は師友・心友と食事会・学習会がある時は必ず禅寺の伝道掲示板に書かれているその月の言葉から人生を見つめています。

人間は自然から何かを学ばなければならないと思いました。(蝉の躯とは蝉の一生を詠った俳句の季語)
●師友・心友に感謝

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師友・心友の素晴らしさに気づき、自分より優れた人を称賛できる心は「利他の心に通ずる」私は笑顔で接することの師友・心友は人生の宝であり、幸せをもたらしてくれます。

※優れた人に気づきかなければ学ぶ機会を失う。

●短冊の書

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私は時折その時ときの思いを書にします。(今日の学習から)

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2018年8月15日 (水)

2018年のお盆(祖霊の両親に感謝・語る)

お盆は年一度の先祖を迎えて供養する大切な日であり、私はお盆を前に仏壇のそれぞれの段(本尊、位牌、香炉、おリンなどの段)を例年より長い時間かけて清掃し、さらに先祖の霊を迎えるお盆棚をつくりお盆の入りを待ちました。

そしてお盆の入りは弟夫婦と私と妻は早朝に家を出て菩提寺をお墓参りし、両親に私たち一族を守ってくれていることへの感謝と家族の健康を報告しました。

※弟は持ってきた墓石ブラシで墓石に刻まれている文字の部分まできれいに洗い流してくれました。。

自宅ではお盆棚の盆提灯に明かりつけ、家族であらためて先祖に感謝の心で迎え火を焚き両親を迎え、先祖と子孫である私たち家族は一緒にお盆を過ごし、お盆明けは一緒に過ごした先祖の霊に送り火を焚き先祖の祖霊を浄土に送りました。

また今年はひ孫も2歳になり、一緒に迎え火を焚いてくれて両親も喜んでくれているのではないかと私は両親のことを思うと幸せなお盆を過ごさせてもらいました。

※仏壇の前で親が手を合わせて先祖供養する姿を子どもが見るのも教育効果として「感謝の心」という素晴らしいものを得るのではないかと思います。

特に今年のお盆は一方で私の人生の四季でもあり、前にふれました人生最後の遊行期であり、今までのお盆と大きな違いを感じ、これまでの人生を大きく振り返って私は意志的な思い(願望、意欲,信念,義務,正義感、祈り)からよく母親の語っていた「お天道様が見ているよ!嘘はつかない!」、父親の語っていた「利他の心」など両親の心豊かな人生を見て、先祖の霊によって守られての幸福に感謝しました。

そして同じようなこの思い出を過去から未来への大切な財産として、子どもから孫へと伝えていくことが私の役割だとお盆棚に飾った両親の写真に長い時間手を合わせて両親と語りました。

※戦中、戦後の食べるものがなかった時代の暮らしを両親がどのように5人の子どもを育ててくれたかに思いを馳せ両親に感謝しました)

最後になりましたが、こうした思いの中から菩提寺住職さんからお盆を前にして送って頂いた法話小冊子(遍照295号)に書かれていた言葉と両親が常に語っていた言葉から私の思いを以下に追記として書かせて頂きました。

追記

『住職さんから頂いた法話小冊子に書かれていた言葉』

住職さんは常に人間として最も大切なのは慈悲と利他の心であると話されており、私はこのたび住職さんから送って頂いた法話小冊子に経典の言葉から「生きとし生けるものの上に限りなき思いを持って、ただ慈心をそそげ」と母親が自分の命を賭してまで我が子を守るがごとく、生きとし生けるかぎりその思いをそそげと人間は慈悲深い心を持つことの大切さが書かれていました。

あらに法話小冊子に中に住職さんの友人が書かれた著作(慈悲心鳥)が紹介されており、私はその友人の素晴らしい著作の中を書かれていた社会貢献活動などを読んで他者を慈しみ、友人への思いやりの心が人間として心の大切さを強くするのだと感銘して、すぐ愛語ノートに書き留めるとともに色紙短冊にこの言葉(慈悲心鳥)を書きました。

※慈悲心鳥という鳥を私は見たことがありませんが、この鳥の鳴き声が慈悲心(じひしん)と聞こえることから霊鳥として崇められているそうです。この鳥の声を慈悲心(じひしん)と聞けるか聞けないかはその人の心にあると思います)

『私が父母の人生から我身を振り返っての論語』

私は『論語』を10数年学習してきましたが、今年のお盆にあたって両親への感謝の気持と両親がつねに語っていた言葉を忘れてはいけないと次の三つの論語を書かせていただきました。

■両親への感謝

●孔子曰く、君子は敬せざること無し 身を敬するを大と為す。 身は親の枝なり、敢て敬せざらんや。

私訳:両親が大切に育ててくれたこの身は親が木の幹とすると枝のようなものだ。人間は親に対する感謝の念を忘れないようにする。(我が身は親の形見である) 

■父の言葉から

●己に克ちて、礼に復るを仁と為す

私訳:私利私欲を慎み、真心から礼を尽くすことが仁である。(仁を失っては友を失う)

■母の言葉から

人の生けるや直。 これを罔くして生けるや、幸にして免るるなり。

私訳:人間は正直が一番である。不正直者で世渡りができてもた運がいいだけである。

~今日という一日を未来の糧にしよう~

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先祖に感謝しつつ会話しながら3時間かかって清掃した。

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    先祖を迎えてお盆棚

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  迎え火ひ孫が最初、私がその次
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 先祖に感謝しながら私は最後
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慈悲心鳥が我が家に飛んできて鳥の声が「じひしん」と聞こえるようにと筆をとりました。

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